鬼海弘雄さんの「ぺるそな」は、わたしにいろいろなことを考えさせる。
人間についてのこれまでの“常識”をゆるがす。よく「無名の人」というが、ほんとうは「無名の人」なんて、いるはずはない。しかし、鬼海さんは、被写体となったその人から、名前をはぎ取っている。背景はスタジオではなく、浅草寺のおそらくは宝蔵門あたりだろう。そこのたぶん、赤い壁を背景として、声をかけ本人の撮影の許可をえて撮影する。モノクロフィルムを使用しているので、赤い壁はやや濃いめのグレーに写る。この作業を、鬼海さんは三十数年にわたって、営々とつづけていく。彼が撮影するのは、有名人ではない。知識人でもない。一般大衆と呼ばれる、「普通の人びと」なのだが、彼の手にかかると、普通ではなくなる。人間が“むき出しの存在感”を露わにしている。
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世の中には「不可解な人物」としかいいようのない人がいる。不動産業をしていると、多くのお客様とめぐり遇う。「なんだろう、この人。なんとも形容を絶しているね」いやも応もなく、初対面の人物と接触し、話をしなければならない。そういう人物と、わが町でも出会うことがある。
たとえばこれ。クルマのフロンガラスから信号待ちで撮影したから、画質はよくない(^^;)この人物は40歳がらまりの男性で、奇妙な自転車に乗って、いつも突然あらわれる。過去に数回すれ違っている。自転車なのだけれど、けっこうスピードを出している。これまで二度ほど写真を撮ろうとおもいながら、チャンスを逸した。
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街歩きをしていると、よく花々と遭遇する。陽光をたっぷりとあびて、にぎやかにおしゃべりしていたり、もの蔭にひっそりと群れ咲いていたり。
花は偶然そこに存在するのではない。種を、あるいは苗を植えた人がいるのである。仕事柄、月に10通くらい、忙しい月だとその倍くらい、書類を物件の貸主や借主に送付する。そこには、花の記念切手を添付するようにしている。単に事務的に・・・ではなく、こころのカケラのようなものをのせて。花に無関心な人はいるけれど、花が嫌いな人はいないだろう・・・と考えている。わたしは水曜日が定休日なので、平日の街を歩く。平日の地方都市――、日中は、たとえ商店街といえども、人影がとても少ない。街の中にある花には、背景がある。
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ここはパリではなく、熊谷市なのである。あるいは、ニューヨークではなく、佐久市なのである。そいう都市の日常に密着し、もぐりこんで、いまそこにある空気を呼吸し、光と影に寄り添う。わたしのまなざしが、あるいは、その延長にある一台のカメラが、外界の一部を切り取っていく。あるときは都市論、あるときは抒情詩、またあるときは単なる記録・・・それらイメージの断片を拾いあつめていくと、一冊の写真集が出来上がる。
絵画とちがって、一枚や二枚の写真では、じつはたいしたことは表現できない・・・というのが、四十年ものあいだ写真とかかわってきたわたしの意見である。しかし、数十枚の写真をまとめ、タイトルをつけてそれを提出する。そうすると、ことばでは表現できなかった「世界像」のようなものが語れる。わたしはそれに魅せられているといっていいのだろう。
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めずらしく連休をとって、二日間カメラ・ライフを満喫した。6月13日(水)は、埼玉県熊谷市を、6月14日(木)は長野県佐久市を。出かけると、ほぼ4時間は歩き回る。4時間、写真のことだけに集中し、被写体をさがしてうろうろしていると、満喫感が味わえるのである(笑)。ローライでは120×3本、PENデジでは150~200枚くらいが目安で、おおよそ55~60枚の写真を、独立したアルバムにアップ! ただし、ブローニーは現像に時間がかかる。したがって、10日くらいたって、フィルム用のアルバムへ、お気に入りだけ少しつつ掲載していく。これが最近のわたしの“標準装備”。1.ローライフレックス3.5F2.ニコンF33.オリンパスPEN E-P3
4.ナショナルジオグラフィックのbag
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このところ、単焦点レンズの出番がとても多くなっている。なかでも、50mm(35mm換算)レンズ。いちばんはじめに「おや?」と思ったのは、M型ライカを使っていたとき。ご存じのように、レンジファインダー機種はボケ(被写界深度)の確認ができない、パララックスがあるため近距離に弱く、マクロ撮影ができないという欠点がある一方、撮影範囲の外側まで見ることができるという長所がある。ライカだから、ということではないが、ファインダー視野の中に、撮影範囲をしめす半透明のフレームが浮かんでいるのはおもしろい。「へええ、50mmレンズの画角って、こんなに広かったのか!」そのときは、これ一本でなんでも撮れるような気分を味わった。
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なぜフィルムへもどったのだろうと、ずっと考えていた。いろいろな理由がある。時間とお金にいくらか余裕ができたことである。そして写真集をけっこう持っているけれど、ふと気が付いてみると、デジタルで撮影された写真集は、森山大道さんの「カラー」がはじめて。それ以外の数十冊は、すべてフィルムとフィルムカメラで撮られている。マイミクさんの中では、denimroadさんやあっきいさんが、フィルム写真工房(あっきいさんのアルバム名)を公開しているし、メロッパさんのようにライカM3をメイン機材とし、暗室作業をおやりになっている方がいる。ローライの2.8FやキヤノンのFDレンズの使い手ガスパールさんもいる。
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このあいだ、ちょっと古いカメラの情報誌を読んでいたら、ニコンには「ニコンショップ」と称するニコン製品の専門店があることがわかった。日本国内ばかりではなく、海外にもある。しかし、売り上げだけなら、この10年ばかりキヤノンに圧されているし、デジタル時代となって、ニコンのアドバンテージはほとんどないにひとしい。ニコンショップはいまでは存在しないだろうと推測しつつしらべてみたら、少数ながらまだ生き残っている(^^;)わたしの独断と偏見によれば、ライカとニコンは、35mmカメラの二大ブランド。日本のニコンは、世界のニコンなのであるが、それはフィルムカメラ全盛期のはなし。
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大渡橋が川霧にかすんでいる。
その霧の向こうへ 柴犬をつれた初老の男が消えてゆく。
スーパーのレジ袋をさげた髪の長い女も。
カラスが二羽 朔太郎の詩碑にとまって糞をする。
ぼくはシャッターを押すのをあきらめて
このごろよくしびれる左足をひきずりながら
左岸へともどってくる。
リモコンはどこへいったろう。
ぼく自身を操作するための。
かつて もう思い出せないくらい昔だが
ぼくはそんなリモコンをもっていたような・・・気がする。
だから ときにそれをさがしてみるのだが見つからない。
ことばの精霊たちが ぼくの体をトンネルのように通りすぎる。
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「おやー、めずらしいカメラを使っていますね」わたしがテッセンの白花にローライを向けてピントや露出を合わせていると、後ろから初老の男性に声をかけられた。「ええ、二眼レフ、ローライです」「うちにも、二眼のカメラがあったな、もっと古いヤツだけれど」「そうですか? なんというカメラですか?」わたしはちょっと振り返り、お辞儀をした。「たしか・・・、えーと、ヤシマという・・・」「ああ、それならヤシカでしょうね。ヤシカは元はヤシマだったから」「へええ、そうなんだ」一軒おいた隣が町の写真館だったので、彼はそこのあるじなのだろう。所用をかかえているらしく、足早に中之条駅のほうへ歩いていった。わたしは送迎用の駐車場にクルマを止めて、そっちから歩いてきた。
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