茨城県かすみがうら市安食風返1526、標高20mの木の枝状に広がる台地上にあります。
宍倉地区から隣の石岡市井関地区にまたがる地域に所在する「風返古墳群」を構成する1基です。
「稲荷塚古墳」とか「風返1号墳」と呼ばれることもあります。
全長約78.1m、 後円部径43.1m・高さ10m、 前方部先端幅57m・高さ8m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
墳丘の周りには幅20mほどの周濠があります。
埴輪の出土はありません。
昭和39年(1964年)8月1日から25日まで、日本大学考古学研究室による発掘調査が行われています。
その結果二ヵ所の埋葬施設が見つかっています。
後円部にある埋葬施設は、雲母片岩の大岩を使った南に開口する全長8m・幅2mの横穴式石室です。
前庭部・羨道部・前室・後室からなる複室構造です。
後室には「コ」の字型に並べられた3基の箱形石棺が収められていたそうです。
中央の石棺からは金銅製耳環が、東側の石棺からは頭椎大刀・円頭大刀・銀装刀子などが、西側の石棺からは金銅製耳環などが出土しています。
くびれ部にある埋葬施設には、雲母片岩でつくられた箱形石棺が埋葬されていたそうです。
円筒大刀・金銅製耳環・ガラス製玉などが出土しています。
この石棺から北西方向約1m離れたところからは、布に包まれた木箱に納められていたとみられる馬具1式(轡・杏葉・辻金具・鏡板・鞍金具など)が出土しています。
前室の奥からは直刀・鉄鉾・鉄鏃・銅鋺・杏葉・雲珠・辻金具・鞍金具・刀子などが、南側からは弓弭・刀子・直刀・須恵器などが出土しています。
これら出土遺物は、平成18年11月16日茨城県の文化財に指定されています。
6世紀後半から7世紀前半にかけて、4回の追葬が行われていたようです。
石室は埋め戻されたようで、開口部など見つけることはできませんでした。
古墳時代後期・7世紀前半頃の築造と推定されています。
この古墳の史跡指定はなされていません。
宍倉地区から隣の石岡市井関地区にまたがる地域に所在する「風返古墳群」を構成する1基です。
「稲荷塚古墳」とか「風返1号墳」と呼ばれることもあります。
全長約78.1m、 後円部径43.1m・高さ10m、 前方部先端幅57m・高さ8m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
墳丘の周りには幅20mほどの周濠があります。
埴輪の出土はありません。
昭和39年(1964年)8月1日から25日まで、日本大学考古学研究室による発掘調査が行われています。
その結果二ヵ所の埋葬施設が見つかっています。
後円部にある埋葬施設は、雲母片岩の大岩を使った南に開口する全長8m・幅2mの横穴式石室です。
前庭部・羨道部・前室・後室からなる複室構造です。
後室には「コ」の字型に並べられた3基の箱形石棺が収められていたそうです。
中央の石棺からは金銅製耳環が、東側の石棺からは頭椎大刀・円頭大刀・銀装刀子などが、西側の石棺からは金銅製耳環などが出土しています。
くびれ部にある埋葬施設には、雲母片岩でつくられた箱形石棺が埋葬されていたそうです。
円筒大刀・金銅製耳環・ガラス製玉などが出土しています。
この石棺から北西方向約1m離れたところからは、布に包まれた木箱に納められていたとみられる馬具1式(轡・杏葉・辻金具・鏡板・鞍金具など)が出土しています。
前室の奥からは直刀・鉄鉾・鉄鏃・銅鋺・杏葉・雲珠・辻金具・鞍金具・刀子などが、南側からは弓弭・刀子・直刀・須恵器などが出土しています。
これら出土遺物は、平成18年11月16日茨城県の文化財に指定されています。
6世紀後半から7世紀前半にかけて、4回の追葬が行われていたようです。
石室は埋め戻されたようで、開口部など見つけることはできませんでした。
古墳時代後期・7世紀前半頃の築造と推定されています。
この古墳の史跡指定はなされていません。
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