古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県西都市・西都原古墳群女狭穂塚古墳

2010-02-20 09:17:13 | Weblog
宮崎県西都市三宅丸山の台地上にあります。
[めさほつかこふん」と呼びます。
明治28年(1895)宮内庁が陵墓参考地に指定、隣接している男狭穂塚古墳ともども管理しています。
そのため立ち入りは禁じられていますが、毎年11月の第1日曜日(西都原古墳祭り当日)には、男狭穂塚古墳の正面まで立ち入りが許されます。
そこから女狭穂塚古墳の後円部を中心にみることができます。

全長180m、 後円部径97.1m・高さ14.6m、 前方部幅109.5m・高さ12.8m 三段構築の前方後円墳です。
九州最大の前方後円墳で、全国でも47番目の大きさです。
ここ西都原古墳群の盟主墓です。

くびれ部両側に造り出しがあります。
また西側くびれ部付近から延びる、すぐ横にある171号墳への「渡り土手」があります。
171号墳は西都原古墳群では唯一の方墳で、女狭穂塚古墳の陪塚です。
墳丘の周りには楯形をした、幅14~18mの二重の周濠(空堀)があります。
さらに周濠の外側には幅15~18mの堤があります。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪、朝顔形埴輪、楯形埴輪、三角板革綴短甲形埴輪、肩甲形埴輪、家形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたとみられています。
この古墳は発掘調査は行われていなく(陵墓参考地のため)、埴輪は昭和50年5月に受けた盗掘口周辺で見つかったものです。

地元では古くから、男狭穂塚古墳を「ニニギノミコト」、女狭穂塚古墳を「コノハナサクヤヒメ」の墓と言い伝えられています。
古墳群内唯一の畿内型の前方後円墳で、大阪府藤井寺市にある仲津山古墳の5分の3の相似形をしています。
南九州で最初に本格的な円筒埴輪や形象埴輪(当時の畿内最先端の埴輪)を採用した古墳です。
築造にあたっては、大和王権から派遣された古墳造りの技術者が、かかわっていた可能性が高いと言われています。
築造時期は5世紀前半中葉頃と推定されています。


   (桜の後方の森が女狭穂塚古墳)


   (前方部左側)


   (前方部右側)

宮崎県西都市・西都原古墳群

2010-02-20 08:13:19 | Weblog
宮崎県のほぼ中央、一ッ瀬川右岸にあります。
「さいとばる」と呼びます。
西都市の市街地西方、南北に走る標高60~70mの洪積層の丘陵、東西約2.6Km,南北約4.2Kmの地域に310余基の古墳があります。
前方後円墳・円墳・方墳・地下式横穴墓(北限)・横穴墓などが存在し、いずれも良好な状態で保存されています。
4世紀前半(100号墳)から7世紀前半(鬼の窟古墳・酒元ノ上横穴墓群)にかけて築造された古墳群です。
女狭穂塚古墳・男狭穂塚古墳が造られた(5世紀中ころ)のを最後に6世紀後半ころまで、西都原古墳群では前方後円墳が造られていません。
かわって一ッ瀬川対岸の新田原古墳群(祇園原古墳群)で造られるようになります。
首長墓を造る集団が移動したとみられます。
昭和9年(1934)国の史跡に、昭和27年(1952)に国の特別史跡に指定されています。
昭和41年(1966)から昭和44年にかけて、我が国第1号の風土記の丘(史跡公園・西都原風土記の丘)として指定され、歴史的景観保存維持のため整備作業が行われました。
春は菜の花(かってビールのコマーシャルにも登場)・桜・ミツバつつじが、秋にはコスモスが咲き乱れ、日本経済新聞社の「花見が楽しめる都市公園」にも選ばれました。

日本の近代的な考古学調査は、ここ西都原古墳群から始まりました。
大正元年(1912)から大正6年にかけて、宮崎県が主催して調査が行われました。
東京・京都の帝国大学、宮内庁、帝室博物館などから一流の学者が参加して、本格的な発掘調査が行われました。
六次に分けて、前方後円墳・円墳・方墳 あわせて30基について実施されたそうです。
  1次調査・・・大正元年12月25日から大正2年1月6日
  2次調査・・・大正2年5月
  3次調査・・・大正3年8月
  4次調査・・・大正4年1月
  5次調査・・・大正5年1月
  6次調査・・・大正5年12月から大正6年1月

古墳は地形的に大きく分けて、三つのグループに分布しています。
  西都原台地
    1.第一古墳群(円墳84基・前方後円墳7基)
    2.第二古墳群(円墳26基・前方後円墳10基)
    3.第三古墳群(円墳85基・前方後円墳1基)
    4.女狭穂塚古墳・男狭穂塚古墳(円墳2基・方墳1基・前方後円墳2基)
    5.鬼の窟古墳(円墳3基・他に横穴墓6基)
    6.寺原第一支群ー寺原丘陵(円墳13基・前方後円墳3基)
    7.寺原第二支群ー寺原集落(円墳11基・前方後円墳1基)
  中間台地(西都原台地と市街地の中間にある台地)
    堂ヶ島支群(円墳20基)
    鷺田支群ー諏訪・妻高校および国分寺一帯(円墳13基・前方後円墳2基)
    尾筋支群(円墳13基・前方後円墳5基)
  低地
    鳥子支群(円墳3基・前方後円墳1基)

この古墳群はあまりにも有名ですので、より詳しい説明は他に譲ることとします。


   (第一古墳群)


(手前の建物が古代生活体験館・後方が宮崎県立考古博物館・その後方が第三古墳群)


   (菜の花に囲まれた鬼の窟古墳)