滋賀県長浜市湖北町、山本山の南西方向に細長くのびた丘陵先端にあります。
琵琶湖の良港として知られる尾上(おのうえ)を見下ろす位置です。
宇賀神社の社殿横の道を10分ほど登ったところです。
全長49m、 後円部径32m・高さ5.2m、 前方部先端幅18m・高さ2.8m 二段構築の柄鏡形前方後円墳です。
前方部を南西方向(平地)に向けています。
大和との密接なつながりがうかがえる古墳です。
(手前が前方部)
(後円部)
(前方部)
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
主体部についてははっきりしていませんが、盗掘坑と思われる窪み周辺に割石が散乱していることから、竪穴式石室の可能性が高いようです。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
湖上交通と北国街道の要所を占める位置にあり、古墳時代前期に湖北の交通などの実権を握っていた人々により築造されたものといわれています。
昭和40年5月24日、滋賀県の史跡に指定されています。
琵琶湖の良港として知られる尾上(おのうえ)を見下ろす位置です。
宇賀神社の社殿横の道を10分ほど登ったところです。
全長49m、 後円部径32m・高さ5.2m、 前方部先端幅18m・高さ2.8m 二段構築の柄鏡形前方後円墳です。
前方部を南西方向(平地)に向けています。
大和との密接なつながりがうかがえる古墳です。
(手前が前方部)
(後円部)
(前方部)
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
主体部についてははっきりしていませんが、盗掘坑と思われる窪み周辺に割石が散乱していることから、竪穴式石室の可能性が高いようです。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
湖上交通と北国街道の要所を占める位置にあり、古墳時代前期に湖北の交通などの実権を握っていた人々により築造されたものといわれています。
昭和40年5月24日、滋賀県の史跡に指定されています。
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