「在沖米軍基地」の中に、あるいはその背後に「覇権システム」の存在をどれだけ感じられるか、想像できるか、それが肝心な問題である。(続)
さすがに疲れてしまった。むなしいことばかりを書き続けている。ただ少し目を休めたので、今日また前回の続きを書いてみた。やはりむなしさばかりが募るのだが、とにかく書いてみた。読者には申し訳ないが、お付き合いお願いしたい。
これまでの議論を踏まえて少しまとめてみると、在沖米軍基地問題を基地肯定派の立場から「理論武装」するならば、それはいわゆる現実主義からの応援歌となるだろう。しかし、それは私たち、失礼、私のような日本を離れられない、海外で自由気ままに生きられない者にとっては、ほとんど助けにならないどころか命をちじめる役に立たない代物なのだ。(付言すれば、システムとその関係の歩みを理解できない理想主義も、また同様に命取りの話とならざるを得ない。)国力とか、国益とか、また国家とか国力とか国益を前提とした勢力均衡の原則、現代的には集団的自衛権の行使に匹敵するが、何も役立たないのだ。1970年代以降のシステムとその関係の歩みの中で、Aに位置した、それも注意からどんどんその地位を加工させている日本にとっては、有害無益なものなのだ。
それゆえ、沖縄米軍基地問題は、手前味噌な議論だということを重々ここで断った上で言うのだが、やはりシステムとその関係の歩みを基にして論じることが必要なのだ、と私は指摘しておきたい。そればかりではない。前々回の藤原の議論も、またそうだ。現実主義と理想主義を前提としてそれを批判的に考察しながらそこから導き出した見解も、同じように役には立たないのだ。そもそも国際政治や国際関係を捉える前提がおかしい、怪しいのだから。例えば、誰がスポンサーなのか。彼らに軍資なり武器を提供しているのは誰なのか。必ずその背後には「対称」的世界の国家が存在している。そもそも「対称」的とか「非対称的云々の見方は果たして妥当なのか。Aの国家、とくにAの覇権国とCの国家はそもそも「非対称」的存在ではないのか。何故それを直視しないままに、対等な存在として並列的に描いてきたのか。覇権システムの背後で誰かが笑ってはいないだろうか。
ところで前回の話の流れを少し整理しておきたい。これまで私が述べてきたことは、問題となるのは、理想主義や現実主義の立場や見方がおかしいとかいいとかの次元の問題ではなく、そもそもそれらの主義に関した議論が、本来ならば当然の如く前提とされなければならないはずのシステムとその関係の歩み(在り方)と結び付けられないままに切り離されて語られてきたということである。従来の国際政治学や国際関係の議論は、理想主義と現実主義を考察する際、それを語る論者自身がシステムとその関係の歩みのどの地点、段階に位置しているかを不問に付したままに論じられてしまい、その結果として、システムとその関係の歩みによって描かれる世界の抱える差別と排除の関係を無批判のままに肯定、正当化するように関わってきたのではあるまいか。例えば、マスコミ報道によるイエメン内戦の政府軍と反政府軍の武力衝突を、その背後に控えたスンニ派のサウジアラビアとその支持勢力としての米国と、シーア派のイランとその支持勢力としてのロシアとの代理戦争として描いているが、これもまた1970年代以降の{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で示されるシステムとその関係の歩みの中で捉え直さない限り、いつまでたっても先のマスコミ報道の域を出ることはないのではあるまいか。
前回、前々回の記事紹介の中で藤原が指摘した信条であれ、利益であれ、また軍事力とその行使であれ、システムとその関係の歩みとしての歴史を舞台として、前提として創造されてきたのである。信条や利益は、また軍事力は各々単独でつくられ、一人歩きできる要因、要素ではない。それらは私たちの日々の生活の中からつくり出されてきた、生み出されてきたのである。それゆえ、私たちの生活関係が、どのような仕組みを基にしてつくられてきたか、創造されてきたかについて語っておかねばならないだろう。ところが藤原をはじめ、政治学者の多くはこうした作業を経ないままに、やれ理想主義とか現実主義を語ってきたのである。
何も難しい話ではない。たとえば、福沢諭吉のように、世界とその関係を「文明ー半開ー野蛮」のそれとみるのか、I・ウォーラステインのように「中心ー半周辺ー周辺」のそれとみるのか、とにかく、各人が世界がどのような関係から構成されているかに関して、彼らの見解を提示しておかなければならないだろう。この世界構成に関する見方がないままにどうして信条や利益や軍事力云々の話ができるのだろうか。もしそれができるとすれば、それは宇宙人のような存在が語る話となる。藤原の先の議論もその例外ではないのだ。最低限のところ、「先進国(先発国)ー中進国(中発国)ー後進国(後発国)」の関係を前提とした信条、利益、軍事力の行使云々に関する論の展開は必要ではなかろうか。
たとえば、CがⅠ期の段階にあるときに理想主義を語ることは、Cにおいては得策ではないが、逆にAにおいては、そうしたCの選択はAの高度化の歩みには、またシステムの歩みにおける高度化においても、好都合なものとなる。結局のところ、Cの理想主義は、システムとその歩みの関係の中で、頓挫するだろうし、そのためにCはⅠ期の段階の政治(すなわち、{[権威主義的性格の政治→経済発展]}に終始することとなるが、その政治はCにおいては、AとBとの関係の中において高度化を図る上で選択される最善の現実主義的な政治手法となるに違いない。
1970年代以降のシステムとその関係の歩みにおいて、例えばAが理想主義的政策を選択することは、Ⅰ’期、Ⅱ’期そしてⅢ’期とシステムの低度化の歩みを不可避とする中で、国際関係において、ますますAの地位を不利にするのに与るが、逆に、B矢Cにおいてはシステムの高度化を至上命題としていることから、彼らのⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期の段階における政治手法は、まさに現実主義的な政治だとみなされるに違いない。
戦後日本における理想主義を考えると、敗戦以降の日本は米軍主導のGHQの占領下におかれていた。独立もしていない当時の日本で理想主義的態度を持つ日本国民の存在それ自体が本来はありえないこととしても、それを可能にさせたのは、システムとその関係の歩みにおいて主導的地位に位置していた覇権国の米国の存在であったことを忘れてはならない。
圧倒的軍事力を持つ覇権国の米国とその物理的暴力と、占領下に見られた日本の理想主義的態度の情勢の間にはいかなる関係がみられるのだろうか。その際、Aの米国の現実主義と理想主義の関係、Cの日本の現実主義と理想主義の関係、Aの米国の理想主義とCの日本の理想主義の関係、Aの現実主義とCの現実主義の関係、Aの理想主義とCの理想主義、Aの理想主義とCの現実主義との各々の関係における、それぞれの立ち位置とその関係は、システムとその関係の歩みから見るとき、どのように論じることができるのだろうか。
おそらくこうした問題意識の下で、上述した理想市議と現実主義の関係を問うていくならば、これまで何度も指摘してきたように、システムとその関係の歩みを真正面に据えた議論が先ずは何よりも優先されることに気が付くはずだ。
さすがに疲れてしまった。むなしいことばかりを書き続けている。ただ少し目を休めたので、今日また前回の続きを書いてみた。やはりむなしさばかりが募るのだが、とにかく書いてみた。読者には申し訳ないが、お付き合いお願いしたい。
これまでの議論を踏まえて少しまとめてみると、在沖米軍基地問題を基地肯定派の立場から「理論武装」するならば、それはいわゆる現実主義からの応援歌となるだろう。しかし、それは私たち、失礼、私のような日本を離れられない、海外で自由気ままに生きられない者にとっては、ほとんど助けにならないどころか命をちじめる役に立たない代物なのだ。(付言すれば、システムとその関係の歩みを理解できない理想主義も、また同様に命取りの話とならざるを得ない。)国力とか、国益とか、また国家とか国力とか国益を前提とした勢力均衡の原則、現代的には集団的自衛権の行使に匹敵するが、何も役立たないのだ。1970年代以降のシステムとその関係の歩みの中で、Aに位置した、それも注意からどんどんその地位を加工させている日本にとっては、有害無益なものなのだ。
それゆえ、沖縄米軍基地問題は、手前味噌な議論だということを重々ここで断った上で言うのだが、やはりシステムとその関係の歩みを基にして論じることが必要なのだ、と私は指摘しておきたい。そればかりではない。前々回の藤原の議論も、またそうだ。現実主義と理想主義を前提としてそれを批判的に考察しながらそこから導き出した見解も、同じように役には立たないのだ。そもそも国際政治や国際関係を捉える前提がおかしい、怪しいのだから。例えば、誰がスポンサーなのか。彼らに軍資なり武器を提供しているのは誰なのか。必ずその背後には「対称」的世界の国家が存在している。そもそも「対称」的とか「非対称的云々の見方は果たして妥当なのか。Aの国家、とくにAの覇権国とCの国家はそもそも「非対称」的存在ではないのか。何故それを直視しないままに、対等な存在として並列的に描いてきたのか。覇権システムの背後で誰かが笑ってはいないだろうか。
ところで前回の話の流れを少し整理しておきたい。これまで私が述べてきたことは、問題となるのは、理想主義や現実主義の立場や見方がおかしいとかいいとかの次元の問題ではなく、そもそもそれらの主義に関した議論が、本来ならば当然の如く前提とされなければならないはずのシステムとその関係の歩み(在り方)と結び付けられないままに切り離されて語られてきたということである。従来の国際政治学や国際関係の議論は、理想主義と現実主義を考察する際、それを語る論者自身がシステムとその関係の歩みのどの地点、段階に位置しているかを不問に付したままに論じられてしまい、その結果として、システムとその関係の歩みによって描かれる世界の抱える差別と排除の関係を無批判のままに肯定、正当化するように関わってきたのではあるまいか。例えば、マスコミ報道によるイエメン内戦の政府軍と反政府軍の武力衝突を、その背後に控えたスンニ派のサウジアラビアとその支持勢力としての米国と、シーア派のイランとその支持勢力としてのロシアとの代理戦争として描いているが、これもまた1970年代以降の{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で示されるシステムとその関係の歩みの中で捉え直さない限り、いつまでたっても先のマスコミ報道の域を出ることはないのではあるまいか。
前回、前々回の記事紹介の中で藤原が指摘した信条であれ、利益であれ、また軍事力とその行使であれ、システムとその関係の歩みとしての歴史を舞台として、前提として創造されてきたのである。信条や利益は、また軍事力は各々単独でつくられ、一人歩きできる要因、要素ではない。それらは私たちの日々の生活の中からつくり出されてきた、生み出されてきたのである。それゆえ、私たちの生活関係が、どのような仕組みを基にしてつくられてきたか、創造されてきたかについて語っておかねばならないだろう。ところが藤原をはじめ、政治学者の多くはこうした作業を経ないままに、やれ理想主義とか現実主義を語ってきたのである。
何も難しい話ではない。たとえば、福沢諭吉のように、世界とその関係を「文明ー半開ー野蛮」のそれとみるのか、I・ウォーラステインのように「中心ー半周辺ー周辺」のそれとみるのか、とにかく、各人が世界がどのような関係から構成されているかに関して、彼らの見解を提示しておかなければならないだろう。この世界構成に関する見方がないままにどうして信条や利益や軍事力云々の話ができるのだろうか。もしそれができるとすれば、それは宇宙人のような存在が語る話となる。藤原の先の議論もその例外ではないのだ。最低限のところ、「先進国(先発国)ー中進国(中発国)ー後進国(後発国)」の関係を前提とした信条、利益、軍事力の行使云々に関する論の展開は必要ではなかろうか。
たとえば、CがⅠ期の段階にあるときに理想主義を語ることは、Cにおいては得策ではないが、逆にAにおいては、そうしたCの選択はAの高度化の歩みには、またシステムの歩みにおける高度化においても、好都合なものとなる。結局のところ、Cの理想主義は、システムとその歩みの関係の中で、頓挫するだろうし、そのためにCはⅠ期の段階の政治(すなわち、{[権威主義的性格の政治→経済発展]}に終始することとなるが、その政治はCにおいては、AとBとの関係の中において高度化を図る上で選択される最善の現実主義的な政治手法となるに違いない。
1970年代以降のシステムとその関係の歩みにおいて、例えばAが理想主義的政策を選択することは、Ⅰ’期、Ⅱ’期そしてⅢ’期とシステムの低度化の歩みを不可避とする中で、国際関係において、ますますAの地位を不利にするのに与るが、逆に、B矢Cにおいてはシステムの高度化を至上命題としていることから、彼らのⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期の段階における政治手法は、まさに現実主義的な政治だとみなされるに違いない。
戦後日本における理想主義を考えると、敗戦以降の日本は米軍主導のGHQの占領下におかれていた。独立もしていない当時の日本で理想主義的態度を持つ日本国民の存在それ自体が本来はありえないこととしても、それを可能にさせたのは、システムとその関係の歩みにおいて主導的地位に位置していた覇権国の米国の存在であったことを忘れてはならない。
圧倒的軍事力を持つ覇権国の米国とその物理的暴力と、占領下に見られた日本の理想主義的態度の情勢の間にはいかなる関係がみられるのだろうか。その際、Aの米国の現実主義と理想主義の関係、Cの日本の現実主義と理想主義の関係、Aの米国の理想主義とCの日本の理想主義の関係、Aの現実主義とCの現実主義の関係、Aの理想主義とCの理想主義、Aの理想主義とCの現実主義との各々の関係における、それぞれの立ち位置とその関係は、システムとその関係の歩みから見るとき、どのように論じることができるのだろうか。
おそらくこうした問題意識の下で、上述した理想市議と現実主義の関係を問うていくならば、これまで何度も指摘してきたように、システムとその関係の歩みを真正面に据えた議論が先ずは何よりも優先されることに気が付くはずだ。