超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

仏教のパラドックス 村上春樹の解読

2009-10-07 06:17:14 | Weblog
魂の対偶は殺人である。

人が自己を修行することは、社会を悪に野放しにする。
即ち、仏教の修行で、社会は修行されない。
即ち、仏道の修行は、社会を悪の手に委ねる。
即ち、仏教は殺人である。

仏教は戦争も死刑も黙認した。
殺傷禁止は、殺傷を促進強化した。

心と社会は捩れた。
互いに逆をやった。

   *。
魂と殺人は対極にあるのでなく、魂に殺人が含まれている。

自己の修行は、現実や自己を殺すことだ。

*。
ここに作られた現実は現実か。
ここに作られた自己は自己か。

これらはウソである、人が言った。
このパラドックスに落ちる。

   *。
村上春樹論法は、対偶論法である。

オンとオフの対偶に、心を揺らし、結局その井戸に呑みこませる。

*。
何をいいたいか明らかにせず、
即ち、気持ちを揺らし、眠らせる。

これが謎かけや謎解きであろう。

   *。
その仕組みは、自己修行という自己満足、
即ち、エゴイズムにあった。

*。
ヨーロッパで質問される。

あなたは社会に何を与えましたか。
あなたは社会にどういうショックを与えましたか。

これで自己満足を超えた社会的達成を問うている。

*。
自己満足はエゴイズムであり、社会を悪くする。

人は社会に何かを与え、それで生きていく。

    *。
社会に与えることなく、自分だけで満足する。

これは自己満足であり、
その結果、社会は悪党に野放しにされる。

人はいい気持ちになり、しかし社会は悪党が支配する。

これがアメリカや日本であった。

*。
ヨーロッパは個人が社会に与えたことで、人を評価する。

個人のいい気持ちと社会のいい気持ちは違う。

ここに世界空間が成立する。

*。
日本や村上春樹は、エゴイズムのいい気持ちである。

ヨーロッパは何時これに気がつくだろう。

個人のいい気持ちは、社会を地獄にする。

   *。
個人空間と社会空間の接続、
日本や村上春樹は、個人に引きこもっている。

即ち、子宮から出産していない。

*。
だがそういう生き方も許される。
社会の問題とならない限り。

即ち、アメリカや村上春樹文学は、児童文学である。

*。
これが社会にストレートに出れば、殺人社会ができる。

それがアメリカや日本だ。

*。
人の社会的責任を問うヨーロッパは、弱者を殺さない社会を作った。

成長経済は 悪魔のお菓子である

2009-10-07 05:18:26 | Weblog
成長の対偶は破壊である。

成長の後に破壊がやってきた。
差し引きマイナス、環境破壊までやってきた。

*。
日本だけで考えても、
自民党は悪魔のお菓子であった。

   *。
このお菓子を食べると、地獄がやって来た。
文明が崩壊した。
またぞろアメリカの再生を求める。

悪魔のお菓子は止められない。
人類が悪魔になっていた。

*。
一体何時目が覚めるのだろう。

出来ないことはするな。
やってならないことはするな。
これがゲーデル・モラルだ。

これがゲーデルの不完全性定理だ。

  *。
出来ないことをすることは、
自己否定の肯定である。

*。
やってならないことをすることは、無矛盾である。
現に出来るじゃないか。

だがその無矛盾は証明されない。

やってはならないこととそれをすることは、
不確定性原理で切断されている。

*。
やってはならないことをすることは文章の問題だ。

それが自己破壊であることは、現実の運動の問題だ。

文章上無矛盾でも現実では矛盾する。

文章と現実は違う。

    *。
人類はこの程度の脳みそであった。

文章に出来れば、それは現実に成立する。
それが自己否定の肯定だ。

これが地獄の正体であった。

    *。
人類は狂気と犯罪を生きていた。

出来ないことをするは狂気である。
やってはならないことをすることは、犯罪である。

*。
狂気と犯罪ほど金になることはない。

それは国家権力にのみ成り立つ。

人類には成り立たない!


   **。
国家権力は犯罪と狂気からなる。

犯罪と文明は交換可能であり、
狂気とビジネスは信用貸しで両替可能である。

この完全に不完全な完全犯罪の達成に、
不完全に完全な法システムを用い、
犯罪と狂気を消費文明に排泄した。

これが産業文明であった!

*。
即ち、自己否定の肯定を文明としていた。