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Kオジサンの新・山歩きの記

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ウオーク同好会  4月例会  「森林インストラクターの案内で鵜沼周辺の自然観察ウオーク」

2024-04-22 23:03:27 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の4月例会です。
今月は森林インストラクターの井上さんの案内で大安寺川のホタルの里辺りを歩きました。
いつもですと平地のウオークなのですが、自然な環境の中をウオークすると言うのは初めてです。
井上さんから解説を聞きながら歩くことが出来ました。



4月例会のお知らせです。
中山道鵜沼宿脇本陣駐車場からホタルの里へ歩きます。



中山道鵜沼宿脇本陣駐車場です。
今回は、ここが集合場所となっていました。



大安寺川の横を歩きます。



誰かが民家前の赤い花を見つけ、ミンナが近寄りました。
民家の道路沿いに咲いていた花です。
この花、ストロベリーキャンドル、ストロベリートーチ、ベニバナツメグサ等と呼ばれいます。




井上さんから解説を受けます。



摘んできた黄色い花の解説です。



摘んできた黄色い花。



大安寺川の岸辺に咲いていた黄色い花。
井上さん。この黄色い花を摘んできて解説してくれました。





黄色い花は雲南黄梅(ウンナンオウバイ)。
雲南と有る様に中国から来た花です。
井上さんが大安寺川の岸辺から花を取ってきました。
川の岸辺に有り、野生化しているのかも知れない。

それからカルガモの解説です。
母ガモに続いて子ガモがヨチヨチと続く。
そんなシーンがニュースで取り上げられた事が有ります。
カルガモの親子です。
夏留鴨と書くカルガモ。
北へ帰らずに留まる鴨。
だから夏留鴨と言う解説でした。






こちらは別の場所です。
日本のタンポポと西洋タンポポの違いの解説です。




大安寺川ホタルの里まで来ました。

何年かぶりにホタルの里へ、昨年6月に訪れました。
そろそろ良い時期だろうか  大安寺川 ホタルまつり - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)




蛍のエサとなるカワニナを育てています。



帰る途中に見つけたコウゾの葉です。

ミツマタが和紙の原料となります。
コウゾも和紙の原料となるが、アサガオのような形をした葉で有るのを知りました。
深く裂け目が入った葉が特徴です。



ベニモクレンが咲いていました。
ハクモクレンに比べて咲く時期が遅いです。


最後に
今回は森林インストラクターの解説を聞きながらのウオークでした。
コウゾの葉を教えて貰いました。
カルガモの意味を教えて貰いました。
知らないことを知るのが面白いです。

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ウオーク同好会  2月例会  「鵜沼宿ボランティアガイドの案内で伊木山ウオーク」

2024-02-26 23:33:10 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の2月定例ウオークです。
今月は鵜沼宿ボランティアガイドの板鼻さん案内で伊木山を歩きました。
いつもですと平地のウオークなのですが、山をウオークすると言うのは初めてです。
単に山歩きをするので無く伊木山にまつわる人物である伊木清兵衛の解説をボランティアガイドから聞きました。



観音寺北側の駐車場。
ここから登山口となっていました。
駐車場に有った伊木山の案内図です。




集合場所が観音寺の北側の駐車場となっていました。
既に皆さん、集まっています。
ここ、集合場所は判っていましたが、ここへ来る道が分からなかったのです。



今日の案内役。
ボランティアガイドの板鼻さんです。
出発前にも解説が有りました。



登り始めです。
登り始めは緩い勾配です。



少したって勾配が有る道になりました。
木材を使って登山道が整備して有ります。
山ですので勾配が有りますが歩き易い道でした。



本宮跡に来ました。
解説している板鼻さんです。


この本宮跡。
何個も石碑が並んでいました。
中心の石碑。明治24年10月に有った濃尾大地震紀念碑です。



歩いている途中、振返ると各務原市の中心部が見えました。
遠くの冠雪した山は能郷白山。
各務原アピタ。その左にニッケその左に岐阜車体が見えます。



伊木山の山頂まで来ました。



山頂から見える名古屋方面です。
名古屋駅の高層ビル群。
そして小牧山。
この画像では判り難いですが、名古屋ドームも見えました。




キューピーの鼻へ向かいます。



キューピーの鼻に来ました。



キューピーの鼻からの眺望です。
木曽川に架かるライン大橋、そして犬山城。



ライン大橋をズームしました。



キューピーの鼻から播隆上人の修行場へ向かいます。



ここが播隆上人の修行場です。
石像が有りました。



熊野神社へ向かいます。



熊野神社に下山してきました。



熊野神社の参道に設置して有った石碑です。
この大正5年に建立された石碑。
伊木清兵衛を讃えるものです。
漢文調の石碑の横に解説板が有るから碑の内容が分かります。



石碑を解説する板鼻さんです。
伊木清兵衛は池田輝政に仕えました。池田輝政は姫路城を築き西方に向って睨みを利かせました。
その主君に仕えたのが伊木清兵衛です。



最後に
いつもは平地歩きのウオーク同好会。
今回は山歩き。
山歩きでも普通の山歩きでなく、ボランティアガイドさんの解説付きでした。
著名な池田氏、それに比べて光の当たらない伊木氏。
伊木清兵衛の功績にもっと光を当てても良いのではなかろうか。


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ウオーク同好会  1月例会  今月は浜木綿で会食

2024-01-22 23:03:56 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の1月例会です。何時もならウオーキングするのですが、今月は新年の月です。
ウオーキングをするので無く会員が揃い、新年の顔合わせ。
そして会食をしました。



各務原市民公園です。
今日の会場は浜木綿 各務原店となっていました。
歩いて行けない場所ではないので、徒歩で出かけました。



国道21号線を歩いています。
普段なら車で通過してしまう道。
その道の歩道を歩きました。



浜木綿 各務原店。
各務原市三井東町1丁目110番 へ来ました。





案内されたのがの部屋でした。
2部屋が通しとなっていて円形テーブルの椅子席となっていました。




メニューです。
花珠小籠包ランチコースを選びます。
メイン料理はえびと茄子のチリソース。彩り野菜の油淋鶏。白身魚の葱・生姜蒸しから好きなのをを選びます。
ご飯も白飯かお粥を選び、200円アップすると、とび子レタスチャーハンに変えることが出来ました。



前菜です。
ウエイトレスが説明してくれたのですが、早口で話されたので何と言うお料理なのか判らなかったです。
麺は豆腐を材料にしたものらしかったです。
ビネガーだろうか。グラスに入ったピンクの酢。
これで乾杯してスタートしました。



スープです。




メイン料理。
えびと茄子のチリソースととび子レスチャーハンです。
とび子とは飛び魚の魚卵なのでしよう。
鮮やかな色をしていました。




花珠小籠包ランチコースで、小籠包です。
下側に薄いダイコン輪切りが下敷きとなっていました。



桃の形をした萬頭です。
Kさんの計らいで戴けました。



杏仁豆腐とコーヒーです。
飲み物は好きなものを選ぶことが出来たのでコーヒーにしました。



同じ年代の仲間同士です。
健康の事。年金の事。
話の種は尽きません。
2月例会について話が有り、お終いとなりました。




各務原市役所のエントランスです。
鵜沼宿の脇本陣で吊るし雛の展示が行われます。
その前段として開催されました。
各務原市役所で吊るし雛の展示してあると聞いたので寄ってみました。





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ウオーク同好会  12月例会  「手力雄神社と旗本徳山家の史跡をウオーク」

2023-12-18 23:09:01 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の12月定例ウオークです。
今月は私たちの地元である那加地区に有る地域のウオーキングです。会長の案内で手力雄神社をスタートしてから徳山陣屋公園へかけてのコースを歩きました。



12月定例ウオークの開催連絡です。




集合場所が手力雄神社でした。



ハッサクだろうか夏ミカンだろうか。
民家の塀から伸びた柑橘類の枝です。




山後町地内を歩いています。
右や左の家屋。
新しい家が並んでいます。



右は民家。
左は竹ヤブです。
綺麗に生えてる竹です。
きっと良いタケノコが収穫できるのでしょう。



こちらは民家から見えたレモンです。
このレモンの上にも何個か有りました。




お地蔵さんが有りました。



地蔵の解説ですが読み難くなっています。



徳山陣屋公園へ来ました。




ここ徳山陣屋公園は陣屋の跡を縮尺を縮めて再現して有ります。
旗本徳山家の陣屋が有りました。



会長が用意してくれた資料です。
初代 徳山五兵衛則秀は織田信長に仕えたり、関ヶ原の合戦では家康に仕えたりしています。
   「とくやま」でなく「とくのやま」と名乗ったと有ります。
3代 重政は本所築地奉行となり埋め立てを指揮したり区画整理を進めたとあります。今で言うなら建設大臣的な職を務めたこととなります。
5代 秀栄は火付盗賊改め方を勤めたと有ります。その事を時代劇ドラマで取り上げられています。
歴代の当主は幕臣として江戸を生活拠点としており、美濃には現れなかったのだそうです。




西市場地蔵堂です。



この地蔵堂に安置されていたお地蔵さんの解説です。
盗難に遭い無くなってしまいました。




西市場の神明神社へ来ました。
この石灯籠。徳山家から寄進されたもので市の文化財に指定されています。
危険防止で鉄枠が掛けられています。
読み難いですが江戸の文字が彫られ江戸から持ってきたものです。
江戸から持ってくるとなると箱根を越えたりして大変だと私が言ったら、船で運んできたのだそうでした。



歩いていてアルミのファンが積み上げられているのが見えました。
そこにファンを制作している会社の従業員が居ましたので、このファンは何に使うのかと尋ねましたら船舶の排気用だと教えてくれました。自動車運搬船の船内。空気を排出するものだそうでした。
船の排気で甲板に逆Jの字の物が出ている。あれが排出口なのだそうでして、船内の排気するファンだと言っていました。
一つ知識が増えました。



手力雄神社へ戻ってきました。
手力雄神社本殿に備わる雌雄の龍です。
市の文化財に指定されています。



ピンボケでしたが左が千両で右が万両です。



お昼の時間となりました。
手力雄神社の南側の店。
Happy・nessと言うカフェ・ダイニングです。





ピンボケですが、モーニングを撮りました。
コーヒーにお握りとトースト。茶碗蒸しが付いています。
これで400円。
12時を過ぎた時間でしたが、モーニングを13時までやっているのでオーダー出来ました。



最後に
今年最後の例会でした。
徳山家に付いて知識を深めることが出来ました。
以前にアルミ工場の前を歩いた時にアルミファンを見かけました。今回、アルミファンの近くに従業員が居て何に使うのか聞くことが出来ました。
知らないことを知るのが面白い。
ウオーク同好会で22年10月に鵜沼の南部、23年2月に那加の新加納を歩きました。
このように地元を歩くのも良いです。

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ウオーク同好会  11月例会  「多治見観光ボランティアガイドの案内で廃線跡ウオーク」

2023-11-27 23:33:00 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の11月定例ウオークです。
今月は多治見観光ボランティアガイドの案内で廃線跡になってしまった笠原鉄道の跡を歩くと言うものでした。
沿線の主産業である陶磁器の原料および製品を運搬する目的で敷設され、旅客営業も行っていたが、自動車の普及により利用者が減少した。1971年に旅客営業が休止され、1978年には貨物営業も廃止された。
その鉄道敷地が陶彩の径と名付けられ整備された。そんな道をウオーキングしてきました。



東濃鉄道の廃線フォークのチラシ。




多治見駅で下車して土岐川に向かって歩いています。



笠原川を渡ります。




笠原川を渡った場所で多治見観光ボランティアガイドの説明を受けています。



笠原鉄道の橋脚です。
橋が撤去されているが土岐川側の橋脚だけが残っていまだけ
反対の笠原町側は擁壁の整備で撤去されたのでしょう。残っていません。



笠原鉄道の跡地が陶彩の径と名付けられ整備されています。
沿線を紹介する地図が有り、見ています。




陶彩の径。
笠原鉄道の跡地の地図です。
なお、この場所は本多治見駅が有った所です。



今日、私たちを案内して下さる多治見観光ボランティアガイドです。
2人のガイドが携わってくれました。



すぐ横に有った陶彩の径の解説碑です。



解説碑の写真。
蒸気機関車が映っています。
笠原鉄道が開業した当時はこのように蒸気機関車で運行していた。
左は土岐川を渡る列車です。
橋脚が有りますが、今では撤去されて残っていません。





陶彩の径を歩きます。
先の方が左にカーブして行きます。
ここを列車が走っていたと言われれば、そのように想像できます。



陶彩の径を整備する人。
生垣を刈り込んでいました。
市から依頼を受けてやっているのだろうか。
このようにして貰えるから、陶彩の径が綺麗になっています。



両側の桜。
春の時期、美しく咲き誇ることでしょう。
少し勾配が有ります。
当時、機関車が喘ぎながら登ったのでしょう。



旧市之倉口駅跡の地図です。



多治見市のマスコット。
うながっぱ」です。
民家の入口に有りましたが、注目の的となりました。




切通の場所。
旧下滝呂駅跡です。
先の方の紅葉が綺麗です。



旧下滝呂駅跡の地図に有った切通しの場所のかつての姿です。
鉄道敷となっていました。



紅葉したカエデです。



紅葉したカエデを写して



滝呂中央公園でトイレ休憩となりました。
公園で目にしたモニュメントと言うのかアーチです。



相合傘やハートマーク。
右側には1973細川内閣土井議長と有ります。
このモニュメントがその時代に設置されたものなのでしょう。
陶器の街、笠原ならこのような物を焼くのは訳ない事でしょう。
一枚一枚に個性が有り面白いです。



モザイクアートで表現された多治見市内の小中学校の姿と校歌がズラ―と並んでいます。



旧笠原駅跡まで歩いて来ました。



陶彩の径旧笠原駅跡の地図です。
スタートした時の地図とは逆になっています。



地図に載っていた当時の写真。
ディーゼル機関車と当時の笠原駅の風景。
プラットホームに停車しているのはディーゼルカーだと思います。
登校する女子高生だろうか。



笠原神明宮まで来ました。
ここの境内で昼食にしました。
ボランティアガイドを通じて境内で食べる許しを得ていたのです。



昼食後、時間が有りましたので、笠原の酒蔵。
三千盛に行ってきました。
純米大吟にごりの300CCを買って来ました。






笠原車庫前のバス停です。
多治見駅前行のバスが来ました。



最後に
陶彩の道を歩いていて軽四トラックが停まっており、男性が作業しているのを見ました。また、その近くで木の枝を剪定している人も居ました。このような場面に出会ったから分かったのだが、出会わなかったら判らなかったかもしれない。このような美観保持のほか、沿線住民が並べたのでしょう。狛犬かシーサーか。陶製の物が有りました。旧駅跡にはガラス扉となった展示ケースの中に絵手紙の作品が掲示して有りました。
このようなことから沿線住民が陶彩の道を可愛がっていると思えました。

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ウオーク同好会  10月例会  「垂井宿ボランティアガイドの案内で垂井宿をウオーク」

2023-10-23 23:34:06 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の10月定例ウオークです
今月は中山道の垂井宿。ボランティアガイドの案内で宿場跡を歩くと言うものでした。
宿場町だった垂井町。
垂井宿をボランティアガイドの案内で歩いた後、味噌カツのランチが美味しかったです。



垂井宿のマップです。



垂井駅へ向かう列車の中です。
大人たちの遠足?と言う感じです。



垂井駅で迎えて下さったお二人です。
YさんとMさんです。



ボランティアガイドのハッピです。
垂井町街角案内の会となっています。



最初に案内していただいたのが東の見附です。
この場所。
今は橋が架かっていますが、江戸時代。
人々が往来した時は渡し場となっていました。
川の水の深さで値段が変わったのだそうです。
膝までの深さの時は24文。今の貨幣価値で240円位と言う事でした。
当然、水位が増すと渡し賃が上がります。
今は橋が有り、簡単に渡れます。
昔の旅人は苦労して旅をしたのだと想像します。



細い道。
紙屋小路を歩いています。



紙屋塚へ来ました。
ここに紙工房が有ったと書かれています。
美濃和紙は美濃市にルーツが有ると思っていましたが、こちらが美濃和紙の本家のようです。



細井家の門です。
屋根が付いている門です。
冠木門と言うようです。



旅籠 亀丸屋。
垂井宿の旅籠だった所です。
この建物、中山道に面しているが、この建物でクランク状となっています。
いわゆる桝形です。



垂井宿の中を歩きます。



ミニ看板ギャラリー。
かつて酒屋だった所です。
子どもたちが描いた絵を掲げています。



旅籠に来ました。



この場所。
ボランティアの人たちの活動拠点です。
かつて旅籠であったが酒造所跡となっています。






旅籠 長浜屋の解説です。
江戸時代は旅籠であって明治期に酒造所となりました。


されています。
長濱屋酒店が隆盛を誇った頃の一升徳利です。
埃で汚れたガラス戸の中に収められています。
ガラスの一升瓶が出る前の時代、活躍した一升徳利ですが、埃を被り粗末にされています。



本龍寺の前。
復元高札場が有ります。



本龍寺です。



色々の屋号が出ていました。
ここは油屋です。
京側があぶらやで江戸側が油屋となっています。



西の見附まで歩いて来ました。



高札板を火災から守るのに池に浸したと言う説明が有りました。





水路を水が流れています。
今の時代、水道から簡単に水が流れますが、この用水。
生活用水として使っていたのだそうです。



垂井城跡へ来ました。
城跡と言っても石垣が無い城跡です。
砦的なものだろう。



お昼の時間です。
昼食で「いっしょう」に入ります。



味噌カツ定食です。
全員がこのメニューで注文しました。
ボリュウムの有るトンカツ。
美味しかったです。



最後に
ボランティアに案内されて宿場街歩きでした。
この垂井町が美濃和紙のルーツだとか高札板を火災から守るため池に高札板を浸したとか。
一宮友歩会の例会で垂井町を歩いた事が有ります。
でも、それは自分たちで歩くコースを組み立て歩きました。
「一宮友歩会」のブログ記事一覧-Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)
「一宮友歩会」のブログ記事一覧(2ページ目)-Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)

今回は垂井町のボランティアガイドの案内で町内を歩きました。紙屋小路を歩きましたが、このような道。地元の人だから知っている道でした。
知らないことを教えて貰いました。
発見が面白いです。

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ウオーク同好会  9月例会  「リニア鉄道館&クルーズ名古屋  名古屋港ウオーク」

2023-09-18 23:47:41 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の9月例会です。今月はリニア鉄道館を見学した後、クルーズ名古屋ささしまライブ広場までの中川運河クルーズを体験するミニ船旅を味わうと言うものでした。
集合場所はあおなみ線のホームとなっていました。
金城ふ頭乗船場からガーデンふ頭へ。ガーデンふ頭で乗り継いでささしまライブに来ました。
船は中川運河を遡って来たのです。
中川運河と伊勢湾の水位が違い、閘門が設置して有るのを知りました。




あおなみ線の名古屋駅1番ホームです。
ここへ9時45分に集合となっていました。



あおなみ線の金城ふ頭駅に着いてからリニア鉄道館へ歩いて来ました。
自販機で入館券を買い、館内に入ります。



館内に展示して有ったC62です。
この蒸気機関車、東海道線や山陽線の特急列車をけん引したものです。



館内で記念写真が撮れる場所です。



全員写真を撮りました。



館内を歩きます。



懐かしい車両をショット。
この「しなの」の車輛。
中央線が電化する前に走っていたものです。




リニア鉄道館から出てきて名古屋クルーズの金城ふ頭乗船場へ来ました。



クルーズ名古屋の航路図です。
大きな看板が設置して有りました。



クルーズ名古屋の乗船券。
金城ふ頭からガーデンふ頭へ。
そして、ささしまライブまで乗船します。




11時50分発のガーデンふ頭行きが接岸しています。
アノ船。「ガーデン」という名だそうです。




船は出発しました。
船長と甲板員です。



船が出てから屋上に上がっても良いと言われ、全員が屋上に上がりました。
乗船客は私たちだけで貸し切り状態です。

北へ向かって行く船。
前方に名港トリトンが見えます。
名古屋港に架かる大きな橋。
前方は名港中央大橋です。



名港中央大橋の下を通りぬけます。
ミンナが撮影しています。



私も撮影しました。
このように名港中央大橋を下から撮影できるのは滅多にない事です。





僚船だろうか。
アノ船も屋上に人が乗っている。
声を上げて交歓です。



イワシだろうか、ナブラが見えます。
ナブラとは海面近くに浮上した魚の群れのことです。大型の魚に追われて小魚が逃げ惑い、海面がざわつくことを、ナブラが立つといいます。
2018年4月3日に名古屋港管理組合が主催する「みなと体験ツアー」に参加しました。
「みなと体験ツアー2018」    名古屋港を船で海上から見学 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
その時に船上からイルカを見かけました。
この魚の群れと言い、イルカと言い、名古屋港に自然が有ると言えるのでしよう。




船内のスピーカーから「10号地灯台」の戦争遺跡と紹介が有りました。
近くに寄ったら生々しい傷跡が見えました。
この10号地灯台。埠頭敷地内の立入りが出来なくなっていて、海上からの船内見学のみとなっています。
船が近寄ってくれたので判りましたが、近寄らなかったら判らなかったです。




船はブルーボネットに寄港します。




ガーデンふ頭乗船場に着きました。
ここで、ささしまライブ行きの船に乗り換えです。
13時にささしまライブ行きの船が出ます。
出発までポービルの待合室で待ちます。



下船した時、テレビ局の取材クルーを見かけました。
どちらの局?と聞いたら、メ~テレだと言う返事でした。
早々と、私たちが乗って来た「ガーデン」の屋上へ上がっていました。



そして、沖に向かって行く「ガーデン」です。



13時発のささしまライブ行きの改札が始まりました。



この船に乗ります。



出発です。
係留ロープを解いています。



名古屋港水族館を後にします。



操舵する船長。
この船には甲板員は乗っていませんでした。
出発した船は右に進路を取り中川運河に向いました。



中川運河に入ってきました。
大きな閘門に差し掛かりました。
この場所はgoogleの地図に中川口通船門と載っています。
撮影した時には気が付かなかったですが、アオサギかゴイサギか、サギが居ました。



船内アナウンスによると
中川運河は外海の方の水位が高く、ささしまの方が低いとの事でした。
パナマ運河のような閘門を通過します。
水を排水して水位を下げます。
雨で水位が判り難いですが、水の高さを表示しています。



閘門室内と前方の水位が同じ高さとなり、閘門が開きます。



前方に見えるのは広見憩いの杜です。
白い橋の方に行くと松重閘門が有ります。



ささしまライブに着きました。
この船。
スーパーコメットと言う船名でした。
この時間は13時48分でした。



ささしまライブ。
私はここでグループと別れました。




クルーズ名古屋のパンフです。


最後に
ささしまライブへ着いた時間は13時48分でした。金城ふ頭を出発したのが11時50分。ガーデンふ頭までの後、休憩時間が有りましたが、2時間の船遊びでした。乗船代は1,500円となっていましたがJAFの会員割引で1,350円でした。これだけ乗船してこの料金。値打ちだと思いました。
名古屋港を楽しめました。

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ウオーク同好会  8月例会  今月はビュッフェスタイルの会食です

2023-08-28 23:08:54 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の8月例会です。何時もならウオーキングするのですが、8月は暑い月です。
ウオーキングをするので無く会員が揃い、会食しました。
会場は神戸クック・ワールドビュッフェ イオンタウン各務原鵜沼店で会食でした。



神戸クック・ワールドビュッフェ イオンタウン各務原鵜沼店の外観です。




11時30分に集合となっていました。
会員が揃い、店内に入ります。




広い店内です。




特別に個室で会食です。




白身フライやから揚げが並んでいます。



ラーメンやうどん。
麺類のコーナーです。




クッキーやクラッカーが並んでいます。




ケーキやプリンです。



手前の大きい皿に乗っているのはティラミスでした。
そして、わらび餅も有ります。


チャーハンや八宝菜。



チョイスしてきた食材です。




スイーツ類も持ってきました。




今日のメンバーです。



最後に
何時もの月は歩いています。
今月は暑い月で会食となりました。
こう言う例会もたまには良いです。
腹一杯になりました。


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ウオーク同好会  6月例会  「大野町のボランティアガイドの案内で野古墳群を歩く その後は曽根城跡公園をウオーク」

2023-06-26 23:44:27 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の6月例会です。今月は大野町のボランティアガイドの案内により、野古墳群を歩きました。
この計画は5月例会で予定されていましたが、天気が悪くて中止となり、今回の実施となったものです。
野古墳群は400メートル四方ほどの広さの場所に前方後円墳や円墳が集中して有る場所です。
美濃大野発見ガイド隊」と言うベストを着たガイドボランティアのお二人です。
野古墳群を解説して貰いながら歩きました。
その後は、花ショウブを愛でに、個人的に大垣市の曽根城跡公園へ向いました。残念ながら花の時期は終わっていました。

パレットピアおおの

今回の集合場所は揖斐郡大野町の道の駅「パレットピアおおの」でした。
ここでボランティアガイドと落ち合うことになっていました。
お二人のボランティアガイド。
私たちをGさんとOさんが待っておられました。




まず、最初にこれから向かう方向。
ガイドのGさんが案内地図を使ってこれから向かう野古墳群の解説です。
この地図。
観光ガイドマップで大垣市や本巣市、揖斐郡と西濃全体を表していました。



この後向かう野古墳群を解説しています。
野古墳群は大野町の中で、北の方に位置します。


野古墳群

野古墳群が有る野地区に着きました。




早苗が入った田んぼ越しに見える古墳たちです。
8号古墳や9号古墳、そして南屋敷西古墳です。
南屋敷西古墳は前方後円墳です。



野古墳群の駐車場へ着きました。
ここで、周りの解説です。
先に見えるのがモタレ古墳。その先が登越古墳です。
モタレ古墳と言うのは珍しい名ですが、かつての字名から来ているのだそうです。



駐車場に有った野古墳群の解説板です。




歩き始めて、登越古墳へ来ました。
解説板が設置して有ります。
そして、Gさんから前方後円墳である登越古墳の解説を聞きます。



Gさんを先頭に登越古墳に登ります。




登越古墳からの景色です。
登越古墳のところから北東から南東にかけての眺めです。
左からモタレ古墳(1号)。不動塚古墳(2号)などが並んでいます。




野地区を歩いていて布賀利八幡神社に来ました。
本殿前の対の狛犬。
左が雌で右が雄です。



こちらは野村藩邸跡の解説板です。
外堀と土塁に囲まれた藩邸跡です。

西洋は石の文化であり、日本は木の文化だと言えると思います。
防御がなされ、さながら欧州の城塞都市的な顔を持っているのではなかろうか。

野古墳群をガイドボランティアの案内により、回るものでした。織田信長の弟の織田長益。その嫡男の長孝が関ヶ原の合戦で手柄を立てた話など、古墳のことのみならず、多岐にわたって解説していただきました。

これは「美濃大野発見ガイド隊」が私たちのためにご用意くださった資料です。
関ケ原の合戦において織田長孝が活躍したとの解説も有りました。


パレットピアおおの

パレットピアおおのへ戻ってきました。
お昼の時間です。
ここで昼食を取ることになりました。



カラフルなビニール雨傘です。



パレットピアおおのの館内です。
ここはパン販売のエリアです。
レストランのエリアや麺類を提供するエリアも有りました。
この先には農産物やバラの鉢、お酒のコーナーや特産物のコーナーもあります。



皆で、パレットピアおおのの中での昼食です。
私はワカメ蕎麦を注文しました。
今日の参加者が同じテーブルに着いて昼食を取ることが出来ました。


この後、現地解散となりました。







曽根城跡公園

帰路、曽根城跡公園に寄ってみました。
ここへは昨年6月12日に訪れました。
花散歩 岐阜県百年公園花菖蒲園 山県ばすけっと  谷汲ゆり園 揖斐川歴史民俗資料館 曽根城公園花菖蒲園 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
その時は花ショウブの花期でしたが、今回は遅かったです。
6月の10日前後が良い時期ではなかろうか。




曽根城跡公園 花ショウブ。
花ショウブの系統や花ショウブの一生を紹介しています。



他の花は終りを迎えていたが、辛うじて数輪が残っていました。




2輪をズームで。
園内の花は、ほとんどが終わっていましたが、残りの花が有り、愛でることが出来て良かったです。




最後に
今回は「美濃大野発見ガイド隊」と言うベストを着たお二人のガイドボランティアの案内で野古墳群を解説して貰いながら歩きました。
400メートル四方ほどの場所に集中して古墳が築かれていました。
詳しく解説して貰え参考になりました。
登越古墳に登り、周囲の古墳を見下ろすことが出来ました。
古墳から見える古墳群の景色。
どんな人が古墳を造らせたのか、ロマンが広がります。



余談

美濃大野古代ミステリー街道と言うチラシです。
このチラシ。
何処で手に入れたか覚えていません。
内容は美濃大野発見ガイド隊が引率して大野町の古墳群を歩くものです。
第1回目が先着20名となっていまして、もう、参加者が多いのだろうと申し込みを諦めました。
でも、第1回がダメでも秋に同様で開催されます。
それで、秋の時に参加したいと考えていたのです。
今回、美濃大野発見ガイド隊のお二人に案内していただきました。
チラシの内容と同様の内容で実施して貰えました。
秋にと、考えていたのが今回、実現しました。

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ウオーク同好会  4月定例会  「大垣市 中山道赤坂宿をウオーク」

2023-04-24 23:32:41 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の4月例会です。今月は大垣市の赤坂宿を歩く事となっていました。
中山道の赤坂宿は江戸から数えて57番目の宿場です。そんな街をボランティアガイドに案内されながら、ゆっくりと歩き、街道の歴史などを学ぶ事ができました。
何回か訪れた事が有る赤坂宿。そんな宿場町でもボランティアガイドに案内されて新しい発見が有りました。
また、お茶屋屋敷跡を訪ねました。
丁度、見頃のボタンを愛でることが出来たのが良かったです。



大垣市商工会発行。美濃赤坂から引用しました。



大垣駅の3番ホームです。
私たちが来た時に、既に電車が待っていました。
この列車。
9時30分発の美濃赤坂行きです。



列車が美濃赤坂駅に着きました。
美濃赤坂駅はICカードが使える範囲の外となっていました。




ICカードの範囲外となっていたので、現金で乗車区間を精算し、運転士にカード情報の証明を作製して貰いました。この運転士。美濃赤坂駅から運転して引き返します。
9時56分の折り返し運転となりますが、時間に余裕が有りました。
多人数への応対でしたが、時間が無かったら焦った事でしよう。




美濃赤坂駅の駅舎です。
ボランティアガイドの方が待っていてくれました。



駅で待っていてくれたボランティアガイドの伊藤さんです。
「ふるさと大垣案内の会」のベストを着て活動しています。





美濃赤坂駅から歩き始めました。



板塀の家屋です。
近家に火災が有った時は、防火のため板をめくりあげてしまうことが出来る構造になっていると説明が有りました。



この場所、赤坂宿本陣公園となっています。
奥に所 郁太郎の像が見えます。



所 郁太郎の像の前へ来ました。
ボランティアガイドによる所 郁太郎の解説です。



石碑に所 郁太郎の紹介が彫られています。




西濃鉄道の赤坂本町駅跡です。
今の西濃鉄道は金生山から石灰岩を運び出す貨物線となっていますが、かつては乗客対応をしていました。
かつて使っていたプラットホーム。
ガイドの案内が無かったら気づかなかったです。



赤坂港会館です。




赤坂の街を歩きます。




赤坂町の中心となる場所でここは四ツ辻です。
この先、谷汲巡礼街道です。




四ツ辻に設置して有った赤坂宿の解説です。



お茶屋屋敷跡へ来ました。
ここは徳川家康が中山道沿いに造営した将軍用の休泊所とした跡です。
創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や空壕の一部が残っています。
多くのボタンが植えられ、ボタン園として、一般開放されています。
現在は個人の所有となっています。



白いシャクヤクを見かけました。



奥の方へ進んで行きます。



奥の方の一段、高くなった場所です。



土塁が築かれた跡です。
以前にもお茶屋跡へは来た事が有りましたが、このような土塁跡が有るのを知りませんでした。
家康が宿泊したと言うが、防備を供えていたのでしょう。



ボタン園です。




ボタン園です。



ボタン園です。



色々のボタン。
今が見頃。
目を楽しませてくれました。



鎧塚へ来ました。



関ケ原の合戦の前哨戦が杭瀬川を挟んで戦われました。
戦死した野一色頼母が鎧兜とともに葬られたと言う。



大塚一号墳へ来ました。
その解説です。



大塚一号墳の解説板。
トレンチの構造。出土品を解説しています。



昼飯大塚古墳へ来ました。
この古墳は前方後円墳で東海地方でも指折りの大きさです。




頭頂部に繋がる階段。



頭頂部に上がってみました。
向こうに見える小山は岡山です。
家康が陣を張って戦に勝ったことからお勝山と呼ぶようになりました。



頭頂部から西方の眺めです。
下側が方墳部です。
ボランティアガイドに案内されましたが、ここでお別れとなりました。




北消防署の赤坂分署へ来ました。
ここが路線バスの出発点となっていました。
来る時はJRの美濃赤坂線で来ましたが、13時台は12分が有りますが、14時台15時台は無くて次は16時07分となります。それで、帰りは名阪近鉄バスで戻ります。





最後に
今月のウオークは大垣市赤坂を訪ね、ボランティアガイドに案内されました。

色々と教えて貰いました。
西濃鉄道の古い駅の跡やお茶屋跡に土塁が有った事などの説明でした。
こんなことを知ることが出来たのもボランティアガイドに教えて貰えたからです。
お茶屋跡のボタン。
今が盛りのボタンを愛でることが出来て良かったです。






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