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一宮友歩会 第41回例会  河川探訪シリーズ 堀川編Part3  堀川沿いを歩く  

2012-12-05 22:03:47 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会で今回は熱田区、昭和区、中区と名古屋の中心部を南から北へ新堀川沿いを付いたり離れたりしながら北へ歩くコースでした。
特に熱田区では要所ごとに説明の札が立てられ、この辺りの歴史の古さを感じさせました。 
新堀川は、元は精進川と言う川でしたが、精進と言う言葉が良くないとのことで名を変えました。精進川は牛巻や雁道辺りが低湿地で大雨の度に氾濫して居たので掘削改良し、新しい川となりました。掘削改良した時の土は鶴舞公園の小山にされました。

神宮前駅 ― 熱田神宮 ― 宮の渡し公園 ― 裁断橋 ― 神宮東公園 ― 西福寺 ―  


村雲公園 ― 御器所八幡宮 ― 秀吉母宅跡 ― 尾陽神社 ― 小酒井不水居宅祉 ― 八幡山古墳


 ― 鶴舞公園 ― 溺死者慰霊碑 ― 堀留水処理センター ― 清浄寺 ― 那古野山公園


今回歩いたコース地図です。



開かずの踏み切り。
今回の集合場所は名鉄神宮前駅でした。開始時刻前に参加者がチラホラと集まってきました。
ここは今年6月末まで道路だったのですが、踏切が廃止となりました。


新しい渡道橋計画と遮断された踏切。
JR東海道線と名鉄本線の踏み切りで、列車がひっきりなしに通過します。
新しく完成するのが平成28年。
もっと早く完成させれないでしょうか。



熱田神宮に来ました。


東海道の分岐となる場所です。


宮の宿の本陣が有った場所です。


七里の渡し公園。
かつてはここから桑名に向かって舟が出ていました。


徳川家康が竹千代と呼ばれていた頃に人質になっていた場所。
子供の頃に今川義元の人質になっていたことは知っていましたが、その前段階で信長の父親に、人質で取られていました。
幼い頃の家康。幼年期に人質としてよその武将の下に預けられていた子供の心境はどのような物が有ったのでしょうか。
今回の開催のため、下下見。下見を重ねてきましたが、その段階では、石碑が無くこのように工事中でした。

戦争の爪痕。
石柱は大澤山となっているのですが、空襲で折れたままになっていました。
このような石柱が折れ程強力な爆弾が落下下のでしょう。


戦争の爪痕。
鶴舞公園内に伯爵加藤孝明銅像で銅像部分が無く台座のみが残っていました。
説明板に昭和19年に戦時物資として供出したとなっています。心で供出反対を思っても表に反対意見を言えない時代でした。
近くにいた人からは、備え付けて復元してはどうかとの声が有りました。



御器所の歩道を歩きます。
木が紅葉し歩道に散っています。


秀吉の母の居宅が有ったといわれる場所。


尾陽神社で説明を聞きます。


御器所城の場所ですが、城の石垣だったのでしょうか。


精進川の溺死者の霊を祀る地蔵。
この地蔵建立の発起人の子孫と言う人が私たちの声を聞き、説明に来てくれました。


台座に発起人の名が刻まれています。


木の葉が落ち円墳の姿が良く判ります。


新堀川沿いに材木商が軒を連ねていました。
廃業した店もあることでしょうが、現地を歩いてみて、川で材木が運ばれてきて材木商が隆盛した事がわかります。


堀留水処理センターに着きました。


土曜日でしたが、特別に職員が説明に対応してくれました。


施設内を見学します。


堀留下水処理場の説明。


古い煉瓦が活用されています。


日本の下水道の先駆者だった堀留下水処理場。
100年を迎えました。


ゴールです。

大須のど真ん中に古墳が在ることを知りました。
円墳のような姿ですが、説明板には前方後円墳だったとなっています。
 

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