京都府京田辺市飯岡西原16-1の丘陵尾根にあります。
全長90m、 後円部径60m・高さ7.5~10m、 前方部先端幅45m・高さ3~5.5m の前方後円墳です。
京田辺市最大の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪や宮山型特殊器台埴輪(昭和51年の発掘調査で判明)・特殊壺埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
明治35年(1902年)、後円部が発掘されています。
埋葬施設は竪穴式石室でした。
全長2.4m、幅1.2m、高さ1.2mで板石で造られています。
硬玉製勾玉・碧玉製管玉・ガラス製小玉・碧玉製車輪石・碧玉製石釧・碧玉製鍬形石・鉄刀・鉄鏃・銅鏃・石製小型坩 などが出土しています。
ただ銅鏡が見つからなかったことから、それ以前に盗掘されていたとみられています。
一説には、中国製飛禽鏡が出土したと言われています。
木津川の水運を握っていた一族の墓との説が有力です。
古墳時代前期後半・4世紀後半ころの築造と推定されています。
現在前方部は茶畑になっています。
後円部には「上殖葉王古墳ーかみえばのみこ」と記した石標が立っているそうですが、墳丘全体が竹林に覆われていて、見ることはできませんでした。