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一宮友歩会・第61回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part14 弥富市を歩く

2016-04-02 23:40:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は弥富市の近鉄弥富駅をスタートして、逆時計回りに弥富市内をウォークし、元の近鉄弥富駅まで歩きました。弥富市は海抜0メートル地帯で、古くから水との戦いがあった所です。水郷の塔が木曽川の堤防の横にありここで昼食なりました。ここには伊勢湾台風で被害を被り、復旧工事がなされ、一先ず工事の区切りが付いたとして記念のモニュメントが設置して有りました。また、水郷の塔は塔に上がる事が出来、この一帯を眺めれるようになっていました。
ここから「弥冨ふるさとガイド」に案内をして貰いました。丁度、桜の時期で、弥富市文化広場の前では「やとみ春まつり」が開催されていました。桜を愛でながら弥冨の街を歩くことが出来ました。

近鉄弥富駅(9:21) ― 鯏浦(ウグイウラ)城跡(9:36~9:50)  ― 興善寺地蔵(10:06) ―
荷之上の力石(10:17) ― 服部家住宅(10:26~10:28) ― 金樹寺(10:31~10:45) ― 
御着船所跡(11:01)  ― 黒川治愿君功徳碑(11:08~11:15)  ― 
内藤十左衛門自刃地(11:23~11:27)  ― 水郷の塔(12:00~12:55)   ― 
歴史民俗資料館(13:08~13:30)  ― 立田輪中人造堰樋門(13:46~13:55)  ― 
森津の藤(14:11~14:26) ― おみよし松(14:45~14:50) ― 近鉄弥富駅(15:18)

この日の参加者は52名でした。ウオーキング日和の空の下。全員が完歩出来ました。



弥富市を逆時計回りに歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/61map.pdf



近鉄弥富駅の横の駐車場です。
ここで出発式。
会長が挨拶しています。




ラジオ体操。そして準備体操をしました。
これから出発です。




歩き出した時。頭上を大型の飛行機が飛来して来ました。
この後も次から次へと飛来して来たのです。
時間にして5分置き位でした。
風向きでこの辺りから中部国際空港に向かうのだろうか。
頭上の騒音が気になりました。

実は、中部国際空港が開港する前は名古屋空港に降りる飛行機が我が家の南西方向を次々に飛んで行きました。コースになっていたのですが、頻繁に飛んでいました。あの時はうっとおしかったです。




スタートしました。
民家が並ぶ中を歩きます。





最初に寄ったのは鯏浦城址です。
城址と言っても、砦のようなものです。
樹齢600年といわれる大楠です。
大楠は戦や人々の生活。色々の場面を見てきたことでしょう




樹齢600年といわれる楠の大木です。
それに鯏浦城址の説明板が設置して有りました。




鯏浦城址について説明する丸井さん。
丸井さんはお城や歴史に詳しい人です。
言うならば、一宮友歩会のブレインです。
そして、みんなが丸井さんの説明を聞いています。



説明用に配布された資料です。
明治24年の地形図です。
今は関西本線ですが、地図では、まだ関西鉄道となっています。ウィキぺディアでは明治28年に名古屋駅 - 前ヶ須駅間が開業したと有ります。この地図には長島駅は載っておらず、加筆したものです。そして同年に全通しています。今の名鉄弥富線は、まだ、尾西鉄道となっています。当時は蒸気機関車で運行していて、合併後か合併前か。後から電化したのでしょう。
歩いた、御着船跡ではすぐ傍が川となっています。ふたつやの渡し跡も近くが川となっています。地図に渡しの記号が載っています。今の状態から近くに川が有った事が想像できませんが、現実には、川が有りました。
明治の東海道。それに鍋田川や筏川もはっきり載っています。古い地図を見る事が面白いです。




興善寺地蔵。
弥富町史に記載されている最古の石仏とあります。
祠の中にお地蔵さんが安置して有りましたが、帽子を被っていてお顔は拝見できませんでした。



服部家住宅へ来ました。




服部家です。
服部家は重要文化財に指定されて居ます。服部家は見学できますが、予約してなく見学しませんでした。茅葺きの立派な門です。茅葺きを維持していくだけでも、大変だと思います。




塀の向こう側でどのような建物なのか判りませんが、位置から離れではないかと推測します。ここも茅葺きの家屋です。




金樹寺へ来ました。
門の前に立派な松が有ります。




御着船所跡へ歩いてきました。




明治天皇焼田港御着船所跡。
明治天皇が遷都に寄り、京から東京へ向かった時、桑名から乗船して、この地で下船しました。
いま、ここの辺りは住宅街で川が流れていたとは想像できませんが、明治28年の地図では、直ぐ近くまで木曽川が来ています。
裏に解説文が描いて有りますが読み難くなっています。



弥富市五之三自主防災格納庫と書かれています。
青い表示が付いていて、海抜0メートルを表しています。
この辺りの地図を見てみますと、海抜が0かマイナス表示となっています。




五明神明社へ来ました。
ここには黒川治愿(ハルヨシ)君功徳碑が設けて有ります。
黒川治愿は、簡単に言うと愛知県で河川改修などの土木工事に骨折った人です。名古屋市で黒川が流れていますが、黒川は彼の名から取ったものです。




河川の土木工事に詳しい安井さんです。
黒川治愿にちなんで、碑のある神明社で解説しています。




安井さんの用意した資料です。




五明神明社を後にします。
右は木曽川水管橋です。安井さんは三重県に水を送っているのだと言っていました。



東名阪の下を歩きます。
桃の花が満開となっていました。




証玄寺。
左の石柱が内藤十左衛門自刃の地の碑です。




表は内藤十左衛門自刃之地となっています。右は裏側で岐阜県本巣郡巣南町教育委員会と彫られて居ます。内藤十左衛門は幕府方の役人で、十左衛門の上役に責任が及ばないようにとの思いから自害したのだそうです。巣南町教委が設置したのは十左衛門の居所が本巣郡十五条村(岐阜県巣南町で今は瑞穂市です。)だったからでした。
こんなサイトが有ります。
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/gakusyu/ijin/6.html





県道沿いを歩きます。
アスファルトの割れ目から出たスミレが咲いています。
このような状況下で咲く事が出来るのですので、恐らく外来種なのでしょう。




国道1号線を横切り、水郷公園に向かいます。
筏川の橋を渡ります。
サクラが見頃を迎えています。




水郷公園へ来ました。
「やとみ春まつり」が開かれていて、その駐車場となっています。




水郷公園へ来ました。
前方に水郷の塔が見えます。




水郷の塔の下に来ました。




お昼の時間となりました。
ここ、水郷公園の思い思いの場所でお昼とします。




水郷の塔に上がってみました。
尾張大橋が見えます。
川の向こうは三重県で、桑名市です。




水郷の塔から関西線が見えます。
前方に上り特急南紀ビューが見えます。



12時27分です。
ガイドがやってきました。
会長が弥富ふるさとガイドを依頼していました。
多分、12時半にでも、来て欲しいとなっていたのでしょう。




弥富ふるさとガイドのあいさつです。
これからふるさとガイドに案内してもらいます。




ガイドに付いてもらい、水郷公園を後にして、出発しました。




ふたつやの渡し跡。
今は川から離れた場所となった渡し跡です。
地図では、このの場所の所まで木曽川が来ています。




御囲い堤を歩きます。




弥富市歴史民俗資料館へ来ました。
この資料館は弥富町の役場だった建物です。




資料館の職員が少し、説明をしてくれました。
その後は自由に見学してくださいとなりました。




幾つも金魚を飼育している水槽が並んでいました。
金魚の種類が判りませんが、デメキンだけは判ります。




この辺りはゼロメートル地帯です。
伊勢湾台風では、甚大な被害を被りました。その事を紹介しています。
右は、ボランティアが御囲堤や輪中について




右は金魚Ⅰ金魚の選別を紹介しています。
左は金魚の出荷で昭和40年頃の写真。そして今は、ビニールに酸素を注入して出荷しています。




ガイドに案内されて資料館から出ました。
山口誓子の短歌で「群金魚流なして槽廻る」と書かれています。
昭和61年にこの地を訪れた時に詠んだものだそうです。
弥富にはこの他にも、金魚が詠まれた短歌が有ると説明していました。



ガイドに案内されてサクラの下を歩きます。




左手が祭りの会場です。




筏川に架かる橋を渡ります。




祭りの会場です。




祭りの会場です。
弥富市文化広場の前が会場となっています。




輪中公園の中を歩きます。




輪中公園で南東に歩いて来ると立田輪中人造堰樋門へ来ました。




人造堰樋門で、明治34年9月竣工の文字が読めます。



人造堰樋門




人造堰樋門の裏側はこのようになっています。




鍋田川の堤防となっていたところで、コンクリート跡が残っています。




門をくぐり、中に入ります。




森津の藤です。
まだ、藤の花の時期には、早いです。




藤の古木。
ボランティアガイドが森津の藤の事を説明してくれました。
古木で、ここの藤が他所に行き、藤棚で枝を伸ばしていると言っていました。



おみよし松へ来ました。




おみよし松。
高くて立派な松です。
ボランティアガイドの案内はここまででして、ここでお別れしました。




金魚を飼育している池です。
池と言わず田と言っているようです。



近鉄弥富駅が見える所まで歩いて来ました。
お疲れ様でした。



お疲れ様でした。

近鉄弥富駅に着きました。
ここで解散式をして、解散です。
13キロのコースとなっていますが、それ以上の距離が有ることでしょう。


感想
今回歩いたコースは愛知県の西の端で西側に木曽川の堤防が有りました。堤防を越えれば木曽川でその先は三重県になるところでした。この辺りは海抜0メートル地帯です。水郷公園には伊勢湾台風災害復興竣工記念碑が有りました。当時の高潮の高さを表すように5メートルの高さのモニュメントが有りました。弥富市歴史民俗資料館では伊勢湾台風に冠する展示が有りました。改めて、水郷地帯だということを感じさせられたのと、伊勢湾台風の記憶を甦らせました。一緒に歩いた人同世代です。同様の気持ちを抱いたのではないかと思いました。

弥富と言えば金魚の産地です。歴史民俗資料館では色々の金魚を見る事が出来ました。歩いていて、金魚の飼育池を目にする事も出来ました。

弥富の歴史を知ることも出来ました。初めに寄った鯏浦(ウグイウラ)城跡で説明を受けましたが、信長の弟。信興の戦が有ったことを教えて貰いました。渡された資料の地図では、木曽川が載っていましたが、今の姿の木曽川からは想像できないような地形です。今日の整った形は、幾度と無く繰り返された災害の結果だと思います。

水郷地帯の弥富を歩き、色々の事を学ぶ事が出来ました。

次回、は平成28年6月4日(土)、JR大垣駅へ9時集合で行います。私がリーダーを勤めます。皆様の参加をお待ちしています。




会長。寺さんのサイトです。
http://terasan.dousetsu.com/wa190.html
参加したMさんのサイトです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/61reikai.htm


一宮友歩会のサイトです。
http://terasan.dousetsu.com/uho.html

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