私の語る「システム」論から、改めてその「仮説」を主張し続けることの意味を問い直すときー「急ぎ働き」がやたらと目につく社会の中で、余生をどのように過ごそうか。*死ぬまで悪戦苦闘の日々が続くことだけは
私の語る「システム」論から、改めてその「仮説」を主張し続けることの意味を問い直すときー「急ぎ働き」がやたらと目につく社会の中で、余生をどのように過ごそうか。*死ぬまで悪戦苦闘の日々が続くことだけは避けられそうもないのは間違いないことだが。
*なお、「急ぎ働き」(**人を殺傷して金品を強奪すること)については池波正太郎の(時代劇ドラマ)『鬼平犯科帳』にもたびたび出てくるので、それを参照されたい。私なりに意訳すれば、同じ盗みでも「上品」なというか*そこはかとなき品を感じることのできる盗みと「下品」な*というか品など何も感じることのできないそれがあるように、私たちの暮らす社会にも、最低限度の「品」を持ち合わすことのできなくなった人間集団の様々な行動を象徴する言葉として、私は使っている。元より、私に品などという言葉を使う資格などないことは重々承知しているのだが、行論の都合上、ご寛恕願いたい。
(最初に一言)
連日のことのように、どうしようもないというか、もう「普通の人間」には戻れないと思えるほどの犯罪者と犯罪予備軍がつくられていくのを目の当たりにして、さすがに差別と排除の関係を前提としてつくられてきた「システム」の業の深さに驚きを禁じを得ない。
こんな物言いをすると、おそらくすぐにお前は何でもかんでも「システム」とか差別と排除の関係にしてしまい、その結果として、犯罪者やその予備軍のしでかした犯罪というか罪に向き合う姿勢が弱いのではないか云々の批判を受けそうである。私は決してそれを許したりはしないし、逆に徹底的に批判し非難することをやめないであろう。
むしろ、そんな声に対して私が常々思うのは、犯罪者とその罪を絶対に許さないと声高に叫ぶ人が、そうした犯罪や犯罪者をつくり出してきた「システム」とその差別と排除の関係を絶対に許してはならない云々の主張成りkん回を表明しないことを、私は不思議に思うだけなのだ。これはロシアのウクライナ侵攻についてのメディア報道にもすぐさま結び付けられる。
ロシアのプーチン大統領は「テロリスト」とメディアで報道されているが、これはロシア国家は「テロ国家」と呼ぶことと同じである。そうしたメディア報道を一括して管理・統制している英米側の自由と民主主義そして法の支配を守ることを謳っている陣営は、自らの行動を断じて恥じることはない。可哀そうに、物心もつかない子供たちも、そうした情報の中で、いつしか何らの疑いもなく、ロシアに侵攻・侵略されているウクライナを助けなければ、ロシアをやっつけろとなるのに違いない。
本当に大変な世界である。この世界の中のありとあらゆる「洗脳」から、私たち各人の思考空間を汚染されることなく生き続けるのは、おそらく至難の業であり、到底できない相談だろう。それを踏まえた上で、それでも何とか自分なりの考え方を身に着けるためには、どうしても、二つ以上のそれぞれ異なる情報(源)に接するしかない。ところが、今やそれができないのだから、自分自身の考え方や見解を持つのは相当に難しい。
確かにテレビのチャンネルはたくさんあるし、情報紙・誌も多種多様である。ところがいざ原発報道となると、その内容は驚くほどに一元化されてしまい、いわゆる「御用」記事内容がほとんどであり、異論をはさむ内容発信は極めて限られてしまい、多くの人の目にはつかなくなっているのが現実ではあるまいか。
ウクライナ報道も、まったく同様な事態に陥っている。こうした御用報道姿勢と御用報道内容の下で、私たちは約1年間縛り付けられたままなのだから、相当に頭の中は貧弱になっていたとしてもおかしくはなかろう。(*コロナ報道となると、既に丸3年経過した。)たとえば、ロシアをテロリストやテロ国家云々と批判するのであれば、そもそもロシアがどうして、ウクライナに侵攻したかについてみておく必要があるだろうし、そのためにも、ロシアとウクライナの関係史について、少なくとも「冷戦」崩壊以降の歩みを見ておく必要がある。その際、それに関する情報源は先に指摘したように、複数の異なる分析視角でもって整理することが重要であろう。
これは大変な作業の連続となる。普通の人にこんな時間が確保できるかどうかは難しいのではなかろうか。それゆえ、専門家の仕事は重大なことなのだ。この専門家も、多種多様な見解を表明しているはずなのだが、メディアに登場する専門家は原発同様に、御用専門家ばかりとなることから、先のような思考回路を辿った作業は、見事に省略されてしまった一方的なウクライナ情報となってしまい、それこそロシアはテロ国家、プーチンはテロリストとなるのだ。勿論、私たちの属する側(陣営)は、自由と民主主義を守る素晴らしい勢力集団とされる。
誤解のないように付言すれば、これも以前のブログ記事で述べていたように、私はロシアとプーチンの肩を持っているわけでもないし、日本は英米側の一員であるから、彼らと同じ意見を持つべきだとも考えてはいない。私はただ知りたいのだ。どうして、同じ帝国主義戦争を遂行した日本が一方的に裁かれて、英米は裁かれなかったのか。しかも日本は核爆弾を二度も投下され、その投下した国は自由な民主主義を標榜して、戦後世界を覇権国の親分として支配してきたのに、どうしてその米国の抱える「暴力」の問題に対して、世界の多くの諸国と国民は、押し黙ってきたのか、と。
このように、ずっとある時期から私は日本について考えてきたことから、今次のロシアのウクライナ侵攻は、どうしても他人事として済まされるものではなく、ロシアの中にもウクライナの中にも、かつての、そしてこれからの日本と日本人を垣間見てしまうのだ。戦前の日本は中国東北部に侵攻して、満州国を建設したものの、やがては連合国の支援を受けた中国によって、中国からの撤退を余儀なくされた。中国はその支援を受けた連合国により長い間にわたって治外法権を認めさせられ、関税次試験も奪われたままであった。そして中国共産党の支配する中国と、国民党の支配する中国とに分裂していた。
この戦前の中国と今のウクライナはどこか重なるところがある、と私はみている。ロシアに追随するウクライナと、英米に従うウクライナ。ウクライナの国民は、明日の日本国民であるかもしれない。その意味では、私には未だあの戦争は終わってはいないのだ。私たちが今向き合うべき問題は、どうして英米はウクライナの国土を破壊し、国民の命を奪い続けるような戦争に終止符を打とうとしないのだろうかという問題だ。ウクライナ側には交渉権はない。英米がウクライナの主権を奪っているのは誰が見てもわかるはずだ。ウクライナのゼレンスキーは、傀儡政権だ。
結局のところ、私の語る「システム」論で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉の高度化のために、戦争を終わらせることができないに違いない、と私はみていることから、すぐ上での終止符云々のくだりはおかしな物言いなのだが、それでもこれではどうにもならない、どうにかしなければと思うのは、人情だろう。だが、同時に、私の語る「システム」とその差別と排除の関係を絶対に許さない等と、たとえいくらエラソウナ物言いをしても、私自身がその金の成る木としての「システム」を担いながら、同時にパラサイトし続ける「システム人」であることに終止符を打てないのだから、これはもうどうにもならないのは、わかりきっている。
(最後に一言)
テレビを介して、今を騒がせている詐欺・強盗死傷事件に与る関係者の「親分ー子分」関係を想像しながら、私の語る「システム」のどこかに、おそらくそれは覇権システムに真っ先にとは思うのだが、いずれにせよ。そうした関係が組み込まれていく話に思えて、これまたなんとも表現し難くなるばかり。ここに描かれる「親分ー子分」関係とロシアとウクライナ、そして英米諸国と日本における「親分ー子分」関係は、そして「システム」の関係は、巡り巡って必ずやどこかでつながってくるはずだと私はみているが、残念ながら、それを描き切る力を、私は持ち合わせていない。