スノーシューを持っていますが、使うのは1年に1回か2回ほどです。そんな状態ですので、スノーシューを使ってみたかつたのです。
水曜会で奥揖斐の貝月山に行ってきました。山頂に行くのが究極の目的でなく、行ける所まで行き、後は引き返す。
今回は、山で、スノーシューを使ってみる。そう言った感じの山行でした。
メンバーは風花さん、ジオンさん、山たまごさん、Dolphyさん、福ちゃん、あさひさん、yakoさんでした。
揖斐高原スキー場の日坂ゲレンデから登り始め、途中からはヒフミ新道で貝月山を目指しました。始めにゲレンデを登るのはキツかったですが、登山道となってしまうとゲレンデよりは歩き易かったです。1,000メートル程の地点まで行きましたが、頂上に行くことに拘らず、引き返しました。
そして、避難小屋でランチ。
ゲレンデや登山道の状態は良く無かったです。
以前に雨が降ったのでしょう。
バリバリの状態で、歩くたびにガリッガリツと大きな音がしました。
雪面の状態は良くなかったのですが、楽しいスノーシュー体験ができました。
駐車場(8:30) ― 第1リフト第2リフト指標(9:36) ―
約1,000メートル地点(10:39~10:49) ― 第1リフト第2リフト指標(11:22) ―
避難小屋(11:44~12:34) ― 駐車場(13:35)
スノーシューを装着して、登る準備をします。
山たまごさんのスノーシュー。
格安だったそうで、話題となりました。
何でも、6,116円だったそうです。
颯爽と・・・・・トップを行く風花さん。
ゲレンデを登って来て、ここからは登山道に入ります。
先頭を行く風花さんとジオンさん。
前方に第1リフト第2リフトの指標が見えてきました。
第1リフト第2リフトの指標です。
ここから右に進み、山頂を目指します。
山頂を目指す登山隊。
横は雪庇になっているので、端には近づか無いように注意しなければなりません。
そんな、ショットを狙う山たまごさん。
横が雪庇となった登山道を進みます。
約1,000メートルの地点まで来ました。
まだ、これから先が遠く時間の関係からも、ここで引き返しました。
山頂の方角。
薄っすらとしか見えません。
先ほど登ってきた道を引き返しました。
第1リフト第2リフトの指標の場所まで戻ってきました。
下山の途中。
眼下にスキー場が見えます。
避難小屋の所まで来ました。
小屋の前は広場のようになっています。
これが貝月山の避難小屋です。
トイレが完備していて、室内は綺麗でした。
これから小屋に入ります。
小屋の中でのランチタイムです。
みんな、靴を脱ぐのを面倒がり、腰掛ての昼食でした。
持ち寄られた食材です。
ランチを終え、下山にかかります。
今は稼動していないリフト。到着して歩き出す所の板に穴が開いています。
ここ何年か稼動していないのでしょう。
何時かはこのリフトも取り壊しとなるのでしょう。
荒島岳に登った時、取り壊された状態のリフトを見ました。
取り壊され、倒された回転のローターが無残な姿を晒していました。
あれと同じ状態になるのでしょう。
下山するのは私たちだけと横に広がって進む事が出来ます。
林道を下って行きます。
スキー場のゲレンデを進むDolphyさん。
ゲレンデを下るyakoさん。
栃の実荘の所へ戻って来ました。
こちらのリフトは動いていましたが、平日と言う事も有り乗っている人は、ほとんど有りませんでした。
最後に
私たちが下山して来た時、3組程の親子連れが雪遊びに興じていました。
スキー場の駐車場には和泉ナンバーの車が停まっていましたが、それでも、全体では10台に満たない程でした。客が来ているからリフトを稼動させねばならないかもしれませんが、稼動させればさせる程赤字が増える。そんな状態ではと心配してしまいました。
平成の大合併で村々が揖斐川町と合併しました。
この日坂ゲレンデは旧久瀬村。ここの西側には旧坂内村の貝月ゲレンデが有りました。
そちらは今も稼動しているのか、定かで有りません。
多分、稼動していないと思います。
これらのゲレンデは高度成長の時期に作られたのですが、今では訪れる人が減少し、厄介者扱いだと思います。
第3セクターで遣っているのでしょうが、辞めたいというのが本音だと想像します。
奥揖斐で、名古屋から比較的近く、便利なスキー場ですが、高速道路が整い、多くの人がそちらに流れてしまっています。
6,116円というのはびっくりするほどお買い得でしょう。
日坂坂内のスキー場にはまだ独身の頃一度だけ行ったことを思い出しましたよ。
格安スノーシューですが、こちらで通販で買えるようです。
このサイトを見ましたが、値段のところが見えませんでした。
探し方が下手だったのかもしれません。
http://www.doppelganger-sports.jp/product/sw2014/
日坂スキー場は、その時代。
多くの人が訪れたことだと思いますが、高速道路が開通して人々は奥美濃に流れてしまうようになりました。
町はスキー場を辞めたいのではと思います。