〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本、あるいは日米関係は、「システム」を構成するB、C、AのAの下位要素でしかない。それらを歴史の主要なアクターとして捉える限り、私たちは歴史を見誤るだけとなる。ー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続・続)
前回記事において指摘していた⑤⑥の内容を踏まえるとき、私たちの円安問題への対応・対抗における手段や処置は、たとえ仮にそれらが首尾よくいったとしても、「システム」とその構成要素であるB、C、Aの関係にはまったく何も影響を与えないということである。すなわち、日本経済の防衛や復活にも、米国経済の動向にも、ほとんど何も影響しないのだ。それどころか、私のもう一つの通時的モデルで描かれるように、A(グループ)にあっては、その中に位置する米国も日本も、またその他のかつての先進諸国もそうだが、Ⅰ期、Ⅱ期、Ⅲ期へと至る「高度化」の発展段階を経て、Ⅰ’期、Ⅱ’期、そしてⅢ’期へ向かう「低度化」の発展の段階にに見られるように、「システム」の低度化の発展段階をひたすら深化していく歩んを辿るだけなのである。
それを踏まえて結論を先取りして言うならば、私の見る限り私たちの円安問題に関する議論は、日本や米国、あるいは親分の宗主国である覇権国の米国と子分の属国としての日本の関係といった話を議論の前提とか中心に据える論の展開を常識としているように私には思えるのだが、私はそれに対して異を唱え続けてきたと言っても過言ではあるまい。と言うのも、私たちはシステム人として私の語る一つの「システム」の下で生きてきたし、生きているからである。
したがって、日本人であるとか米国人や中国人である前に、私たちはすべて等しくシステム人として存在しており、「システム」の指揮・管理下に直接的に置かれているのだ。私たちの生きている日本は、そのB、C、Aから構成されている「システム」のAに組み込まれた下位的要素にすぎず、「システム」の意向に沿って日本という主権国家・国民国家を演じている、演じさせられているにすぎないのである。「森」と「木」を見誤ってはならない。
その関連から言えば、私たちは本来的な現実の姿として存在する「システム」のA、B、Cのどこかにに位置していたであろう「日本」と「日本人」ではなく、「システム」とそれを構成するA、B、CあるいはB、C、Aの各々の構成要素から切り離された日本と日本人という蜃気楼を、これまでずっと本当の姿であると錯覚しながら見てきたということではあるまいか。私たちの常識としてきた社会科学で描かれる日本とか日本人についても例外ではない、と私はみている。それが今回の円安問題を巡る様々な議論にも垣間見られる。
そこから当然ながら、私たちはこれまで同様に、一歩も先へと進めない論に終始するばかりであることから、私たちが今後の2,30年間に直面するであろう深刻な危機を見通せないままにあると言っても過言ではあるまい。本当に、私には残念至極なのだが、どうにもならないのだ。それは日本の研究者やメディア関係者の言説を見ても、彼らの議論のほとんどすべては、まさにすぐ上で指摘した蜃気楼を議論の前提としているから、ホントにどうする術もない。これは世界の研究者やメディア関係者にも該当する。当然ながら、彼らの提供する情報に洗脳される国民は、「歴史叙述の神話」の世界の殻を打ち破ることも期待できなくなるだろう。
それにしてもなのだが、私の話は何か一つ論を展開するたびに、、決まって悲観的な話の流れとなっていくようだが、この辺で前回記事の最後のくだりで述べていた問題を思い出してほしい。すなわち、ーーーそれゆえ、私たちのナショナリズムが俎上に載せられた開国以降の話を少ししておかなければならない。その際、英国や米国による半植民地状態とされた日本というとき、私の語る「システム」との間において、日本はどのような状態に置かれていたのだろうか。それに関連して、日本を半植民地化した英国や米国は、「システム」との間において、どのような関係にあったのだろうか。これらについては、既に拙著や拙論、またこのブログ記事でも論述しているのだが、改めてまとめてみたい。(続)ーーーである。
開国以降から明治期の日本と日本人は、「健全なナショナリズム」の下で「明るく元気」な姿を示していた云々と司馬遼太郎に代表される知識人等も語っているのだが、これに対して、私は今回記事で論述したような〈「システム」とその関係の歩み〉と結びついた「日本」と「日本人」の姿を、その「システム」から切り離された蜃気楼としての日本と日本人のそれと比較・対照させながら、次回記事では論及してみたい。(続)
前回記事において指摘していた⑤⑥の内容を踏まえるとき、私たちの円安問題への対応・対抗における手段や処置は、たとえ仮にそれらが首尾よくいったとしても、「システム」とその構成要素であるB、C、Aの関係にはまったく何も影響を与えないということである。すなわち、日本経済の防衛や復活にも、米国経済の動向にも、ほとんど何も影響しないのだ。それどころか、私のもう一つの通時的モデルで描かれるように、A(グループ)にあっては、その中に位置する米国も日本も、またその他のかつての先進諸国もそうだが、Ⅰ期、Ⅱ期、Ⅲ期へと至る「高度化」の発展段階を経て、Ⅰ’期、Ⅱ’期、そしてⅢ’期へ向かう「低度化」の発展の段階にに見られるように、「システム」の低度化の発展段階をひたすら深化していく歩んを辿るだけなのである。
それを踏まえて結論を先取りして言うならば、私の見る限り私たちの円安問題に関する議論は、日本や米国、あるいは親分の宗主国である覇権国の米国と子分の属国としての日本の関係といった話を議論の前提とか中心に据える論の展開を常識としているように私には思えるのだが、私はそれに対して異を唱え続けてきたと言っても過言ではあるまい。と言うのも、私たちはシステム人として私の語る一つの「システム」の下で生きてきたし、生きているからである。
したがって、日本人であるとか米国人や中国人である前に、私たちはすべて等しくシステム人として存在しており、「システム」の指揮・管理下に直接的に置かれているのだ。私たちの生きている日本は、そのB、C、Aから構成されている「システム」のAに組み込まれた下位的要素にすぎず、「システム」の意向に沿って日本という主権国家・国民国家を演じている、演じさせられているにすぎないのである。「森」と「木」を見誤ってはならない。
その関連から言えば、私たちは本来的な現実の姿として存在する「システム」のA、B、Cのどこかにに位置していたであろう「日本」と「日本人」ではなく、「システム」とそれを構成するA、B、CあるいはB、C、Aの各々の構成要素から切り離された日本と日本人という蜃気楼を、これまでずっと本当の姿であると錯覚しながら見てきたということではあるまいか。私たちの常識としてきた社会科学で描かれる日本とか日本人についても例外ではない、と私はみている。それが今回の円安問題を巡る様々な議論にも垣間見られる。
そこから当然ながら、私たちはこれまで同様に、一歩も先へと進めない論に終始するばかりであることから、私たちが今後の2,30年間に直面するであろう深刻な危機を見通せないままにあると言っても過言ではあるまい。本当に、私には残念至極なのだが、どうにもならないのだ。それは日本の研究者やメディア関係者の言説を見ても、彼らの議論のほとんどすべては、まさにすぐ上で指摘した蜃気楼を議論の前提としているから、ホントにどうする術もない。これは世界の研究者やメディア関係者にも該当する。当然ながら、彼らの提供する情報に洗脳される国民は、「歴史叙述の神話」の世界の殻を打ち破ることも期待できなくなるだろう。
それにしてもなのだが、私の話は何か一つ論を展開するたびに、、決まって悲観的な話の流れとなっていくようだが、この辺で前回記事の最後のくだりで述べていた問題を思い出してほしい。すなわち、ーーーそれゆえ、私たちのナショナリズムが俎上に載せられた開国以降の話を少ししておかなければならない。その際、英国や米国による半植民地状態とされた日本というとき、私の語る「システム」との間において、日本はどのような状態に置かれていたのだろうか。それに関連して、日本を半植民地化した英国や米国は、「システム」との間において、どのような関係にあったのだろうか。これらについては、既に拙著や拙論、またこのブログ記事でも論述しているのだが、改めてまとめてみたい。(続)ーーーである。
開国以降から明治期の日本と日本人は、「健全なナショナリズム」の下で「明るく元気」な姿を示していた云々と司馬遼太郎に代表される知識人等も語っているのだが、これに対して、私は今回記事で論述したような〈「システム」とその関係の歩み〉と結びついた「日本」と「日本人」の姿を、その「システム」から切り離された蜃気楼としての日本と日本人のそれと比較・対照させながら、次回記事では論及してみたい。(続)