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kオジサンの中山道旅日記 その11 馬籠バス停からJR十二兼駅 まで

2018-06-17 23:47:37 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月17日(日) 曇のち晴 馬籠バス停からJR十二兼駅まで

第11回です。前回の続きでJR中津川駅からバスに乗って馬籠宿に向いました。そして前回、終了した中山道歩きを馬籠宿から再開しました。
馬籠宿から妻籠宿へ、そして三留野宿を通りJR十二兼駅まで歩きました。これまで歩いて来たのが岐阜県で、馬籠峠からは長野県に入りました。木曽路です。
馬籠宿では人がチラホラ。常時なら、宿場町をウロウロする観光客が居るのですが、全く人が居ないシーンを撮影する事が出来ました
妻籠宿では宿場の中心に行くにしたがって観光客を見かけました。それでも、観光客の数は少ないのではと思いました。馬籠宿から妻籠宿への道が「ロンリープラネット」と言う旅行誌で、紹介されているようで、外国人がそれを参考にするらしいのです。
男滝・女滝で外国人カップルを見かけました。それに大妻籠ではメキシコ人に会いました。また、帰路に南木曽駅で乗車して来る外国人を見かけました。これ程、歩く外国人が少ないのは珍しいことではなかろうか。
反面、妻籠宿から馬籠宿まで歩く日本人を何人も見かけました。日本人は妻籠宿や馬籠宿の宿場界隈をウロウロするだけです。歩いてみて、街道の雰囲気を味わう日本人が多くなる。
好い傾向ではなかろうか。

JR中津川駅 ・・・・・ 馬籠宿バス停  ― 馬籠宿の枡形  ― 藤村記念館  ― 
馬籠宿脇本陣 ― 
馬籠宿高札場 ― 馬籠上陣場跡 ― 水車塚 ― 梨子ノ木坂 ―
 十返舎一九の狂歌碑  ― 
峠集落 ― 馬籠峠 ― 一石栃立場茶屋 ― 
一石栃の白木改番所跡 ― 男滝・女滝 ― 
倉科祖霊社 ― 庚申塚 ― 大妻籠  ―
 神明橋 ― 大妻橋 ― 妻籠発電所  ― 
妻籠宿の枡形  ― 妻籠宿本陣  ― 
妻籠宿高札場  ― 口留番所跡 ― 鯉岩  ― 
妻籠城址分岐 ― 上久保の一里塚 ―    かぶと観音 ― 南木曽駅への分岐  ― 園原先生碑― 貯木場 ― 梨子沢 ― 
三留野宿本陣跡 ― 与川道分岐 ― 中央線ガード下 ― 
柿其入口 ― 南寝覚
 ― JR十二兼駅




馬籠峠に設置してあった中山道の案内図。
左下から右上へ歩きました。




(08:52)
中津川駅前のバス乗場です。
ここから市民病院行きや馬籠行きが発車しています。
バスは9時10分発です。
9時06分に着く列車でも良いのですが、1本前の列車に乗って来て駅前をブラブラしました。



(09:19)
バスの車窓から。
バスは中津川市内を抜け、旧国道19号線を走りました。
左前方に見えたのが落合ダムです。
木曽川堰き止め満水状態です。


馬籠宿バス停

(09:34)
馬籠バス停に着きました。
バスに乗っていたのは10人ほど。
途中、中切から女性二人が乗りましたが、全員が中津川駅から馬籠までの乗車でした。
大きなスーツケースを持った外国人も居ました。
あんなスーツケースを引っ張りながら宿場街を歩くのだろうかと思ってしまいました。





ここが馬籠宿の西入口です。
中山道馬籠宿の石碑、それに指示標識が立っています。



馬籠宿の枡形

(09:36)
石畳の道。
道が折れ、枡形になっています。
それに水車が見えます。





何回か馬籠を訪れていますが、水車に近寄ったのは初めてです。
この水車。
まだ新しいです。
このような水車を制作できる水車大工。
今では数少なくなっているのでしょう。
水車の据付。クレーンを使って大変だったのでしょう。





石畳の坂を登って行きます。
誰も居ないシーンを撮影できました。
日曜日の午前中です。
この時間で誰も居ないなんて、拍子抜けの気分でした。
逆にこんなシーンが撮影できる事がラッキーと言えます。



藤村記念館

(09:42)
藤村記念館へ来ました。
ここは馬籠宿の本陣跡だったところです。
この辺りでも散策する人が居ませんでした。




今日のKオジサンの後ろ姿です。



馬籠宿高札場

(09:52)
馬籠宿の東の入口です。
右側に高札場が見えます。





中津川宿では、中津川宿より駄賃並びに人足賃銭。落合迄荷物一駄五十五文となっていました。
ここの高札場は長持が幾らとかの表現になっています。
竹腰山城守と成瀬隼人正はともに尾張藩の附家老です。


馬籠上陣場跡

(09:54)
陣馬跡なのですが別名馬籠見晴台と呼ばれています。
見晴台と言うだけ有って眺望の良いところです。
恵那山が見えますが、山頂は雲に隠れています。





(09:58)
中山道で振返ると中津川の町が見下ろせます。
右奥が中津川なのですが、盆地である事が判ります。




県道7号線を渡ります。
中山道が特殊舗装になっています。


十返舎一九の狂歌碑

(10:21)
大きな木の根元に十返舎一九の狂歌碑が有ります。
この場所。休憩所とトイレが完備しています。



峠集落

峠集落を歩きます。
あの先、木々が凹の型になっている所が馬籠峠です。
峠までもう直ぐです。


馬籠峠

(10:38)
馬籠峠で岐阜県と長野県の県境です。






馬籠峠の頂上。
801メートルの高さまで登ってきました。




馬籠峠まで歩いて来た親子と出合いました。
子供さんは坂道を登ってきて少しキツそうでした。
お二人の背中を撮らせて貰いました。
瑞浪から来たそうですが、今日は親子で南木曽駅から馬籠まで歩くと話してくれました。




(10:43)
若い女性お二人です。
岐阜と愛知から来たと話していました。
今日は妻籠から馬籠まで、歩くと言っていました。
登り坂での出合でした。
少しキツそうに見えました。




こちらは名古屋から訪れたカップルです。
妻籠から馬籠まで歩くと話していました。




(10:51)
前方からお二人が歩いてきます。
南木曽から馬籠まで歩くと話していました。
お二人。東京から歩いているのだそうです。
既に東海道は完歩し、次に中山道を始めたのだと言っていました。



一石栃立場茶屋

一石栃は場所の名で、立場は休憩所のような意味です。
この場所には7軒ほどの家があったが、今ではこの牧野家、1軒となったと説明していました。




(10:53)
いちこく御休み処の入口です。
中へ入り、小休止しました。
お茶を出して頂きました。



一石栃の白木改番所跡の説明板です。
ここまで歩いて来る間、各地で白木改番所跡を目にしました。





一石栃立場茶屋の北側。
休憩所がありました。
ここでお昼にします。
先客の団体が居ました。
千葉県の八潮市からバスで来たといっていました。
男女20人余りのグループです。
「里山クラブ」と言う団体名だと言っていました。
3班が・・・。とか言っていました。班で人員の確認なのでしょう。
このような会。会を世話している人が居るのでしょう。
馬籠宿から妻籠宿まで歩くと話していました。



(11:02)
里山クラブを見送りました。
隊列を組んで歩いて行きます。





男捶川に架かる木の橋。
橋を渡ると県道7号線です。


男滝・女滝

(11:35)
先ほどの里山クラブの人たちが説明板を見ています。
男滝・女滝へ来るには、中山道が高い場所に有り、降りて来る。しかも行って戻って来るという形になります。
私は滝の場所を知っていましたので、県道7号線から下りていきましたら、追い着いてしまいました。





左が男滝。右が女滝です。
男滝が水量が多く迫力が有ります。





(11:50)
杉木立の石畳を歩きます。
右側に有るのが牛頭観音の説明板です。




大妻籠へ入って来ました。
菖蒲が見ごろを迎えています。




(11:57)
民宿、「まるや」の前辺りです。
前方から歩いて来る外国人が見えました。
何処の国からかと聞いたら、メキシコかに来たと言っていました。
妻籠宿から馬籠宿まで歩くのだそうです。
2本のストックで本格的に歩く姿です。




(12:23)
妻籠宿に入ってきました。
でも、ここは宿場のハズレ。
まだ人が少ないです。
自転車の親子。この人たちを先ほど、大妻籠で散策しているのを見かけました。




(12:31)
妻籠宿の中心部へ来ました。




ほうば巻きが並んでいる和菓子店。
澤田屋と言う屋号です。
ほうば巻きは木曽地方の名物。
今の時期だけ食せる素朴な和菓子です。




妻籠宿で、多く写真に取上げられる場所です。



妻籠宿本陣

(12:47)
本陣跡です。
この本陣の建物。
平成7年に復原されたと有ります。



妻籠宿高札場

妻籠宿高札場です。




駄賃の高札ですが、雨風で劣化し字が読め無くなっています。


鯉岩

(12:54)
大きな鯉岩。
鯉の形をした大岩だったが、明治24年の濃尾震災で形が変わってしまったと説明しています。


上久保の一里塚

こんもりした塚。
塚の形を残した一里塚です。





(13:31)
南木曽の町に来ました。
前方に木曽川。
そして、桃介橋が見えます。

ここを過ぎると南木曽駅へ向かうのと三留野宿へ向かう道の分岐がありました。
右に進み三留野宿へ行きます。



(13:40)
南木曽駅東側の貯木場が見えます。
量的にはどうなのだろう。
最盛期より量が減っているのではなかろうか。





(13:52)
まるで民家の庭先を歩くような感じがする中山道です。



階段を登っていく中山道。
指示標識が無かったら直進してしまいます。



三留野宿本陣跡

(13:58)
石柱が2本。
それに説明板。
表示が無かったら、本陣跡だという事が判りません。




古い家屋が並び宿場町の雰囲気があります。





何軒かの家に屋号の表札が下がっています。
「あめや」は飴屋を営んでいたのだろうか。



(14:07)
中央線のガードをくぐり国道に出てきました。
前方に木曽川が見えます。






道路が国道に交わります。





(14:29)
木曽川沿いの歩道を歩きます。
前方に下りの中央線が見えます。
中央線の上りは長いトンネルです。
下り線が旧線で上り線が新線なのでしょう。
列車が走ると好いロケーションになるのですが、列車の姿が見えません。





(14:42)
前方から男性が歩いてきます。




帽子を撮影させて貰いました。
この男性。横須賀市に住んでいて、海上自衛隊に勤務していたそうです。
この帽子は南極砕氷艦の「しらせ」のものです。
しらせの機関長をやっていたと話しました。





今回、歩いているプラン図を撮らせて貰いました。
第1ステージが日本橋から新町まで。第2ステージが新町から下諏訪までで、今回は第3ステージ。
今日は須原宿から歩いて来たそうです。

既に東海道は踏破したそうな。
奥さんを3年前に亡くし、今は街道歩きに取り組んでいると言っていました。
今回は中山道。
次は甲州街道歩く、それに熊野古道を歩きたい思っている。それに、出来たら車で日本一周をやりたいと話しました。

この男性。「Y」さんと言う方です。
名刺を交換しました。

私がこれから向かおうとする街道に和田峠が有ります。
急峻な峠で難所です。
峠を歩いたと言っていました。東海道の鈴鹿峠みたいでガレた所があるのだそうです。
登山靴が好いと聞きました。






「Y」さんの後姿を見送ります。
路上での5分ほどの立ち話。
一期一会の出合でした。




十二兼駅への道。
あの信号交差点で左に折れます。
あと、1キロです。



南寝覚 (別名河原峡)

(15:06)
柿其橋の上流です。




川にせり出した巨岩。
寝覚めの床に似ている場所で、南寝覚と呼ばれているようです。





(15:07)
十二兼の集落に入って来ました。




十二兼駅の弧線橋が見えてきました。


JR十二兼駅

(15:15)
十二兼駅に着きました。
この駅。
無人駅です。




歩き出す前と歩いた後です。
20キロ近い距離を歩きました。




(16:26)
16時26分発の中津川行きワンマンカーが入線してきました。

十二兼駅の上りホームで1時間以上待ちました。
次々と通過する特急列車。
しなの16号やしなの17号を見送りました。
20分頃になって若い男性が3人。女性2人が来ました。
中山道を歩いて来た人たちかと思ったら違うようでした。
何か、ベトナム人のように思えました。





列車が南木曽駅に停車しました。
ワンマンカー2両で前の車両に乗り口と降り口が着いています。
何人かの人たちが乗ってきます。
服装から推測すると中山道を歩いて来た人たちのように思えました。
それに、外国人も混じっていました。


中山道の指示標識

馬籠宿から妻籠宿までを歩き、その都度、指示標識撮影しました。
数字が段々減り、妻籠宿が近づいているのが判りました。
馬籠妻籠間が7.7キロです。7.7キロより大い数字の指示標識もありました。
どんな捉え方をしたのだろう。

感想
いよいよ木曽路に足を踏み入れました。
列車で来ては歩き、その日の内に列車で帰るの繰り返しです。
中央線は普通列車の本数が少なく、とても不便です。
これから葉自宅からの距離が遠くなる。
何時までこうして続けれるのだろう。
街道を歩いていて、多くの人と顔を合わせる事が出来ました。
ゴール近くで「Y」さんと出合いました。
このような事。街道歩きの面白さなのだろう。



今日の経費
JR那加駅からJR中津川駅までとJR十二兼駅からJR那加駅まで。
青空フリーパス 2,570円
中津川駅から馬籠宿までバス代 560円
パン 108円
カップ麺 108円
            合 計 3,346円


kオジサンの中山道旅日記  その12
6月24日(日) 曇のち晴 JR十二兼駅からJR上松駅まで  へ

 

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