かつての「鬼畜米・英」から、今や「鬼畜中・韓・北朝鮮」的思考の下、同じ轍を踏もうとしている。金輪際、愚行を繰り返してはならない!-そうならないためにも、今こそ従来とは異質な新政党の誕生を目指して、私たちは立ち上がろうではないか!
(最初に一言)
新たな政党の誕生が望まれる。既存の政党では、与党であれ野党であれ、決してこれからの難局を潜(くぐ)り抜けて、私たちの命と暮らしを守るのは難しいと言わざるを得ないから、どうしても必要なのだ。
今日は自民党の総裁選の始まりの日だが、私たちも今日のこの地点を、新たな政党誕生に向けての始まりの日としたいところだ。
想えば、今の雰囲気は中国や韓国、北朝鮮を仮想敵国として位置付け、米・英の他のかつての先進国グループと共同歩調を取りながら、タイ・中国。ロシア・北朝鮮を方位するかのように、突き進んでいるのだが、私たちは本の数十年前には、その米・英を始めとしたグループと激しく戦い、そして敗北後はその軍門に下り、これまでの過去を忘れ、まるでそんな「無謀な戦争」の歴史など何もなかったかのように、米国の子分となってここまで従属しながら生きてきた。
また、同じ轍を踏みそうな気配。いやもう既に、踏んでいる。返す返すも愚かなことだが、どうしてこんな愚行に走るのか。なぜ、私たちはこの歩みを止めて別の道を選択できないのか。思い出すがいい。戦前・戦中の日本の指導者たちは、戦後も同じように日本を指導してきたではなかったか。日本をどん底へと導いた彼らが、何の反省や罰を受けることもなく、むしろ逆に、米国に日本と日本人の生命と財産を売り渡すことによって、さらなる立身出世を果たしてきたのではなかろうか。
まさに「一将功成りて万骨枯る」ではないが、もう、二度と同じ愚は犯したくはないのだが、それにもかかわらず、二度ならず何度もそれを繰り返すのは、そうした流れを食い止めることのできる政治集団が存在しないからではあるまいか。それゆえ、そうした政党の結成が急務なのだ。もしそれができなければ、必ず日本は戦前と同じ轍を踏むに違いない。
冷静に世界を見渡すといい。今は既に中国の時代である。その現実を的確に受け止めて、私たちは行動すべきなのだ。何度も言うのだが、経済界はそうした流れに従って動いている。当然の話だろう。私たちも、政治において、それを実践すべきなのだ。今の現実は、愚かしいことに、その真逆を邁進中であるから、相当におかしなことをしでかしているのだ。
戦前・戦中の「鬼畜米・英」も相当におかしなことだったのに、そして戦後教育の中で、その愚かしさに気がつき国民も反省して、「多様性と調和」の重要性に気がついたはずなのに、今やまったくと言っていいほどに、同じ過ちを繰り返しているのだから、何をかいわんやなのだ。「多様性と調和」を目指す歩みの中で、逆にそれを否定する動きがつくられているのだ。
かつての「全体主義」陣営から、「(自由)民主主義」陣営へと鞍替えはしたものの、思考様式はほとんど変わらないままである。それは当然である。全体主義だろうが、自由民主主義だろうが、いずれの陣営も「システム」の中で、力と力のぶつかり合いを介して、自己決定権の獲得を巡る争奪戦を繰り返しているからに他ならない。
その歩みにおいて、「親分ー子分」関係がつくられ、それを前提としながら覇権システムが形成されていく中で、対立。敵対する親分との「力」関係の中で、ある時は「鬼畜米・英」が、またある時は「鬼畜中・韓・北朝鮮」の掛け声が強まることになるだけだから、「親分」になれない「子分」の日本は、それに従わざるを得ないのである。
しかしながら、その子分の日本は、自由民主主義陣営下の「大本営発」のメディァとその情報操作によって、未だに中国と伍してアジアや、さらには恥ずかしいことに世界を仕切ることができるかのような厚顔無恥ぶりを発揮しているのだから、これほどみじめというか世間知らずもあったものではなかろう。
アフガニスタンのタリバン政権誕生に際しての各国の対応をみてもすぐわかるように、この国の力はほとんどないに等しいのだ。私が言いたいのは、力がないから駄目だとか恥ずかしいということではない。力がなくてもそれはそれでまたある意味では別の力を創造できる。問題は、そうした力の無さを自覚できない、あるいは自覚してもなお、夜郎自大的な振る舞いをやめない・やめようとはしないことではあるまいか。
それゆえ、21世紀の「日本」と「日本人」の存続を可能とさせる新たな思考・哲学を有した、これまでとは異質な政党の誕生が望まれるのである。その意味では、10代、20代、30代の若い人たちが中心となって、率先垂範する形で「にほん」と「にほんじん」を指導する新政党の結成が是が非でも急務なのだ。もう時間はあまり残されてはいない。
(最後に一言)
北朝鮮の弾道ミサイル発射のデモンストレーション、中国のTPP参加表明と、あわただしく情勢は変化している。私が危惧するのは、それらの流れを受けて、またまた日本が過激というか極端に走る、と言うか、見事に使い走りをさせられるのではないかということだ。
自分の身の丈に合った行動が何よりも大事で、決して過敏な反応をしないことなのだが、現下の総裁選に見事なほどに「バッティング」させるかのように、最近の日本を取り巻く出来事が、日本を揺さぶっている感がある。勿論、「金の成る木」としての「システム」がそれを仕組んでいるのは間違いない。
(付記)
中国がTPPに加入するということは、中国を拠点に活動している米国やEU、アフリカ諸国等の企業とそれを介した経済活動がすべてそこ(TPP)に含まれるということを意味している。それは、「一帯一路」においても同様である。わざわざ米国という国家がTPPに参加しなくても、結果は加入しているのと同じだということである。
もう少し詳しく言えば、経済活動だけではない。中国のTPPへの参加は、{[B]→(×)[C]→×[A]}(最近の記事では、横着して「(なお、モデルは省略形)」という表記すらも省略しているが、ご勘弁を)のモデルで描かれる「システム」とその関係の歩みがすべてTPPの中に組み込まれるということを意味しているのである。ここが肝心な点だ。
新たに加わってくれた読者がもしいるならば、是非とも拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならないセカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争』(晃洋書房、2014年)を徹底的に読み込んでほしい。またその中の88-91頁の図表を頭に叩き込んでほしいものだ。