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Kオジサンの新・山歩きの記

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一宮友歩会・第45回例会  河川探訪シリーズ・庄内川編part3  春日井市を歩く

2013-07-08 22:46:00 | 一宮友歩会

今回はJR神領駅をスタートして庄内川沿いに歩き、アサヒビール名古屋工場を見学してJR新守山駅へゴールするものでした。
庄内川は岐阜県では土岐川と呼ばれ県境あたりで名が変わります。かつては陶磁器の生産を象徴するかの如く、白濁した水が流れていました。陶磁器業界が活況を呈すると白濁の濃さが高まり、低調になると白濁度合いが薄くなる。そんな事が有ったのかも知れません。
河口付近の漁協が監視の目を光らせていたそうです。
今では環境基準が守られ、橋の上から悠々と泳ぐ鯉を見下ろせるまでの清流の川となりなりました。

庄内川は高蔵寺の東辺りで、中流の姿から下流の姿に変わります。今回、歩いたところはその状況を如実に現している場所でした。左岸が瀬戸市で右岸が春日井市。山々に挟まれた庄内川が濃尾平野に流れ出し中流から、下流へと代わります。新しく堤防が築かれていましたが、そんな庄内川も時として、暴れ川に変身し流域が洪水で溢れた事がありました。
その状況を検証するべく現地に立ってみました。 

JR神領駅(9:20) ― 庄内川堤防(9:48~9:53) ― 大留荒子古墳(10:07~10:12)
― 高御堂古墳 ― 密蔵院(10:58~11:48) ― 桜佐ヨゲ(11:57) ― 
上条河畔林(12:40) ― 下津尾の渡し跡(13:03) ― 小野道風記念館(13:30~14:08) 
― アサヒビール名古屋工場(14:40~16:05) ― JR新守山駅(16:20) 

http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/45map.pdf
全コースは15キロとなっていますが、禅源寺は省略しました。それでもビール工場では見学で1キロ以上歩いていますので15キロを超える歩行距離となりました。



JR神領駅前からウオーキングがスタートしました。



志段味橋を渡り庄内川左岸へ着ました。
穏やかな河の流れ、
この様子から川が溢れたとは想像できません。



資料を使っての説明です。



資料1



資料2



資料3



資料4


平成23年9月の水害の状況です。
堤防が切れることは無かったのですが、大量の水が堤防を越えました。



大留荒子古墳。
発掘調査の後に復元されたものです。


大留荒子古墳の説明板です。


密蔵院へ到着しました。



全員で記念写真。



庄内川の堤防下を歩きます。
左の水路は庄内川から導水した水です。



桜佐ヨゲ。
左側が堤防寄りで、右側と一体になっていたのでしょう。
道路を通すために堤防を切ってしまったようです。



その堤防の上には、雑草に埋もれた石碑がありました。



細い道を歩きます。
この場所は遊水地になっている所なのでしょう。
広い場所で雑草が繁っていました。





霞提跡地の説明看板。
今は堤防として整備されてしまっていますが、川が洪水を起こしたときに水がここへ流れ込み、遊水地の役目を果たしたのでしょう。



庄内川の堤防を歩きます。



下津尾の渡しの石柱。
設置されてまだ、新しいですが、このように標柱を設置しておかないと、かつてここに渡船場が有ったことを忘れられてしまうのでしょう。



広大な河川敷。
多くの人が家庭菜園として耕作しています。
多分、無法地帯となっています。
耕作している人から耕作料を徴収してみては・・・・。


小野道風記念館に入ります。
記念館は生誕地に設けてありました。


小野道風のブロンズ像。



花札の絵柄に使われている小野道風。
足元には、おなじみのカエル。



これから館内に入りますが、この先は撮影禁止となっています。
館内を見学して、小野道風の系統的には小野妹子や小野小町が居る事が判りました。
小野妹子や小野小町の名は聞いた事が有りましたが、「オノノ」と言う発音から結びつける事が出来ました。
館内には多くの書跡が展示してありました。


松川橋を渡ります。
この橋を渡ると名古屋市守山区に入ります。



橋の上からアサヒビールの工場が見えます。



工場の正門まで着ました。



アサヒビールに到着して、全員で記念撮影です。



若い応接の女性に案内され、工場内の見学が始まりました。
この先は撮影が禁止となります。



巨大な醗酵熟成タンクが何本も林立しています。
その説明プレートです。



工場内の見学を終えて外に出てきました。
工場内では缶にビールが入れられる様子。
まるで川の流れのように缶の流れが続きます。
そんな光景を見て来ました。



ゲストホールでビールの試飲となりました。
試飲はグラスに3杯までで、20分間と決められていました。



グラスに注がれるビール。



お疲れ様でした。
全員で乾杯です。
ビールが飲めない人にはソフトドリンクが付きました。



上手なビールの注ぎ方の実演です。



とても美味しそうに注ぐ事が出来ました。



アサヒビールのドライ。
これから戴きます。
ウオーキングをして来て、脱水気味の体には、とても美味しく戴きました。


今回は庄内川沿いを歩きました。密蔵院の多宝塔は国宝で、文化財に触れ合う機会がありました。小野道風記念館では文学との触れ合いです。
庄内川堤防や桜佐ヨゲは水防の歴史です。大留荒子古墳と高御堂古墳は古墳の現地学習です。ウオーキングで眼にするもの、すべてが学習につながります。庄内川の堤防では河の水が溢れ、水害が発生したときの事を説明して貰いました。このように現地を「生」で目にする事が出来るウオーキングは、「動く社会科学習会」と言えるでしょう。


梅雨空の下でのウオーキングでした。雨も困りますし、カンカン照りの炎天下でも困ります。
日差しがあるものの炎熱地獄で無いだけ、良しとしなければなりません。
途中、小野道風記念館の手前で少し雨に降られましたが、傘が居るか要らないか程度の雨でした。
歩いていて終盤は飲料水が無くなり、自販機で買い求める人が何人も居ましたが、42名。全員が完歩しました。

 

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一宮友歩会・第44回例会  史跡巡りシリーズ・西尾張編part10  津島市北部を歩く

2013-06-05 11:10:49 | 一宮友歩会

今回は津島駅をスタートして時計回りに歩き勝幡駅にゴールするものでした。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/44map.pdf

名鉄津島駅 ― 雲居寺 ― 清正公社 ― 天王川公園 ― 海西公園 ― 
宗玄坊廃寺跡 ― 陽南寺 ― 常徳寺 ― 早尾の渡し跡 ― 姥ケ森社 ― 
十二城跡 ― 六合庵址 ― 釜地蔵 ― 愛西市佐織公民館 ― 勝幡城跡 ― 
勝幡神社 ― 名鉄勝幡駅

今年は早々に梅雨入り宣言が発せられましたが、この日は曇天でウオーキングには持って来いの空模様でした。愛知県の西部で濃尾平野の真っ只中の場所で、いわゆる海抜0メートル地帯を歩きました。
歩いたコースは度々の河川の氾濫する地域で、水との戦いの歴史だったと思います。
スタートは津島駅からでした。津島の意味は、周りが水面で、この場所だけが島となっていて津島と名付けられたのだそうです。


津島駅前での出発式です。
これから歩くコース説明がありました。


津島の古い町のところを歩きます。
津島上街道で、古い街道らしい雰囲気が残っています。


天王川公園を歩きます。
今は池になってしまっていますが、かつてはこの場所は川でした。
両側に堤防が築かれ太い木が残っています。
ここの左側には松並木が残っています。
この松並木を背景にして映画の撮影が行われたと地元のTさんが話していました。
大河内伝次郎が出演したのだそうです。
こんな生の話が聴けるのも、ウオーキングの面白さです。


大きな松の並木。
ここをバックに映画の撮影が行われたとのこと。
もちろん、白黒の映画ですが、チャンバラの映画。
想像するだけでも面白いです。



池には睡蓮が咲いていました。


宗玄坊廃寺跡まで着ました。
0メートル地帯です。
表示してある海抜が1メートルであり、根元の地面の高さは0メートルほどです。
幾度と無く、水に浸かった事でしょう。


こんもりとした森の中に神社があります。
これから向かう、増穿鵜戸川碑があります。


増穿鵜戸川碑の前で説明を聞きます。
この辺りは水との戦いで、水が足らないと取り、水が上手く流れないと隣村に送るとなり、争いが度々起こりました。


田植えが終わったばかりの田を見ながら歩きます。


常徳寺の近くまで歩いてきました。
高く積まれた石垣の上に蔵があります。



常徳寺の境内でランチタイムとなりました。


早尾の渡し跡です。
廃川となり、川が残っていません。
石碑が無かったら、ここに渡し場有ったなどと想像できません。
濃尾平野を東西に横切るとき、日光川や佐屋川など何本も河川が流れ、渡るのに苦労したことと思います。
説明板はこの辺りに高札が有り、人々の目に触れたとありました。
旅人も目にしたことでしょう。


佐屋川の跡に設けられた水路。
左は用水路で右は排水路で、水路の役目が別れています。


鬱蒼とした木に囲まれた姥ケ森社。
この場所はかつては古墳でした。
盛り土が流失し古墳の感じがしません。


十二城跡まで着ました。
ここに書かれている板垣冠者兼信と言う人は、明治に、自由民権運動に取り組んだ板垣退助の先祖となる人だそうです。


釜地蔵に来ました。
中に鉄製の地蔵が安置されています。


旧佐織町役場に着ました。
伊勢湾台風の時、この高さ迄、水が押し寄せました。
参加者は伊勢湾台風の記憶が残っている人ばかりです。
こんなのを見ても、話が合います。


上街道を歩きます。
両側に家が並んでいますが、堤防になっている道です。




勝幡城跡に着ました。
石碑が建ち、城跡だと想像できます。
広大な城跡ですが、日光川の改修で城跡が壊されています。
今は石碑で当時の姿を想像するだけです。


田植えの時期。
田植え機が忙しく走り回っていました。


勝幡駅前まで着ました。


駅前に有ったブロンズ像。
幼い信長が母親の土田の方に抱かれています。


勝幡城の模型。
低地の城であり壕が周囲を囲んでいます。
歴史が流れ、この場所から信長が、清洲城。小牧城。稲葉山城。安土城へと移って行きます。


梅雨入りしたとは言うものの、雨の気配は無く曇り空でのウオーキングでした。
参加者は42名。
16キロ余りのコースで、勝幡駅に付く頃には、みんながくたびれていました。お疲れ様でした。
道端の有った梅木の梅が大きくなっていました。時期で入梅と言う言葉が季節感に合致しています。池の睡蓮。田植え後の水田。見るもの全てに季節感を感じる事が出来ました。
目にするものよって、季節感を味わえるのもウオーキングの良さです。


今と往時の比較です。
佐屋川が廃止されましたし、この時はまだ津島線が通っていません。


今回、一緒に歩いたMさんのホームページです。
ウオーキングが詳細に紹介されています。ご覧ください。
友歩会第44回ウオーキング:下見・例会(詳細版)(拡大版)
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part10】14km

http://www.geocities.jp/jk2unj/nisiowarip10.htm

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一宮友歩会・第43回例会  史跡巡りシリーズ・岐阜編part6  岐阜市から各務原市を歩く

2013-04-13 15:43:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会・第43回例会に参加してました。

http://kmham.huruike.com/datagazou/43map.pdf


JR岐阜駅の南口に集合です。
この日の参加者は42名です。
全体的には、男性の参加者が多いです。



まず、会長のTさんの挨拶から始まれます。
その後は準備体操をやってからスタートです。


岐阜駅の南側を歩き始めました。。



右側は清水川です。
春めいて来て、水を見てもサブッと言う感じにはならなくなりました。



最初に訪ねた所が光国寺です。


光国寺に亀姫の墓が有ります。
亀姫は徳川家康の娘で、加納城は娘婿の奥平信昌が城主を務めました。
このような寺に家康に縁の場所が有る事を知りました。


加納城跡で城跡の発掘担当者から説明をしてもらいました。
発掘調査に寄り加納が宿場町として栄えただけでなく、広大な城下町を形成していました。
現在、石垣がのこっていますが堀は埋められています。



加納城址の説明板。


加納町の中を歩きます。
右側は旧加納町の役場として使われていた建物です。
文化財に指定されていますが、耐震性から一部を残して壊されるようです。


東に向かって歩き、閻魔堂に来ました。
この閻魔堂の位置は皮手城の鬼門に当たる方角です。


細畑まで歩いてくると、神輿の下の部分が置いてありました。
この日の夜に手力雄神社で祭礼が行われます。
夜になると台座の上に花火を乗せて神社に向かうのでしょう


細畑の一里塚です。
中山道を挟んで南側と北側に一里塚が残っています。
塚が残り、榎も残っている一里塚は珍しいです。

この後、細畑にし公園で昼食をとり、12時20分に各務原市民公園に向かって歩き始めました。
私は、この後に予定が有りましたので、ここで、リタイヤしました。















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鈴鹿山麓を歩く  一宮友歩会 協力員ウォーク

2013-03-24 07:03:03 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会は原則的には偶数月に開催されていて、年6回の開催となりますが、例外的に3月には協力員の親睦を深める目的で協力員ウォークが開催されています。
今回は、三重県の菰野町で近鉄のてくてくまっぷのコースを歩くものでした。

 近鉄菰野駅 ― 見性寺 ― 五郎兵衛地蔵 ― 湧水池 ― 蟹池 ― 酒造 ― 

西勝寺 ― 大師堂 ― 毘沙門天堂 ― 近鉄高角駅


普通、川は山に降った雨が流れて川となります。
今回、回ったコースの川は鈴鹿山脈に降った雨が地中に浸み、伏流水となって流れ、途中から地表に現れます。そんな風景の場所を歩いてきました。
豊富な湧き水の所だけあって造り酒屋が2軒並んでいました。
その後、向かったのが西勝寺です。寺の前を智積養水が流れています。その場所は飛騨市古川町の瀬戸川や島根県の津和野のような風景です。「用水」の文字でなく「養水」が使われています。ここの水の恩恵を受け、養って貰っている。そんな意識から「養水」の字が使われています。
次に向かったのが小高い山の上に有る一生吹山の毘沙門天王です。この場所は戦国時代に出城となった場所です。


近鉄のてくてくまっぷ。
地図のコースに沿って歩きました。


近鉄菰野駅で下車した後、西の見性寺に向かいます。


立派な山門をくぐり、境内に入ります。


見性寺の境内には菰野藩藩主の墓が祀られています。


菰野藩主土方家の歴代藩主の墓が有ります。


墓所には立派な墓標が並びます。
標識が設けられ、代何代と藩主の名が表してあります。


次に向かったのが五郎兵衛地蔵です。
社の中には重軽様が安置していました。


五郎兵衛地蔵の説明プレートです。



五郎兵衛地蔵の横には湧水池が有ります。


伏流水がコンコンと湧き出ています。
鯉や金魚が優雅に泳いでいました。


次の湧水生けに向かいます。
遠くに鈴鹿の山並みが見えます。


鳥から鯉を守る為でしょう。
ネットが張って有ります。


ネットの下で泳ぐ鯉。
清冽な水が湧き出しています。


湧水池の全体場面です。
湧き出た水が先方の向かって流れ出します。


流れ出した水が川となって、流れて行きます。


川の中にカラーでしょう。
白い花の植物が有りました。
カラーと水芭蕉は兄弟のような物でしょうか。


田園地帯の中を歩きます。
後方には御在所岳や鎌ヶ岳。入道ケ岳が見えます。


蟹池に着きました。


蟹池の由来です。


畑の中にポツンと有る蟹池。
ここからもコンコンと伏流水が流れ出していました。


蟹池の全景。
ここから水が流れ出します。


蟹池から水が流れ出し川となります。


名水の地に美味しい酒あり。
1軒目の酒屋さんの前を歩きます。
こちらは石川酒造で、小さな杉玉が何個も下がっていました。
大きな板に酒の銘柄が書かれ、金賞を受賞したとなっていました。
「噴井」と言う名です。伏流水が湧き出て、そこから名を取ったのでしょう。


2軒目。こちらは伊藤酒造です。鈴鹿山麓美酒工房と副名が付いています。


店内に入り、ショーケースの中の酒を品定めをします。


伊藤酒造のメインの銘柄。
鈿女(しずめ)です。


「わみん」と言う酒蔵味処が有り、地酒ソフトクリームを売っていました。


チッピリお酒の味のするソフトクリームです。
子供も食べるので大丈夫なアルコール度数にしているのだそうです。
ソフトクリームを食べて酔ってしまってはいけませんです物ね。


次に向かったのが西勝寺です。
大きく立派なお寺でした。


寺の前に智積養水が流れています。
整備され津和野や古川のような景色です。


智積養水の説明板。


長い智積養水の歴史。
過去には水をめぐる紛争が有りました。
用水の字を使わずに養水の字が使われています。
養って貰っている。そんな意識から養が使われています。

流れる智積養水。


次に付いたところが大師堂です。


一生吹山毘沙門天王に着きました。


一生吹山の由来です。


お疲れ様でした。
ゴールの高角駅に着きました。


伊藤酒造で買って来た生原酒を晩酌しました。
味は甘口のお酒です。

彼方此方が春めいてきた三重郡菰野町と四日市市を歩きました。
このコースは近鉄の「てくてくまっぷ」で紹介されているコースです。通常の川は山から流れ出して川となります。御在所岳や入道ケ岳などに登った事が有ります。
鈴鹿山麓のこの場所を来て、豊かな水の流れを実際に目にし、鈴鹿山麓の別な一面を見る事が出来ました。

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一宮友歩会 第42回例会  史跡巡りシリーズ 名古屋編Part1  名古屋市瑞穂区を歩く  

2013-02-03 07:40:41 | 一宮友歩会


一宮友歩会の例会で、今回は瑞穂区を時計回りにぐるっと歩くコースでした。
また、名古屋城の東南に位置し、戦国時代には攻防が繰り広げられた処でもあります。
週間天気予報では土曜日が雨の予報でした。金曜の夜から雨が振り出し、土曜の朝は若干残っていると言った感じでしたが、大したことはありませんでした。


惣作公園(9:25) ― 秋月院(9:42) ― 田光八幡社(9:46~9:51) ― 大喜寺 ― 
津賀田神社(10:14~10:17) ― 地下鉄瑞穂運動公園西(10:31~10:35) ― 村上社(10:53) 
― 大曲輪貝塚(11:20) ― 瑞穂球場(11:25~11:55) ― あゆちの水(12:10) ― 
西八幡社(12:41~12:58)― 地下鉄新瑞橋 ― 師長公謫居跡(13:47~13:50)  ― 
龍泉寺(13:56) ― 為麿塚(14:08) ― 惣作公園(14:12)



今回歩いたコース地図。
名古屋市瑞穂区を時計回りに回りました。





惣作公園での出発式。
会長挨拶の後に体操をして出発です。
前夜からの雨は止んでいました。


私は以前からウオーキングリーダーをと、言われていました。
当日、カミさんは、アンカーをやってと急に言われました。
それで、夫婦で先頭と最後尾を歩くこととなりました。


秋月院の説明板を読みます。
この時、少し雨がパラ着きました。


田光八幡社の大クスノキです。
大クスノキは御神木で幹は凄い太さがあります。


会長が先頭で津賀田神社へ向かいます。
津賀田神社は前方後円墳で、この地方の前方後円墳では最大級に近い規模ですが、表土が流れてしまっています。


津賀田神社のお拝殿。
大きな規模で、この場所が前方後円墳だったと言われると、頷けます。



地下鉄瑞穂運動場西駅でトイレタイムを取りました。


村上社です。
小高い山の上に祠が有りますが、ここは円墳で、費用度が流失しています。
一段、高くなっていて円墳だと言われれは、そのように思えます。
大きな木が有ったのですが、切り倒され、切株になってしまっています。


山崎川沿いを歩きます。
桜の時期なら素晴らしい眺めでしょう。


瑞穂運動公園の一角に大曲輪貝塚がありました。


予定では、東児童公園で昼食を取る予定でしたが、雨が上がったと言うものの、地面が濡れていていましたので、瑞穂運動公園の競技場で食べる予定でした。
会長が管理事務所へ軒先を借りると言いに行った所、事務所の計らいで瑞穂球場の会議室をお借りできることとなりました。


会議室を借りての昼食です。
後ろから見ると、会議をしているように見えます。


バックネット裏の部屋です。
雨の後であり、ホームにシートが被せてあります。
このような所から野球場を眺めることは、滅多に出来ないことです。


西八幡社に到着です。
八幡社は小高い場所となっていて、歩いて来た後で、階段をのぼるのがキツく感じます。
(私には、何とも無かったです。)


八幡社の境内で説明が続きます。
南東の視界が広がりますが、家が一杯に並んでいます。
戦国時代は今のように家屋が無く、視界が広がっていました。


明治24年の古地図。
戦国時代。中根三城がありました。
城と言うよりも、砦のような物です。
この南東に桶狭間が有り、つばぜり合いが有ったのです。
言うならば前線基地です。

山崎川にかかる名鉄本線の鉄橋。
こんな説明がありました。
川の護岸が高くなりましたが、線路の高さはそのままです。
川の両岸を擁壁で高くしています。山崎川の水面が洪水で高くなると水色の水門を閉めます。
そのため、名鉄本線は不通となってしまうのだそうです。


師長公謫居跡



龍泉寺境内の歯痛地蔵です。
太平洋戦争の時爆風で顔半分がフッ飛んでしまいました。


鎌倉街道。
とても幅の狭い道です。
いざ、火事と言うときには消防車が入ってこれません。
この辺りは昔から、住家が有った場所です。
昔ながらの街道を残すか、開発で道路幅を広げるか、考えてみる必要があるのではないでしょうか。




ゴールが近づいてきました。


民家の庭先に蝋梅が咲いていて芳香を放っていました。山崎川では水仙が咲き始めていました。
上手く撮影できなかったのですが、生垣にはサザンカが咲き、花びらを落としていましたし、ボケも咲き始めていました。
小さい秋ならぬ、小さい春を見つけ、春の足音が聞こえると言った感じがしました。


今回、回ったコースでポイント、ポイントに標識が設置してありました。

歩いてきて、コースを振り返り面白いことに気が付きました。
歩いたコースの中で大喜寺付近や龍泉寺の裏あたりの道はとても狭かったのです。
幅が狭く軽四自動車がやっとと折れるくらいの幅しかありませんでした。
こういった場所が江戸時代の頃に人が生活していた所で、真っ直ぐの道になっている所は田んぼだったのです。
田んぼは道が造り易く改良されましたが、人が住んでいた地域は昔のままの道幅しかありません。
今のままにしておくのか、開発するのか分かれ道となります。

初めてのコースリーダーでした。
結果的に、津賀田神社へ着くとか瑞穂通りに出るとかが、出来ましたが道を間違えてしまいました。

今回、歩いてみて、西八幡社の南東の景色。今は住宅が立ち並んでいましたが、昔の風景が想像できました。
そして、大喜寺周りや龍泉寺の北側あたり。あの狭い道の部分が昔から人が住み続けた場所で、弥富通りや瑞穂通り、妙音通りなど真っ直ぐの道が有る所は田や畑だったのだということが分かりました。

こんなことに気づかせてくれる事がウオーキングの面白さです。
道端で蝋梅が芳香を放っていました。生垣のサザンカが咲いていました。
微かですが、春の足音を感じることが出来ました。

改めてウオーキングの面白さを感じています。



 

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一宮友歩会 第41回例会  河川探訪シリーズ 堀川編Part3  堀川沿いを歩く  

2012-12-05 22:03:47 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会で今回は熱田区、昭和区、中区と名古屋の中心部を南から北へ新堀川沿いを付いたり離れたりしながら北へ歩くコースでした。
特に熱田区では要所ごとに説明の札が立てられ、この辺りの歴史の古さを感じさせました。 
新堀川は、元は精進川と言う川でしたが、精進と言う言葉が良くないとのことで名を変えました。精進川は牛巻や雁道辺りが低湿地で大雨の度に氾濫して居たので掘削改良し、新しい川となりました。掘削改良した時の土は鶴舞公園の小山にされました。

神宮前駅 ― 熱田神宮 ― 宮の渡し公園 ― 裁断橋 ― 神宮東公園 ― 
西福寺 ―  村雲公園 ― 御器所八幡宮 ― 秀吉母宅跡 ― 尾陽神社 ― 
小酒井不水居宅祉 ― 八幡山古墳 ― 鶴舞公園 ― 溺死者慰霊碑 ― 
堀留水処理センター ― 清浄寺 ― 那古野山公園


今回歩いたコース地図です。



開かずの踏み切り。
今回の集合場所は名鉄神宮前駅でした。開始時刻前に参加者がチラホラと集まってきました。
ここは今年6月末まで道路だったのですが、踏切が廃止となりました。


新しい渡道橋計画と遮断された踏切。
JR東海道線と名鉄本線の踏み切りで、列車がひっきりなしに通過します。
新しく完成するのが平成28年。
もっと早く完成させれないでしょうか。



熱田神宮に来ました。


東海道の分岐となる場所です。


宮の宿の本陣が有った場所です。


七里の渡し公園。
かつてはここから桑名に向かって舟が出ていました。


徳川家康が竹千代と呼ばれていた頃に人質になっていた場所。
子供の頃に今川義元の人質になっていたことは知っていましたが、その前段階で信長の父親に、人質で取られていました。
幼い頃の家康。幼年期に人質としてよその武将の下に預けられていた子供の心境はどのような物が有ったのでしょうか。
今回の開催のため、下下見。下見を重ねてきましたが、その段階では、石碑が無くこのように工事中でした。

戦争の爪痕。
石柱は大澤山となっているのですが、空襲で折れたままになっていました。
このような石柱が折れ程強力な爆弾が落下下のでしょう。


戦争の爪痕。
鶴舞公園内に伯爵加藤孝明銅像で銅像部分が無く台座のみが残っていました。
説明板に昭和19年に戦時物資として供出したとなっています。心で供出反対を思っても表に反対意見を言えない時代でした。
近くにいた人からは、備え付けて復元してはどうかとの声が有りました。



御器所の歩道を歩きます。
木が紅葉し歩道に散っています。


秀吉の母の居宅が有ったといわれる場所。


尾陽神社で説明を聞きます。


御器所城の場所ですが、城の石垣だったのでしょうか。


精進川の溺死者の霊を祀る地蔵。
この地蔵建立の発起人の子孫と言う人が私たちの声を聞き、説明に来てくれました。


台座に発起人の名が刻まれています。


木の葉が落ち円墳の姿が良く判ります。


新堀川沿いに材木商が軒を連ねていました。
廃業した店もあることでしょうが、現地を歩いてみて、川で材木が運ばれてきて材木商が隆盛した事がわかります。


堀留水処理センターに着きました。


土曜日でしたが、特別に職員が説明に対応してくれました。


施設内を見学します。


堀留下水処理場の説明。


古い煉瓦が活用されています。


日本の下水道の先駆者だった堀留下水処理場。
100年を迎えました。


ゴールです。

大須のど真ん中に古墳が在ることを知りました。
円墳のような姿ですが、説明板には前方後円墳だったとなっています。
 

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一宮友歩会 第39回例会  河川探訪シリーズ 堀川編Part2  堀川沿いを歩く  

2012-07-09 19:31:27 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会で今回は名古屋の中心部から北東へ堀川沿い歩くコースでした。
名古屋城の築城に際し、開削された堀川沿いを歩き、歴史の深さを感じました。
今回はビール工場の見学が計画され、見学の後には出来立てのビールを試飲することが出来ました。

 松重閘門公園 ― 洲崎神社(9:45~10:06) ― 浅間神社(10:30) ― 清正像前(10:55)
 ― 下水道科学館(11:38~12:26) ― 黒川樋門(13:17) ― 天神橋(13:38) ― 
アサヒビール名古屋工場(14:17~15:50) ― 新守山駅(16:11) 



今回のコース地図。

集合時間に遅刻しちゃいました。
名鉄名古屋駅の南の山王駅に9時集合となっていました。
名鉄名古屋駅に着いたのが9時。山王駅は名鉄名古屋駅のすぐ隣の駅ですが、普通電車しか停まらない駅です。
名鉄名古屋駅で下車しましたが、普通電車が来る気配は全く有りませんでした。
これではいかんと、駅の外に出てタクシープールへ行くとすぐに乗車できたのですが、先へ進む信号は発車直後に変わり、ちっとも進めません。
それに、信号から右に向かって欲しいのですが、右折が出来ず左へ向かいロータリーから右へ行く。これだけでも5分以上ロスしました。
松重閘門が山王駅の西方に位置すると思い込んでいましたので、タクシーを駅の西付近でウロウロと運転させてしまいました。

タクシーを松重閘門付近へ来て下車しました。
もう、出発した後でどの方向に向かったかも分かりませんでした。近くに工事現場があって、そこの人に集団が通らなかったかと聞いても、気が付かなかったとの返事でした。
ここから北へ向かうのだからと国道19号線方面に行き、ガソリンスタンドでウオーキングの集団が通らなかったかと聞いても、見かけなかったとの事でした。
確か、堀川沿いを歩くことになっていたと、引き返し堀川沿いの道を北へ向かいました。
途中に有ったガソリンスタンドでウオーキングの集団が通らなかったかと聞くと、通ったとの返事を聞き、やっと尻尾を捕まえた。そんな気がしました。
そこから向かうこと5分余りで前方にウオーキングのグループを発見し、ヤレヤレの気分でした。

ネットで時刻表を見誤ったのだと後から、気が付きました。
松重閘門は両側に塔が立っている姿をしている事は知っていましたが、事前に地図で位置を確認しておけば、こんなことにならずに済んだと思います。


ウオーキングのグループ発見。
やっと、追いつく事が出来ました。



洲崎神社で由来などを聞きました。



都会の真ん中を流れる堀川。掘川沿いを歩きます。
先に見えるのは納屋橋。



岸辺にテーブルが出され、デートコースのような場所。



桜橋まで歩いてきました。
向こうに見えるのは名古屋駅のビル群。
桜通りの銀杏並木も見えます。


普段、じっくり見ることの無い桜橋をしっかりと見ました。
ブロンズでしょうか、桜がレリーフになっています。
装飾のライト。重厚な名盤。すべてが目新しく見えます。


四間道へ来て、屋根の屋根神様を見上げます。



屋根神様のアップと子守地蔵。



黒いトタン。その先には蔵。
古い城下町の雰囲気を感じる地域でした。



両側に名古屋城の石垣。
ここから丸の内に進みます。



名古屋城のお濠沿いを歩きます。



下水道科学館に到着しました。



下水道科学館で昼食を摂ります。



下水道科学館の屋外に各市のマンホール蓋が展示して有りました。
下田市は黒船。山鹿市は山鹿灯篭。佐賀市はムツゴロウ。飯田市は信州りんご。
下関市はフグ。そして高松市は那須与一。
各市のシンボルが蓋のデザインとなっていました。



下水科学館の館内を見学しました。



記念スタンプのコーナーがあり、記念にスタンプを押していきます。




黒川沿いを歩きます。
上は名古屋高速の黒川出入り口です。


黒川で広くなった場所が有りました。ここでは舟がターンするため広くなっていたのだそうです。
この場所はポケット公園化されていました。



御用水跡街園を歩きます。
両側に並べられている石は名古屋市電に使われていて、撤去後に活用したものだそうです。
こんなことを知る事が出来るのも、ウオーキングの効果でしよう。


黒川樋門の上を通過します。



矢田川の天神緑地へ来ました。
ここで説明を聞きました。
普段は矢田川沿いの道路を車で走ります。このような機会でないと緑地を歩く機会は有りません。


三階橋の名前の由来
矢田川の天神橋緑地へ降りた時、三階橋の名前の由来を聞きました。1階が矢田川の下を流れる堀川の伏越(ふせこし)(実際には矢田川の下なので、地下です)、2階が矢田川、
その上にかかる橋が3階になるので三階橋と言う名が付いたと説明を受けました。
 伏越(ふせこし)は暗渠です。中で竿の操作が出来ないので中に鎖があり、その鎖を伝って船が行き来したのだそうです。
当時、舟で大量の物資を運ぶことが出来たのですが、犬山から石を運んだりした貴重な交通機関でした。

 


アサヒビール名古屋工場に到着です。

ビール工場の見学。
今回のウオーキングの最後にビール工場の見学が予定されていました。
工場に着いたときには団体見学者のバスが数台停まっていました。
広い工場内を案内嬢の引率により、回りました。
工場の外には大きな発行熟成タンクが並んでいます。
工場内に入り仕込からパッケージングし、出荷するまでの説明がありました。
工場の生産行程で缶ビールが流れるところを見たかったのですが、土曜日でお休みでした。
それに、工場内の撮影は禁止となって、撮影が出来ませんでした。
最後にホールで試飲をさせて貰いました。つまみ付きでグラス3杯までとなっていて、まず、スパードライを味わってみました。
工場で出来たばかりのビールは美味でした。
お代りに「ベル・ビュークリーク」と言う珍しい商品を味わってみました。
ベルギービールでチェリーが入っていて甘酸っぱく爽やかな感じがするビールでした。


見学者のバスが数台停まっていました。
この中には子ども会として来ていました。何で子供会がビール工場へと思いまししたが、見学の後の試飲はソフトドリンクを飲んでいました。


広い敷地内に林立する発酵熟成タンクと案内嬢。
名古屋工場全体の熟成タンクの数や熟成タンクの容積を説明してくれました。


いよいよ工場の中に入ります。
ここから先は撮影が禁止となりました。



工場からでてきて、大きな熟成タンクが目に留まります。



ホールに案内して貰い、これから試飲です。



女性はスーパードライ。
男性はベル・ビュークリークをグラスに注いでくれました。



工場で出来たばかりのスーパードライの味を楽しみました。
出来立てで、美味しかったです。


新守山駅へ戻りました。



素敵なオバアちゃん。
今回はカミさんと一緒に参加しました。
参加者の中に女性同士で、カミさんと話が盛り上がった女性がいました。
赤いスポーツウェアに娘さんから譲られたと言うELLEのリュックが似合っていました。
皮膚が弱く、1年ぶりに参加したとの事でした。
ご主人を亡くされた後、60歳からピアノと琵琶を始めたそうです。
私は傍で聞いていただけですが、女性とカミさんは色々とお喋りしていました。
カミさんは今回で2回目の参加でした。新しく知人が出来ました。また、逢えるといいですね。

新守山駅のプラットーホームにて。


感想
名古屋の中心部を歩いたウオーキングでした。
日頃歩くことの無いコースで四間道や屋根神様など名古屋城の城下町らしい雰囲気の所を歩けました。
朝、アクシデントがあり追いつくことが出来ました。
朝の内パラ付いていた雨も上がり順調に終えることが出来ました。

 

コメント (2)
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一宮友歩会 第38回例会  史跡巡りシリーズ 西尾張編Part9  扶桑町から犬山市へ歩く  

2012-06-04 19:38:25 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会で扶桑町から犬山市へ尾張北部を歩きました。
今回の目玉は端折長柄傘(ツマオレ ナガエガサ)の工房を訪ねることと、犬山の街中を散策することです。
端折長柄傘とは、野点などで目にする朱色をした大きな傘です。日本国内で製作しているのは、この工房だけだそうです。ご主人は近頃は中国製の品物も出回ってきたと、話していました。
また、午後に歩いた犬山では犬山踊芸祭が開かれ、城下町が賑わっていました。

 名鉄柏森駅(9:17) ― 専修院東門(9:28) ― 悟渓屋敷(10:12~10:15) ― 
般若用水元杁跡(10:35) ― 端折長柄傘工房(11:13~11:33) ― 
木曽川犬山緑地(12:05~12:40) ― 先聖寺(12:58~13:22) ― 犬山市本町 ― 
犬山ひばりヶ丘公園(14:33) ― 小野洞砂防公園(14:42~15:00) ― 名鉄富岡駅(15:22)

 

今回、歩いたコース地図。


名鉄柏森駅からスタートしました。


最初に寄ったのが専修院の東門を見学します。
犬山城が廃城となり売りに出されたのを買い取ってこの場所に移築したのだそうです。


悟渓屋敷。
禅僧悟渓宗頓の出生地。境内に大きな枝垂桜が有りました。


般若用水元杁跡。
江戸時代の用水の取り入れ口のようなもの。
かつて、この場所から木曽川の水を取入れ田畑を潤していました。
その場所で説明を聞きました。



木曽川「御囲い堤」の説明板。
説明板の向こうは木曽川で各務原市となります。


端折長柄傘の工房に着きました。


工房のご主人から端折長柄傘の説明を受けます。


使かっているのは絹糸だそうです。
手作りで美しさが有ります。


玄関先に置かれた端折長柄傘。


工房の中を拝見。
左は炭を使い熱で、竹のクセを直します。
右は竹の形を整えます。


工房内で紙を貼ったりする部屋。


扶桑町のマンホールの蓋。
端折傘のデザインが使われていました。

畑の中を歩きます。
ここの土地は砂地で、秋には守口大根が収穫されます。
今の時期はゴボウを作っている畑が多かったです。


木曽川犬山緑地が見えて来ました。
あの場所でお昼となります。



昼食後に向かったのが黄檗宗先聖寺。
中国式のお寺です。


住職から講和を聞きました。


先聖寺のシンボル。
魚梛(かいぱん) とさわり布袋。
先聖寺の本山は京都宇治の万福寺です。万福寺にはもっと大きな魚梛(かいぱん)が有りました。
この先聖寺が万福寺のミニ版のように感じました。



犬山では市内で何箇所かの会場で踊芸祭が開かれていました。
若いエネルギーが躍動する。
毎年、夏の終わりに名古屋市の中心部で「ど祭り」が開かれます。
隣りにいた人が話していました。
「ど祭りで毎年、上位に入るのは、犬山で遣って来たチームや。」
これから8月の祭りに向かって、更に燃えることでしょう。

犬山を歩いていて水戸黄門の姿をした人や鎧甲冑姿の人を見かけましたが、イベントとして取り組んでいるのか、毎日行われているのか分かりませんが、城下町の町おこしで取り組んでいるのか、このように行われるのは、良い事だと思いました。


葵の印籠を持った水戸黄門様や助さんに合えました。


鎧甲冑姿の武者たちも登場。
遠くに犬山城が見えます。


賑わっている本町の通りを歩きました。


山車の蔵。
犬山祭りにはここから山車を出して、町内を練り歩きます。
歩いていて、2箇所目にしましたが、町内のあちこちに有る事でしょう。



犬山ひばりヶ丘公園。
ウオーキングが終盤を向かえました。
この坂を登るのがキツかったです。



小野洞砂防公園。
説明を聞きます。


整備された砂防公園。
園内には砂防施設の仕組みが解説して有りました。


お疲れ様でした。
名鉄富岡駅に到着です。


尾北の史跡を訪ね説明を受けました。ただ、単に歩くだけでなく、見学をして知識を深めることが出来る。それもウオーキングの魅力です。
今回、訪ねた端折長柄傘の工房へは個人的に訪れる事が無理な場所であり、このように見学の機会を持つ事が出来たのは嬉しいことです。端折長柄傘の話では、今の所、後継者がいないそうです。それに傘の販売ルートが確立しているそうです。個人的に工房へ買い求めに来られても困ると話していましたので、工房の名を表すことを控えます。


集合の場所は名鉄の柏森駅でした。
駅の階段を降りて来たら、協力員の人から「今日は、奥さんは?」と声を掛けられました。
この一宮友歩会に参加するようになったのは、昨年10月からで、3回参加しました。
前回、各務原でウォークし、カミさんも一緒に参加しました。
声を掛けられましたが、覚えて貰えていたと言うことが嬉しかったです。

週間予報では、雨となっていましたが、曇り空で雨の心配をすること無くウオーキングができました。
逆に曇りで炎天下を歩かなくて済み、幸いでした。
今回のコースの距離は16キロとなっていましたが、会長に寄るとこの1~2割は余分だそうです。
となると。19キロ程。
良く歩きました。

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一宮友歩会 第37回例会  史跡巡りシリーズ・岐阜編Part5  各務原市を歩く  

2012-04-14 23:30:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会で各務野を歩きました。
スタートした朝の内は雨でしたが、時間が経つに連れて曇りとなり、途中からは薄日が差す天気となりました。
雨のため参加者はいつもより少なく35名でした。
散りだした、桜を見ることが出来る最後の時でした。朝の内、雨の中桜を楽しみながら歩く事が出来ました。

名鉄名電各務原駅 ― 各務原中央公園(9:20) ― 炉畑遺跡(9:42~10:02) ― 
前渡不動駐車場(10:38~10:44) 
― 浄水公園  ― 三井池公園(12:00~12:40) ― 
市民公園(13:12~13:20) ― 
手力雄神社(14:00~14:30) ― 善休寺(15:03) ― 
少林寺(15:05~15:15) ― 名鉄新加納駅



主催者から配布されたコース地図。



雨が降る中を各務原中央公園を出発します。



前方に炉畑遺跡が見えてきました。



炉畑遺跡に到着です。
桜の花びらが雨で落ちています。



1号住居。風雨で上屋が痛んでいます。
入り口から内部を見学します。



各務原はニンジンの生産地。
ビニールフレームの中では春ニンジンが育っています。



浄水公園にやってきました。




見事な枝垂れ桜。



浄水公園で猿尾堤の説明を聞きます。
右は猿尾堤です。



お昼を食べる三井池公園に着きました。



資料で木曽川の歴史を教えて貰います。



桜並木の脇を歩きます。



各務原市民公園に到着です。



市民公園の桜は終期で盛んに散っていました。
路面には花びらが、



新境川の横を歩きます。



花見橋を渡ります。



手力雄神社に到着しました。



手力雄神社の宮司から神社の歴史を聞きます。



市文化財の雌雄の龍の説明板。



本殿の両側に雌雄の龍の彫刻があります。




列で歩きます。
向こう側にはJR高山線の線路。



善休寺に到着しました。
善休寺は旧中山道に面しており、石柱がありました。



少林寺で旗本坪内家のお墓の説明を受けました。



少林寺の横で整理体操をしました。



今日の歩行数です。
各務原市内を東から西へ。
良く歩きました。




解散式の後、新加納立場に寄りました。
ここ、新加納は鵜沼宿と加納宿の間に位置し、両宿の距離が長いため間の宿(アイノシュク)として設けられました。
折れた街道で桝形となっています。


感想
雨の中をスタートして、各務原を東から西へ歩きました。
日頃、目にすることの少ない景色の中を歩き、新鮮な印象を持ちました。
ポイント、ポイントで説明を受け見識を深める事が出来ました。








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三河三谷からラグーナ蒲郡へ歩く  一宮友歩会 協力員親睦ウォーク

2012-03-24 23:01:18 | 一宮友歩会



一宮友歩会の協力員親睦ウォークが開かれました。三河三谷駅で下車し、三谷の街の中をウォークしてからラグーナ蒲郡に向かい、ノルデックウォークを体験してきました。
朝のうち、雨に降られるあいにくの天候でしたが、ノルデックウォークを体験する頃には、雨が上がり、濡れることなく行う事が出来ました。


三河三谷駅の前で。
会長の挨拶から始まりました。


列で三谷の町の中を歩きます。


蒲郡は暖かいところなのでしょう。桜の蕾が膨らみ、咲くばかりになっていました。


金剛寺に参拝します。


南側へ来ると、大弘法大師像がそびえています。


三谷海岸へ来ると雨が降り出しました。


ラグーナはもうすぐです。


ラグーナに到着する頃には、陽がさし始めました。


ポールの長さを調節してからノルデックウォークを始めます。


ウォークの前に準備体操をします。


ラグーナの周りをウオーキングします。


雨が上がりましたが、風が強かったです。




4キロのポスト。今日のコースは7キロだとインストラクターが話していました。


ウオーキングが終わった後。
皆が使ったポール。

 

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