滋賀県米原市近江町能登瀬の式内社・山津照神社境内にあります。
(左手が古墳です)
通称「岡山」と呼ばれている、横山丘陵から天野川(息長川)右岸に迫る丘陵尾根上です。
「岡山古墳」とか「能登瀬古墳」と呼ばれることもあります。
全長63m、 後円部径27m・高さ6.05m、 前方部先端幅35m・高さ5.8m の前方後円墳です。
西方向を向く前方部はバチ形に開いています。
前方部端と後円部端が削平されています。
くびれ部には「若八幡宮」の小さな祠が祀られています。
(前方部)
(くびれ部)
(後円部)
墳丘に葺石は施されていません。
平成6年の調査で墳丘裾部に円筒埴輪や朝顔形埴輪・石見型埴輪などの埴輪列が見つかっています。
明治15年(1882年)、山津照神社の社殿の移転造営に伴う境内拡張工事が行われました。
その際、この古墳の後円部から横穴式石室が見つかりました。
家形石棺が収められていたようです。
石室内から多くの遺物が出土していて、そのほとんどが滋賀県の有形文化財に指定されています。
倭製銅鏡3面(旋回式獣象鏡・乳脚文鏡【五鈴鏡】・内向花文鏡)や金銅製冠、武器(水晶製三輪玉・直刀・刀子)、装身具(勾玉・管玉・切子玉)、馬具(雲珠破片・辻金具破片・杏葉・轡・鐙・鞍橋覆輪【くらぼねふくりん】破片)、須恵器(壺・器台・有蓋壺・台付壺・堤瓶・杯身・杯蓋)、土師器の高坏、赤色顔料 などがあります。
石室は全長7.5m、羨道の長さが3m・幅0.9m・高さ1.5m、 3枚の天井石で覆われていた玄室の長さは4.5m・幅2.7m・高さ2.1m あるそうです。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
昭和44年9月12日、滋賀県の史跡に指定されています。
神功皇后の父、「息長宿禰王」の墓と伝えられています。
(左手が古墳です)
通称「岡山」と呼ばれている、横山丘陵から天野川(息長川)右岸に迫る丘陵尾根上です。
「岡山古墳」とか「能登瀬古墳」と呼ばれることもあります。
全長63m、 後円部径27m・高さ6.05m、 前方部先端幅35m・高さ5.8m の前方後円墳です。
西方向を向く前方部はバチ形に開いています。
前方部端と後円部端が削平されています。
くびれ部には「若八幡宮」の小さな祠が祀られています。
(前方部)
(くびれ部)
(後円部)
墳丘に葺石は施されていません。
平成6年の調査で墳丘裾部に円筒埴輪や朝顔形埴輪・石見型埴輪などの埴輪列が見つかっています。
明治15年(1882年)、山津照神社の社殿の移転造営に伴う境内拡張工事が行われました。
その際、この古墳の後円部から横穴式石室が見つかりました。
家形石棺が収められていたようです。
石室内から多くの遺物が出土していて、そのほとんどが滋賀県の有形文化財に指定されています。
倭製銅鏡3面(旋回式獣象鏡・乳脚文鏡【五鈴鏡】・内向花文鏡)や金銅製冠、武器(水晶製三輪玉・直刀・刀子)、装身具(勾玉・管玉・切子玉)、馬具(雲珠破片・辻金具破片・杏葉・轡・鐙・鞍橋覆輪【くらぼねふくりん】破片)、須恵器(壺・器台・有蓋壺・台付壺・堤瓶・杯身・杯蓋)、土師器の高坏、赤色顔料 などがあります。
石室は全長7.5m、羨道の長さが3m・幅0.9m・高さ1.5m、 3枚の天井石で覆われていた玄室の長さは4.5m・幅2.7m・高さ2.1m あるそうです。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
昭和44年9月12日、滋賀県の史跡に指定されています。
神功皇后の父、「息長宿禰王」の墓と伝えられています。
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