東京都文京区本駒込5-7-20の台地縁辺、「六義園」南東の富士神社境内にあります。
全長45m、 後円部径?m・高さ5.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
後円部墳丘上には富士神社の社殿が建っていて、大きく削平されています。
そのため古墳の面影はほとんどありません。
(左後円部、右前方部)
発掘調査は行われていないようです。
埴輪や土師器が出土したといわれていますが、資料がほとんどなく詳細は不明です。
墳丘斜面には富士山麓から運んだ溶岩や、加賀鳶を始めとする鳶職の人が建てた「火消し組」の石碑が多数並べられています。
江戸時代中期以降「富士塚」ブームが起きていて、この古墳も富士塚に改造されたようです。
墳丘を富士山に見立てた山のうえに拝殿があります。
社殿は第二次大戦の空襲で焼失後、鉄筋コンクリート製で戦後再建されたものです。
(後円部墳丘上です)
地元では「お富士さん」として親しまれているそうです。
ちなみに祭神は「木花咲耶姫命」です。
(盗掘坑or風穴?)
(後円部・・・社殿裏)
(前方部)
(前方部への階段)
(道路に墳形の名残が.....)
全長45m、 後円部径?m・高さ5.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
後円部墳丘上には富士神社の社殿が建っていて、大きく削平されています。
そのため古墳の面影はほとんどありません。
(左後円部、右前方部)
発掘調査は行われていないようです。
埴輪や土師器が出土したといわれていますが、資料がほとんどなく詳細は不明です。
墳丘斜面には富士山麓から運んだ溶岩や、加賀鳶を始めとする鳶職の人が建てた「火消し組」の石碑が多数並べられています。
江戸時代中期以降「富士塚」ブームが起きていて、この古墳も富士塚に改造されたようです。
墳丘を富士山に見立てた山のうえに拝殿があります。
社殿は第二次大戦の空襲で焼失後、鉄筋コンクリート製で戦後再建されたものです。
(後円部墳丘上です)
地元では「お富士さん」として親しまれているそうです。
ちなみに祭神は「木花咲耶姫命」です。
(盗掘坑or風穴?)
(後円部・・・社殿裏)
(前方部)
(前方部への階段)
(道路に墳形の名残が.....)
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