(ルドンの版画 画像検索によりお借りしました)
歩いているその男はまもなく死ぬが
スケッチブックに描かれた人物のように
すでに足のさきから消えかかっている。
そのそばでオカトラノオがゆらり。
歩いているその女はまもなく死ぬが
朝から晩まで目脂をぬぐっている。
なにもしてはいないのに目脂が出る。
そのそばでアサガオがゆらり。
歩いている人たちすべてはまもなく死ぬが
親からもらった名前 . . . 本文を読む
(本稿を書きはじめる前まで、若いころの育ての親をワルターだと勘違いしていた)
交響曲というのは、ハイドンにはじまり、モーツァルトでいきなり頂点に達する。
後期のつぎの6曲は、いまでもよく演奏される、世界中で。
交響曲 第35番ニ長調 “ハフナー”
交響曲 第36番ハ長調 “リンツ”
交響曲 第38番ニ長調 “プラハ”
交響曲 第39番変ホ長調
交響曲 第40番ト短調
交響曲 第41番ハ . . . 本文を読む
昨日午後は立っていられないほどの強風が吹き、空の表情が美しかったので、つい撮らされてしまった。梅雨前線が通過したのだろうか?
夕刻には積乱雲が発達|;゚ロ゚|
激しい雷さまがくるかと心配したけど、そうならなかった。
やれやれ、落雷の被害はこりごりじゃ。
PCを3回も毀されているから。 . . . 本文を読む
一冊の本を、たいへんおもしろく拝読したので、感想をしるしておこう。
川口マーン惠美「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」(新潮選書 2008年刊)がそれ。
思春期にカラヤンのLPを聴くことでクラシックの世界に入門したので、ベルリン・フィルの常任指揮者カラヤンの存在は特別なものがあった。
ベートーヴェン 交響曲第5番 運命
シューベルト 交響曲第7(8)番 未完成
チャイコフスキー 交響曲第6番 . . . 本文を読む
はてさて、過去からの手紙32。
いささか草臥れたけれど先へすすもう(;´д` )
これはアサガオさん。クロスプロセスというアートフィルターを使い、露出+3に設定して撮影したと記憶している。
リコーのCX6というコンデジ。
何枚も撮って、気に入ったものだけ残した。 . . . 本文を読む
(原宿 1990年代)
どこへいっても意味をさがしている。
野良犬が野良犬のにおいを嗅ぎながら
街角から街角へとうろつくように。
昨日はどこにもない
昨日はどこにも存在しない。
鍵束の一本を使って ある部屋のドアをあけたら
そこに いいにおいがする昨日がある
そうだったらいいのに。
記憶のなつかしいガレリア。
何万何十万という絵が壁にかかっている。
だけどそれをわざわざ見にくる人は . . . 本文を読む
(クリムトのひまわり 画像検索によりお借りしました)
ある朝 目を覚ましたら
後頭部の深いところにチェンバロのような楽器があってね
協奏曲を奏でている ヴィヴァルディの音楽みたいな。
よくあることといえばよくあることだけど。
きみのおでこに衝突した飛行船。
粉々になった船内から十九世紀の遺物が飛び散って
とてもカラフルに 庭を埋めつくす。
好きなものを選んでいいのだそうだ。
クリ . . . 本文を読む
(前橋 2014年9月)
おれがあれを探すようになったのは
いつからだろう。
あれはおれの手のなかにあったのだけれど
いつのまにかなくしてしまった。
そんなことをぽつぽつとかんがえながら
酔って歩く。
いったいどこへ落としてきたのか。
あれはピカピカ光っていたし
沈丁花のようないいにおいがした。
十代の終わりころよくやってきた
夢の大風にふたたたび吹かれ
酔って歩く。
手放して . . . 本文を読む
(2019年3月 高崎)
柿の木から摘みとった柿色のクッションを枕にしながら
ウトウトと寝込んでいたら
真珠の精がもたらすもやっとした夢につつまれた。
かなり歪んではいるけど大粒の真珠。
さっき通っていったカラスがきみの頭にそれを落としていったのだ
白黒の糞を落とすかわりに。
ところでなぜ
カラスはカアと鳴くか?
きみの頭蓋骨のなかは
今日は光に満ちた巨大なスタジアム。
さっきま . . . 本文を読む
「ケンタ何してるんだ!」。
カメラを構え観察していたら、彼の遊び相手は小さなカナヘビ(^^♪
「喰うんじゃねえぞ、そんなやつ」。
ここはわが家の庭の一隅。
ほっておいても毎年紫蘇(しそ)が群生する。
以前は母が梅を漬けたけど、やらなくなって10年はたつだろう。 . . . 本文を読む