古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

滋賀県長浜市・長浜茶臼山古墳

2020-06-13 05:24:07 | Weblog
滋賀県長浜市東上坂町茶臼山の横山丘陵の北先端にあります。

全長95m、 後円部径55m・高さ8m、 前方部先端幅37m・高さ8m  二段構築の柄鏡形前方後円墳です。
前方部を南東方向(平野部とは逆の横山丘陵側)に向けています。


               (奥が前方部)




湖北地方最大の前方後円墳です。


               (奥は伊吹山)





後円部墳丘上はあの「姉川の合戦」の際、織田信長軍の砦として利用されたため平になっています。


     (右手奥の方に、岩崎山や大依山が見えます・・次週説明)


この古墳は測量調査以外の調査は行われていません。
墳丘には川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和44年9月12日、滋賀県の史跡に指定されています。

「姉川の合戦」
元亀元年(1570年)、「織田信長」と「浅井長政→信長の妹・お市の方の主人」が死闘を繰り広げた合戦です。
横山丘陵の尾根最高部分(丘陵南東部)には、浅井長政が「横山城」を築いて、岐阜県側から進出する織田軍に備えます。
織田軍は横山城と浅井氏の本城である「小谷城」との連絡を絶つため、横山丘陵上に多数の砦(そのほとんどが古墳を利用)を築きました。
茶臼山古墳のすぐ南にある「龍ケ鼻古墳」の上にも織田軍の本陣が置かれました。
徳川家康の奇襲作戦などで合戦に勝利した織田信長は「横山城」に羽柴秀吉を置き、「小谷城」を牽制します。
秀吉はこの横山城を改修して、天下人への道を決定づけた「賤ケ岳の合戦」へ臨みます。






                   (姉 川)




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