滋賀県長浜市高月町西野、古保利丘陵稜線上の一つの頂部にあります。
「古保利古墳群B-6号墳」とか「古保利103号墳」と呼ばれることもあります。
全長約60m、 一辺長37×29m・高さ4.2m、 前方部先端幅22m・高さ3m の前方後方墳です。
岩盤を含む自然地形を削り出して造られています。
前方部はやや短く先端部に行くほど低くなっていて、その先端部はバチ形にひらいています。
二段構築の後方部は長方形をしています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もありません。
1984年に測量調査が行われています。
1998年~99年にかけて確認調査が行われています。
後方部墳頂でそれぞれ二つの盗掘坑と土坑が見つかっています。
地下レーダー探査の結果、盗掘坑周辺には三つの埋葬施設があったようです。
盗掘を受けている埋葬施設がどのようなものだったのかはっきりしていませんが、木棺直葬と推定されています。
中国製内行花文鏡、中国製方格規矩鏡、銅鏃、鉄鏃、刀子・削り刀子・水銀朱、壺や高坏・器台・甕などの土器類 が多数出土しています。
土器の中には北陸系の小型壺や美濃地域の壺や高坏、吉備か丹後の影響を受けたとみられる底部に孔のある高坏なども含まれています。
一つの土坑からは40個体以上の土器が、破砕された状態で見つかっています。
葬送儀礼が行われたのち破砕され埋納されたようです。
古墳時代発生期・3世紀中葉頃(箸墓古墳と同じころ)と推定されています。
古保利古墳群を構成する1基で、古墳群中最大であり滋賀県内でもトップクラスの前方後方墳です。
◉ここで足を痛めてしまい残りの古墳群観察はやむなく断念、又の機会に訪ねたいと思います。
「古保利古墳群B-6号墳」とか「古保利103号墳」と呼ばれることもあります。
全長約60m、 一辺長37×29m・高さ4.2m、 前方部先端幅22m・高さ3m の前方後方墳です。
岩盤を含む自然地形を削り出して造られています。
前方部はやや短く先端部に行くほど低くなっていて、その先端部はバチ形にひらいています。
二段構築の後方部は長方形をしています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もありません。
1984年に測量調査が行われています。
1998年~99年にかけて確認調査が行われています。
後方部墳頂でそれぞれ二つの盗掘坑と土坑が見つかっています。
地下レーダー探査の結果、盗掘坑周辺には三つの埋葬施設があったようです。
盗掘を受けている埋葬施設がどのようなものだったのかはっきりしていませんが、木棺直葬と推定されています。
中国製内行花文鏡、中国製方格規矩鏡、銅鏃、鉄鏃、刀子・削り刀子・水銀朱、壺や高坏・器台・甕などの土器類 が多数出土しています。
土器の中には北陸系の小型壺や美濃地域の壺や高坏、吉備か丹後の影響を受けたとみられる底部に孔のある高坏なども含まれています。
一つの土坑からは40個体以上の土器が、破砕された状態で見つかっています。
葬送儀礼が行われたのち破砕され埋納されたようです。
古墳時代発生期・3世紀中葉頃(箸墓古墳と同じころ)と推定されています。
古保利古墳群を構成する1基で、古墳群中最大であり滋賀県内でもトップクラスの前方後方墳です。
◉ここで足を痛めてしまい残りの古墳群観察はやむなく断念、又の機会に訪ねたいと思います。