日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(加筆・修正版)私の語る「システム」論から、「システム」とその下位システムの「支配(管理)の手段・道具」としての「役割」を担った人文・社会科学の「知」を問い直すときー「歴史叙述の神話」を打破するための

2022-01-24 | 日記

 

(加筆・修正版)私の語る「システム」論から、「システム」とその下位システムの「支配(管理)の手段・道具」としての「役割」を担った人文・社会科学の「知」を問い直すときー「歴史叙述の神話」を打破するための「起点」となるのは?(続)


(最初に一言)の前の、これまでの記事に対する私自身の「コメント」


私のブログ記事での私の話は、何度もこれまた言及してきたように、私の「仮説」と、それに依拠した私の「主張」というか、「論説」である。最近の記事での私は、あろうことか、研究者がそれこそ一生かけても到達できない研究対象とそれに関する研究に対する「成果」を、ほとんど踏まえることなく、つまりはそれに対する敬意を表しないかのように、バッサ・バッサと、なりふり構わず論及しているように、私自身も、そう思ってしまう。

何度も言うように、そうした「所業」は、私の語る「システム」論から、おこなっていることを、その都度、断っている。サルトルやカミュ、あるいはマルクスやマルクス主義等の専門家というか研究者には相当に腹立たしいことも、確かに意図的に述べているくだりもあるのだが、それはすべて、私の語る「システム」論を前提としての、私のささやかな「抵抗」の証に過ぎない。

私の語る「システム」論を、それこそ俎上に載せて侃々諤々と論じてくれたならば、垢の一つや二つに気がつくかもしれないだろうに。だが、これだけは私も指摘しておきたいのだが、自由、民主主義、人権、法の支配、平和党の普遍的価値とその実現の歩みである普遍主義に関しては、私もそんじょそこらの専門家に対しては、譲れないなにがしかの積み上げてきた成果を手にしている、と。(***後でこのくだりを読みながら、私自身に対して、赤面したのだが、この箇所は、自分自身の未熟さを自覚・自戒するための一文として、そのまま残すことにした。このようなことを述べる暇があれば、どうすれば、もっと今よりは少しでもマシな社会ができるかについての術を、考えるべし、だろうが。)

それゆえ、自由主義、民主主義、帝国主義、民族主義(ナショナリズム)の「渾然たる一体的関係」を、他の誰よりも的確に、その意味では「公平」に論じることができたと、自負している。それは、サルトルの語るアルジェリアのフランスに対する民族解放のための(反)植民地独立戦争に関する位置づけ方理解の仕方の問題点を的確かつ公平に議論できるということを意味している。それゆえ、同時にまた、サルトルによるカミュに対する批判に垣間見られる問題点も、さらには、カミュによる「革命」ではなく「反抗」的生き方の提唱に対しても、より的確活公平な論評ができる、と考えている。

私から見れば、サルトルも、カミュも、また彼らを取り上げた研究者も、すぐ上で指摘したように、〈自由主義、民主主義、帝国主義、民族主義(ナショナリズム)の「渾然たる一体的関係」〉と、それが抱える問題に関して、究明ないし論及を試みてきたとは、私には思われないからだ。それゆえ、どうして、私たちがそれに従いながら歩むべきだ、とサルトルやマルクス主義者の説く「歴史」など描けようか、描けるはずもない、と私は言わざるを得ないのである。

*念のために、ここで付言すれば、私の語る「システム」論で提示している〈「システム」とその関係の歩み〉に関するモデルは、先の「渾然たる一体的関係」を表したものである。


それでは、今回のブログ記事に取り掛かるとしよう。


(最初に一言)


サルトルもまたカミュも、さらにその他の哲学者・思想家たちは、彼らの生きた時代と空間の中で、各人各様の人生の意味(無意味)を問い続けながら、自由(不自由)とは、幸福(不幸)とは、社会の抱える不条理(正義)について、思案し続けたのだろうが、それはまた、私が拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房、2014年)の中で、引用・紹介した尾崎豊も例外ではなかった。

勿論、私たちも、大なり小なり、人生の中でいろいろなことに悩み、苦しむと同時に、喜びや幸せを感じながら、「生きるとは何であり、また何のために生きるのか」云々について考えているに違いないだろう。そして、その中で、人間関係や社会における不条理に直面したり、同時にまた、「正義」とは何かについて、繰り返し問い質しながら生きていくのだろう。それを意識するかしないかは別にしても、である。


ここで、行論の都合上、以下に尾崎豊の「僕が僕であるために」の歌詞を引用・貼り付けておきたい。


ーーー


(引用貼り付け、開始。)


「僕が僕であるために」 (作詞・作曲尾崎豊、1991年5月15日、発表)


心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる


別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから


君が君であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる


(以上、引用貼り付け、終わり)


ーーー

すぐ上で紹介した尾崎の歌にある次のくだり、すなわち〈僕(君)が僕(君)であるために勝ち続けなきゃならない/正しいものは何なのか/それがこの胸に解るまで/僕は街にのまれて/少し心許しながら/この冷たい街の風に歌い続けてる〉は、何度聴いても、私の胸に痛く響いてくる。

****尾崎の凄さは、ここにある〈僕(君)が僕(君)であるために、勝ち続けなきゃならない〉と鋭く説いているところだ、と私は感じた次第。私のいう「自己決定権」の獲得とその実現のために、力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した「争奪戦」を繰り返す中で、「親分ー子分」関係にみる差別と排除の関係がつくり出されていく云々と、重なる、と私はずっと後になって、気がついたのである。この「僕」は、まさに絶対王政時、以来の「主権国家」、そしてその後の「国民国家」にも言い換えられると同時に、そうした共同体をもとにした民族主義(ナショナリズム)を前提としてつくられていく覇権システムへと繋がるところである。


今のコロナ禍の社会で、コロナワクチン(接種)に関する情報が乱れ飛び、それこそ、何が正しいのかさえ、問い詰めれば問い詰めるほど、わからなくなってくる。しかも、安倍や菅、さらには、その前の内閣もそうだったが、嘘に嘘を重ねての「政治」がこれでもか、と言わんばかりに強引に推し進められ、それにメディアとそこに登場する政府ご用達の専門家連中の胡散臭い発言が重なって、もう誰も信用できないなあ、との空気というか雰囲気の中でのコロナ騒動であるから、何をいわんや、いわんかなあ、の連続となっているのだ。


それはさて置き、哲学者や思想家さらには尾崎豊等の人生に関連した問い掛けは、私の語る「システム」論とコラボさせてみるとき、以下のような問題提起が可能となるのではあるまいか。すなわち、彼らも日常生活の中で、彼らの哲学を思考するわけだから、彼ら自身の存在を継続的に維持する必要がある。そのためには、彼らの安全かつ安心できる「衣・食・住」の確保が、当然のことながら、その前提条件となるだろう。

それでは、彼らはその「衣・食・住」に関する「商品」を、どこで調達するのか。それは各種商品を取りそろえた商店からであろう。もとより、彼らが直接商品を購入するかは別にかまわない。それでは、その商店は、その顧客との間で売買する商品を、どこから、どのようなネットワークを介して、仕入れてくるのだろうか。

こうした問いかけを、さらに次へ、そしてまたさらに次へと展開していくとき、最後に見えてくるのは、私の語る「システム」論で描く〈「システム」とその関係〉から、辿り辿って、巡り巡って、仕入れている、ということになるのだ。それゆえ、偉大な哲学者や思想家と言えども、また尾崎もそうであるが、さらには私たちも結局のところは、そうした関係の下で、仕入れた商品を購入しているということになる。


そうした関係を、前回記事における私の話に置き換えて述べるならば、以下のようになる。すなわち、ーーー私たちがこの世に生を受けた瞬間に、私たちの好むと好まざるとにかかわらず、〈{[Aの衣食足りて]→[Bの衣食足りて・足りず]→[Cの衣食足りず]}の営為と、{[Aの礼節を知る]→[Bの礼節を知る・知らず]→[Cの礼節を知らず]}の営為の関係〉の中で生きることを強いられるという、「不条理」極まりのない「世界・セカイ」なのだ。ーーー


そして、この二つの営為の関係は、「「Aの衣食足りて→礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係として、描き直すことができる。いずれにしても、哲学者や思想家、そして私たちは、こうした差別と排除の関係を前提とした不条理な世界・セカイを介して、自らの衣・食・住に関する商品の購入を、日々繰り返しているということになるのではあるまいか。なお、図式の記号等の簡単な説明に関しては、前回記事を参照されたい。

**ここでも、念のために付言すれば、すぐ上で紹介したモデルは、サルトルやカミュの生きた時代を射程に入れた1970年代までのA、B、Cの関係から構成された〈「システム」とその関係の歩み〉を描いた図式であるが、尾崎豊の生きた時代は、正確に言えば、1970年代以降から今日に続くB、C、Aの関係から構成される〈「システム」とその関係の歩み〉であることを、ここで改めて強調しておきたい。ここでは、尾崎も前者のモデルに含めた話を便宜的にしていることを、断っておきたい。


こうした点を鑑みるとき、私はそこから以下のような問いかけをするのだ。実存主義哲学者に限らず、人生の不条理さを考察する者は、私の語る「システム」論で描く差別と排除の関係を前提としてつくられてきた〈「システム」とその関係の歩み」〉それ自体が体現している、「システム」の「不条理」さと、どのように向き合っているのか、という問いかけである。逆に言うならば、私は、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉から、哲学者や思想家、あるいは尾崎が問うている人生や社会の不条理さと彼らの問題点を、捉え直すことを試みてしているのである。


たとえ、いかに高邁な哲学者や思想家であろうとも、まったく彼らが現実に生きている暮らしている「空間」(私の語る意味での「システム」を指している。)の不条理には、まったく無頓着のままに、人生の不条理を哲学しているそんな様を、私はついつい想像してしまうのだが、なに不自由のない生活を送っている者の中には、彼ら自身の人生の不条理と、彼らもまたそこに組み込まれているはずの社会(私の言う「システム」)の不条理に関して、両者の結びつきを哲学するのは、やはり難しいのかもしれない。


私は今こう述べながら、イギリスの哲学者であったJ・S・ミルの「自由論」を思い出した。さらに、J・ロックの「市民政府二論」でのある有名なくだりが念頭に浮かんだ。簡潔に言えば、彼らの「自由」は、インドやアメリカ大陸の「土着人」を奴隷的存在とするイギリスの帝国主義(帝国支配)と密接不可分な関係にあったということである。そして、そのイギリスの帝国主義、帝国支配は、私の語る「システム」論の「システム」の一構成要素として、位置付け理解されるものである。

結論を先取りして言えば、ミルもロックも、イギリスの帝国主義、帝国支配を何ら疑問視することなく、むしろそれを当然の前提とした議論に終始しているのだ。それゆえ、彼らが、イギリス帝国主義やイギリス帝国支配をその内に組み込んだ私の語る「システム」論とそこで展開されている「システム」とその「関係」とその「不条理」を、疑問視したり、批判・非難したりするのは、先の先の、またまた先の、遠い遠い話となるのは間違いなかろう。


(最後に一言)

今回記事も、また以前にどこかで書いたような記事を、練り直しながら書いている?ような、そんな感じがするのだが。それでも、私なりに何とか工夫しながら、話そうとしているのは確かではあるが、それでも、まだまだといったところ。

とにかく、最近は昼と夜が完全に逆転してしまい、これが結構ツライ、つらい。若い頃には想像もしなかったようなことが最近はアルは在るはで、私より年長者には心から「エライなあ」の感慨もひとしおとなる。

それにしても、このコロナ禍を生き抜くのは大変だ。目の不自由さのせいに、すべてしたくはないが、ほとんど家の中にいるだけの毎日だから、しかもなかなか運動もできない中で、気分転換もままならないから、やはりストレスはたまる一方。それでも、私はまだ恵まれている。こうして文章が、まだ書けるのだから。

そんな私のつまらない、どうでもいい話は別にして、若い人たちが、大変な思いをしながら、生きていることを思うと、本当に申し訳ないのだが、とにかく、生き抜いてほしい、とそれだけを願うのみ。こんなことしか言えない私自身にも辛いのだが、とにかく、そう伝えるしか、仕方がないのだ。ごめんなさい。

 


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