東京都大田区田園調布4丁目4、多摩川台公園西端の標高37.5m付近にあります。
「西岡37号墳」とか「蓬莱塚古墳」と呼ばれることもあります。
全長約97m、 後円部径52m・高さ11m、 前方部先端幅38m・高さ8m 前方部二段・後円部三段構築の前方後円墳です。
前方部を東南方向に向けています。
亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に造られています。
(右が前方部)
(後円部)
(手前右が後円部)
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、粘土槨に割竹形木棺で埋葬されていました。
昭和9年、後円部の土取り工事の際発見されたものです。
粘土槨の長さが2.1m、幅が0.8mあります。
倭製四獣鏡1、硬玉製勾玉4、碧玉製管玉67、ガラス製丸玉173、ガラス製小玉392、紡錘車形碧玉製品1、鉄剣身残欠5、直刀残欠7、ヤリ形鉄器残欠5、刀子1 などが出土しています。
平成7年の公園整備に伴う確認調査で、前方部にも埋葬施設のあることが推定できたそうです。
前方部の先端が撥状に広がる形から、古墳時代前期・4世紀前半頃の築造と推定されています。
大正15年4月に東京都の史跡に、平成8年3月18日に種別を変更して再指定されています。
荏原古墳群を構成していて、この地域最古の前方後円墳です。
かって墳丘上には、あの有名な建築家「ライト氏」が設計した邸宅が建っていたそうです。
「西岡37号墳」とか「蓬莱塚古墳」と呼ばれることもあります。
全長約97m、 後円部径52m・高さ11m、 前方部先端幅38m・高さ8m 前方部二段・後円部三段構築の前方後円墳です。
前方部を東南方向に向けています。
亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に造られています。
(右が前方部)
(後円部)
(手前右が後円部)
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、粘土槨に割竹形木棺で埋葬されていました。
昭和9年、後円部の土取り工事の際発見されたものです。
粘土槨の長さが2.1m、幅が0.8mあります。
倭製四獣鏡1、硬玉製勾玉4、碧玉製管玉67、ガラス製丸玉173、ガラス製小玉392、紡錘車形碧玉製品1、鉄剣身残欠5、直刀残欠7、ヤリ形鉄器残欠5、刀子1 などが出土しています。
平成7年の公園整備に伴う確認調査で、前方部にも埋葬施設のあることが推定できたそうです。
前方部の先端が撥状に広がる形から、古墳時代前期・4世紀前半頃の築造と推定されています。
大正15年4月に東京都の史跡に、平成8年3月18日に種別を変更して再指定されています。
荏原古墳群を構成していて、この地域最古の前方後円墳です。
かって墳丘上には、あの有名な建築家「ライト氏」が設計した邸宅が建っていたそうです。
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