日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本

2024-05-06 | 日記
〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本、あるいは日米関係は、「システム」を構成するB、C、AのAの下位要素でしかない。それらを歴史の主要なアクターとして捉える限り、私たちは歴史を見誤るだけとなる。ー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続・続)




 前回記事において指摘していた⑤⑥の内容を踏まえるとき、私たちの円安問題への対応・対抗における手段や処置は、たとえ仮にそれらが首尾よくいったとしても、「システム」とその構成要素であるB、C、Aの関係にはまったく何も影響を与えないということである。すなわち、日本経済の防衛や復活にも、米国経済の動向にも、ほとんど何も影響しないのだ。それどころか、私のもう一つの通時的モデルで描かれるように、A(グループ)にあっては、その中に位置する米国も日本も、またその他のかつての先進諸国もそうだが、Ⅰ期、Ⅱ期、Ⅲ期へと至る「高度化」の発展段階を経て、Ⅰ’期、Ⅱ’期、そしてⅢ’期へ向かう「低度化」の発展の段階にに見られるように、「システム」の低度化の発展段階をひたすら深化していく歩んを辿るだけなのである。




 それを踏まえて結論を先取りして言うならば、私の見る限り私たちの円安問題に関する議論は、日本や米国、あるいは親分の宗主国である覇権国の米国と子分の属国としての日本の関係といった話を議論の前提とか中心に据える論の展開を常識としているように私には思えるのだが、私はそれに対して異を唱え続けてきたと言っても過言ではあるまい。と言うのも、私たちはシステム人として私の語る一つの「システム」の下で生きてきたし、生きているからである。


 したがって、日本人であるとか米国人や中国人である前に、私たちはすべて等しくシステム人として存在しており、「システム」の指揮・管理下に直接的に置かれているのだ。私たちの生きている日本は、そのB、C、Aから構成されている「システム」のAに組み込まれた下位的要素にすぎず、「システム」の意向に沿って日本という主権国家・国民国家を演じている、演じさせられているにすぎないのである。「森」と「木」を見誤ってはならない。


 その関連から言えば、私たちは本来的な現実の姿として存在する「システム」のA、B、Cのどこかにに位置していたであろう「日本」と「日本人」ではなく、「システム」とそれを構成するA、B、CあるいはB、C、Aの各々の構成要素から切り離された日本と日本人という蜃気楼を、これまでずっと本当の姿であると錯覚しながら見てきたということではあるまいか。私たちの常識としてきた社会科学で描かれる日本とか日本人についても例外ではない、と私はみている。それが今回の円安問題を巡る様々な議論にも垣間見られる。


 そこから当然ながら、私たちはこれまで同様に、一歩も先へと進めない論に終始するばかりであることから、私たちが今後の2,30年間に直面するであろう深刻な危機を見通せないままにあると言っても過言ではあるまい。本当に、私には残念至極なのだが、どうにもならないのだ。それは日本の研究者やメディア関係者の言説を見ても、彼らの議論のほとんどすべては、まさにすぐ上で指摘した蜃気楼を議論の前提としているから、ホントにどうする術もない。これは世界の研究者やメディア関係者にも該当する。当然ながら、彼らの提供する情報に洗脳される国民は、「歴史叙述の神話」の世界の殻を打ち破ることも期待できなくなるだろう。


 それにしてもなのだが、私の話は何か一つ論を展開するたびに、、決まって悲観的な話の流れとなっていくようだが、この辺で前回記事の最後のくだりで述べていた問題を思い出してほしい。すなわち、ーーーそれゆえ、私たちのナショナリズムが俎上に載せられた開国以降の話を少ししておかなければならない。その際、英国や米国による半植民地状態とされた日本というとき、私の語る「システム」との間において、日本はどのような状態に置かれていたのだろうか。それに関連して、日本を半植民地化した英国や米国は、「システム」との間において、どのような関係にあったのだろうか。これらについては、既に拙著や拙論、またこのブログ記事でも論述しているのだが、改めてまとめてみたい。(続)ーーーである。


 開国以降から明治期の日本と日本人は、「健全なナショナリズム」の下で「明るく元気」な姿を示していた云々と司馬遼太郎に代表される知識人等も語っているのだが、これに対して、私は今回記事で論述したような〈「システム」とその関係の歩み〉と結びついた「日本」と「日本人」の姿を、その「システム」から切り離された蜃気楼としての日本と日本人のそれと比較・対照させながら、次回記事では論及してみたい。(続)




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(加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防

2024-05-06 | 日記
(加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防衛といったナショナリズムを担い支えるとき、私たちが呑み込まれてしまったグローバリズムの正体は一体なんであるのかー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続)




 それでは前回記事の続きといこう。今回記事の要点を以下にまとめてみたい。なお、最初に断っておくが、前回記事と今回記事の要点について、記事でそれらのすべてを論及できないときは、読者の想像力をかきたてながら、要点のくだりを具体的な例に置き換えて考えていただければ幸いである。


①前回記事において、ーーー「1対99」といった図式で語られる1%の米国社会を動かしていると言われてきた、いわゆる世界の超富裕層がいかなる金利や為替相場を望んでいるのかーーーと述べていたが、その「米国社会を動かしていると言われている1%の超富裕層」を、私の語る「システム」を軸としてそこから捉え直すとき、どのように描けるのだろうか。これまた何度も論述してきたことだが、1%の超富裕層と「システム」との力関係はどのように考えられるかということである。
結論を先取りして言えば、「システム」は1%の超富裕層の操り人形ではなく、彼らから独立した存在であると同時に、彼らは「システム」の意向に沿って行動するのだ。


②そうした話の流れと連動するのだが、私の語る「システム」は、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」であるが、それらの下位システムは各々独立したシステムであることを先ずは銘記してほしいのだ。これまでの私たちというか「こちら側」に属する人たちの常識は、一つの世界資本主義システムを、物事を考える際の基本軸として、そこから政治や社会・文化に至るほとんどすべての出来事が派生する、導かれるかのように物事を捉え論じることができるとしてきた、と私はみている。


③それはいわゆる下部構造と上部構造との関係として語られてきたのだが、そうした見方に対する私の一番の違和感は、その下部構造をつくり出す、さらにその背後にある「下部構造」が存在しているのではないかとの私の見方がそうした違和感に関係している。私は資本主義システムの前に、そのシステムをつくり出す覇権システムの存在を今回記事においても強調しておきたいのだ。すなわち、私たちは各々の自己存在とその自己決定権の実現のために、各人は力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した争奪戦を繰り返してきた、と私はみている。その過程において、より多くの力を獲得した者がやがて「親分」となり、その下に「子分」をつくり出していく。そうした「親分」と「子分」の関係は、私たちの生活環境のいろいろな次元において存在しているのだが、そこから次第に大きな一つの「親分と子分の関係」が、すなわち覇権国と周辺国との関係が、そして覇権システムがつくり出されていくことになる。


④その覇権システムの中で一番上位に位置する親分が、その仲間たちと協調・共同しながら、親分に都合のいい「衣食足りて礼節を知る」営為の関係のネットワークをつくり出していく。ここに示したように、私は、世界の物事を決めていく中心的存在として、覇権システムを位置付けている。その意味では、世界資本主義システムは、この覇権システムの存在によって規定されている、と私はみている。等しく私の語る「システム」の下位システムとして位置しているものの、覇権システムは世界資本主義システムと世界民主主義システムの上位に位置づけられるのである。


⑤ここで思い出してほしいのが、{[A]→(×)[B]→[C]}と{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で表した〈「システム」とその関係の歩み〉である。前者は1970年代までの、後者は1970年代以降今日に至るモデルである。私がこれらの図式で伝えたかったのは、あくまでも私たちの「歴史」を見る基本軸は、この〈「システム」とその関係の歩み〉であり、そこで示されているA(グループ)、B(グループ)、C(グループ)とそれらの関係から構成される「システム」であるということである。日本や米国、日米関係を語る際、私たちはいつもこの〈「システム」とその関係の歩み〉を議論の軸とした、あくまでもその枠の中での日本であり米国であり、日米関係であるということを忘れてはならないということである。


⑥それゆえ、日米経済関係とそこでのドル高や円安問題は、常に〈「システム」とその関係の歩み〉とその構成要素であるA、B、Cの相互間の関係を本来的には語っていることを確認・銘記しておく必要があるのだ。換言すれば、今の円安問題は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる「システム」とその構成要素であるB、C、Aの関係を現実問題として、俎上に載せているということである。すなわち、B、C、Aの相互間の関係からつくられる「システム」のAにおける米国という下位の構成要素と日本のそれを語っているのだ。それゆえ、あくまでも私たちの中心的な議論は、上位のB、C、Aとそれらによって構成される「システム」の歩みであることを看過してはならない。


⑦ここまでの①②③④⑤⑥の内容を踏まえて、前回記事で述べていたーーーそもそも日本の経済繁栄は、米国が日本を米国を親会社とする株式会社の本店に組み込まれた子会社としての米国支店として創造してくれたことによる。米国の覇権システムと「システム」における世界戦略によって、日本は戦後の驚異的な経済復興と発展・繁栄を謳歌したのだが、ーーーのくだりを捉え直すとき、「米国を親会社とする株式会社の本店」の更に上位に位置する「システム」という仕組みの存在に目を向ける必要があると同時に、その「システム」と「米国が日本を米国を親会社とする株式会社の本店に組み込まれた)子会社としての米国支店として創造してくれた」日本の関係について、改めて再考することを迫られるに違いない、と私はみている。




 それでは少し前置きが長くなってしまったが、前回記事からわかることは、私たちは突然急降下したかのような「円安」傾向を前にして錯覚に取り憑かれてしまったかのような日本経済の防衛論議に盛り上がり、挙句はそこから経済ナショナリズムの高揚が顕著となっているように私には思われるのだが、この空気というかこうした風潮はどこかおかしいのではあるまいか。たとえば、植田日銀では円安の流れに打つ手なしとか、日本の保有するドルを今すぐ売って円安を防止すべきであるとか、このまま円安を放置すれば、日本の国力は失われるとか、何か日本のナショナリズムを煽ってしまうような主張が散見されるのだ。本来ならば、あくまでも⑥で述べていた問題にこそ目が向けられなければならないのだが。


 前回記事でも述べたように、私は日本は米国の支配下に組み込まれた半独立状態の半主権国家としての体しか成してはいないと思うことから、そんな日本国家を前にしてどうしてかくも日本経済の防衛だとか独立性を保持しなければならないかのような議論に終始できるものだと不思議に思うからである。そこには、心底日本は独立した主権国家として存在していると信じ切っている多くの国民が存在しているのかもしれない。


 いずれにしても、私には今の円安問題を起点とした経済ナショナリズムの流れは、米国と日本との「親分ー子分」関係から目を背けさせることによって、覇権システムと「システム」の存在にも背を向けさせる危険性があるとみている。そこから前回記事でも述べていたように、「本丸」の議論ではなく、枝葉末節な円安問題に関連した日米の経済論議に多くの国民の目を向けさせることに貢献するばかりとなる。覇権システムと「システム」に深くかかわる利害関係者には大いに歓迎されるところとなる。


 それにしても、もはや国境とか国家の壁はない云々と久しく言われてきたはずのグローバリズムの時代に私たちは生きているにもかかわらず、今のこうした経済ナショナリズムの動きはどのように説明できるのだろうか。私たちのナショナリズムの常識とグローバリズムの常識とはどのようにこの関係を位置づけ整理するのだろうか。さらに、国民のどのくらいの者がナショナリズムとグローバリズムの関係を理解しているのだろうか。主権者としての国民とか、主権国家としての日本を語る際には、どうしてもこのナショナリズムに関して押さえておく必要があるだろう。


 それゆえ、私たちのナショナリズムが俎上に載せられた開国以降の話を少ししておかなければならない。その際、英国や米国による半植民地状態とされた日本というとき、私の語る「システム」との間において、日本はどのような状態に置かれていたのだろうか。それに関連して、日本を半植民地化した英国や米国は、「システム」との間において、どのような関係にあったのだろうか。これらについては、既に拙著や拙論、またこのブログ記事でも論述しているのだが、改めてまとめてみたい。(続)



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