超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

日本情緒多様体 静かで落ち着いた生き方

2009-10-28 06:30:33 | Weblog
感動とは、自家中毒であり、下痢であり、嘔吐である。

感極まったのが、感動自殺である。

日本人はこの異様な世界を、異様と思わない。
これが自己否定の肯定である。

*。
自分を否定する感動に、
笑って、泣いて、感動するのだ。

この種の感動は自己否定だ。
自己の殺人に成立する。
即ち、感動は自殺によって成立する。
そこには本来の自分はない。
自分の分際をわきまえない感動障害が感動である。

*。
自分の持って生まれた感情、
これを何倍にして感激に粉飾する。

これは自己否定であり、自己への裏切りだ。

   *。
激しい感動に下痢をして泣く。

便秘したあまり、笑い転げる。

感動が、下痢や嘔吐や、便秘や脳病であることを知らないのか。

*。
感動無縁な静かで落ち着いた暮らし、
ここにしか人の正常はない。

やっと日本人は正常に戻り始めた。
それが「静かで落ち着いた」在り方だ。

明るい未来 対偶は暗い将来

2009-10-28 06:01:51 | Weblog
アメリカは、経済に明るい兆しが見えてきたという。
対偶を取る、
アメリカや世界の経済は暗い。

*。
明るい未来は、暗い過去のトートロジーだ。

暗い過去の見た明るい世界は、差別・虐待・拷問のリンチ世界だ。

これは思想でもなければ、哲学でも文学芸術でもない。
それが明るい世界の現実だ。

*。
ヒトは現実に都合のいいところだけ見る。
そこには現実はない。

それをリアルという。

*。
それは偽装された現実である。

鉄兜の上に草を載せ偽装する。
それを美しい自然というのだ。
それは殺し屋の鉄兜だ。

    *。
かくしてヒトは、偽装産業に取り込まれた。

ここでは個々の利益と破壊の差異は消し去られ、
産業機能に書き換えられた。
その結果、建設的破壊産業に取り込まれた人は、
自分自身の脱人間化を、
人間の喜びと思い、
成功と幸福追求達成と思い込む。

遂に成功と幸福の世界と作った。
それが文明の破壊であったのだ。

即ち、幸福は破壊であった。
これが対偶恒等式である。

お釈迦様は 元祖引きこもりである

2009-10-28 05:19:32 | Weblog
お釈迦様が往生できるなら、どんな悪党も往生できる。

何故なら、お釈迦様はこの世を極悪に導いた。
悪党がやりたい放題にするこの世を作ったからである。

*。
仏教や儒教は、人をいい気持ちで眠らせ、
悪党に対する免疫を奪い、
悪党に抵抗することなき現世を作った。

孔子はこれに気がついていた。
儒教は悪党を野放しにし、これに支配させる方法である。

でも何もしなかった。
何も出来なかった。

    *。
この問題に正面から取り組んのが、西欧思想だ。

悪を野放しにしないためには、抵抗力が必要である。
それは悪を殺すことである。

*。
悪を殺せない東洋、
悪の大虐殺に挑んだ西欧だ。

西欧は遂に、弱者を殺さない世界を創造した。
これは西欧だけだ。

   *。
善には、言葉だけの静的善がある。

一方、現実で悪と戦う動的善がある。

*。
言葉と現世は、不確定性原理で、遮断されていた。

言葉の善は、スタティックであり、
現世の善は、ダイナミックである。

    *。
現世の善は、悪党を殺さねばならない。

西欧は遂に、悪党を殺さない善に到達した。
それが死刑廃止思想である。

ここに到達するまでに、
悪党を殺す善が必要であった。

*。
東洋思想は、一切の殺生を禁止した。
その結果、世界は悪が取り仕切ることとなった。

これがスタティックな善、
即ち、心の入っていない善であった。

ダイナミックな善には、一時悪を殺すことが必要だった!

    *。
人間性に獲得には、それなりの努力がいる。

ただヒトであるだけでは、人間性は得られない。

*。
日本人は唯のヒトである。
即ち、畜生である。

だから五票格差合憲の日本民族の大虐殺、
水俣大虐殺、過労死刑、無実死刑、自殺死刑、公害死刑…のオンパレードだ。

*。
ヒトは人間になる努力をしないと、人間にはなれない。

ヒトとしての善人は、空想や妄想の善人である。
現世で善人になることはない!