虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

酔っぱらった馬の時間 (2000/イラン・仏)

2005年05月16日 | 映画感想や行
A TIME FOR DRUNKEN HORSES
監督: バフマン・ゴバディ
出演: アヨブ・アハマディ アーマネ・エクティアルディニ マディ・エクティアルディニ

 イラン=イラクの国境地帯に住むクルド人の村は密輸業で生きている。母は既に亡く、地雷で父親が死んでしまい、5人の子どもたちが残された。長男マディは難病で障害を持ち余命もわずか、しかもそれを伸ばすための手術代が必要。12歳の次男アヨブは家長として、生計を支え手術代を稼ごうと密輸のキャラバンに加わる。

 こういう映画を見ると、私の「あたりまえ」と、世界の別のところの「あたりまえ」のあまりの格差を思い知らされて愕然とするしかない。泣ける映画というのは、涙で余計なものと、気持ちの中に積もったものを洗い流してきれいにしてくれるのだが、この映画は、涙を禁じるような、粛然とさせる迫力がある。
 密輸のキャラバンは、あまりの寒さに凍える馬(ラバ)に酒を飲ませて酔わせ、山越えをさせる。荷を担ぎ、あるいはラバを引いて共に歩くアヨブは手袋さえない。その上に騙されたり、様々な不運がのしかかるが、小さな身体で彼は全て受け止め、家長としての責任を果たそうとする。その生き方、行動にまったく迷いがない。誰にも他を恨む言葉がない。ギリギリの生活の中で、はっきり言ってしまえば足手まといのマディを皆が愛し、その命をいとおしむ。妹に自分が働くから学校を続けろと言う12歳の「家長」 但しこれは12歳だからこその言葉でもありそう。
 必死に働くのは彼一人だけではない。土地があっても地雷で踏み込むことが出来ない、耕せないから密輸するしかない生活を送る、また密輸業者相手の商売をする少年たち。
 ラストシーンでも、話をまとめて、見ているものの気持ちをおさめてはくれない。ただ彼らの苦闘は続くだけなのだ。

 ヨアブの男としての姿勢に「男としてこうでなければ」という文化的背景も感じられる。また結婚してしまった姉のこれからにも胸が痛む。10代の女の子たちの感想は「意味不明(ラストで突き放さないで)」「やってられない」納得するにはあまりに過酷だ。でもこれは、覚えていなくてはいけない。見るだけでも、見ておいて欲しい。