古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県西都市・西都原古墳群202号墳

2010-03-20 08:36:35 | Weblog
宮崎県西都市三宅原口の台地上にあります。
姫塚古墳とも呼ばれています。
第一古墳群のある集団よりは、少し西側に外れた場所にあります。

全長51m、 後円部径30m・高さ6m、 前方部幅32m・高さ5.2m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
造り出しはありません。
墳丘の周りには楯形をした周溝(空堀)、その外側には周庭帯があります。

第一次調査(大正元年12月25日~27日)が黒板勝美、今西龍、濱田耕作、喜田貞吉、三浦敏らによって行われています。
後円部、前方部の墳頂、くびれ部付近 が掘り下げ調査されたそうです。
埋葬主体部の構造等詳しいことは不明です。
後円部墳頂からは、直刀・刀子・鉄鏃・玉類(水晶製切子玉、ガラス玉、琥珀製ナツメ玉)・須恵器杯・堤瓶・壷などが、前方部からは、直刀・刀子・鉄鏃・須恵器杯などが出土したそうです。

平成20年8月1日から、後円部及び前方部における大正時代の調査坑の検出、周溝や周庭帯、墳丘斜面の形状確認等のための調査が行われています。
この調査で判明したことは、「周溝が現状より深いこと」、「墳丘が二段構築であること」、「墳丘に葺き石は施されていないこと」、「後円部の大正時代の調査坑の断面から、その当時発見されなかった埋葬主体(木棺直葬)が見つかったこと」などです。
埋葬主体部からは鉄鏃が出土しています。
大正時代の調査坑埋め戻し土からは、丹塗の土師器片(高杯か壷)、周溝埋土の中からは須恵器杯や器台も出土しています。
平成21年1月21日には埋め戻しが完了しています。
調査は、平成21年度以降も継続されています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀後半ころと推定されています。
西都原古墳群で最後に造られた前方後円墳です。

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