一時期ずいぶんへったけれど、このところまた、カメラやレンズの数がふえている。大学2年のときアルバイトして買ったのがキヤノンAE-1だったせいで、フィルム時代のメイン機材は、じつはキヤノンであった。AE-1、A-1、T70、T90、EOS650、EOS10、EOS5の7台を遍歴してきた。ところが、いまではジャンク品となったT90のほかには、10年ばかりまえに中古で買ったキヤノンF-1しかもっていない。FDレンズは、35mmF2、50mmF1.4、85mmF1.8の3本、EFレンズは20~35mmズームと、100~300mmズームの2本だけ。ほかは売却したり、人にあげたりしてしまった。ニコンの機材は、はじめてわたしのところへやってきたのは、ニコンNewFM2であった。それから1、2年して、F3がやってきた。両方とも中古のカメラ。プラスチックのぺなぺなした感触や、オートフォーカスの便利だけれど安易な撮影法にあきてしまったから・・・だとおもう。 . . . 本文を読む
写真とはなにかを考えるうえで、忘れることのできない感動的なエピソードを発見したので引用しておこう。「子どもたち」(リブロポート刊 ドアノー写真集)で彼は語っている。ある日の早朝、まだ眠っていたドアノーのところへ、見知らぬ白髪交じりの訪問者がやってくる。『「あなたが本に出ていた写真を撮られた方ですか? あの自動車の残骸で遊ぶ子どもたちの」空き地に座礁したあの壊れた乗り物を、わたしは正確に覚えていた。男の子がひとりハンドルを握り、もうひとりはボンネットに乗っている。小さなふたりは後部座席にちょこんと座り、彼、すなわち私の客人はその日、くるまの屋根によじのぼっていた。
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世の中、まったく予期せぬ出来事というのが起こるものである。上の写真がそれ。空き時間を使ってPENデジだけをもって、モードはiAUTOにし、以前一度だけ訪れた前橋市総社町界隈をぶらぶらしていたときのこと。電車が近づいてくる轟音が、遠くから聞こえはじめた。「ん? なにがやってくるんだろう」SL特有のあの機械音が耳にとどいたのは、SL出現の数秒前。「わぉ! SLだぞ!」PENデジの液晶ファインダーにそれをとらえたのはいいが、大あわて。こいつが現れるとわかっていたら、もっといい撮影ポイントをあらかじめ探しただろうし、モードを連写にしていただろう。 . . . 本文を読む
死の淵から生還したテンちゃんに恋人ができた(^_^)/~それがこの左側のメス猫で、今年4月ごろ、隣地に分家している妹の家にもらわれてきた。名前はわからないのでA子とでもしておこうか(笑)。この新人のメス猫をめぐって、近隣のオス猫どうしが、4月はじめから大乱闘を演じてきたのだ。
オギャ~、ギャギャ、ガオ、ガオン! ニャーゴ! ・・・と、夜になると縄張り争いする猫どもが、安眠をさまたげて困っていた。ところが、大けがをしたテンちゃん、そのケンカ仲間から脱落し、生死の境をさまよった。
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『つまり、愛は記憶の中に育つ。写真はその記憶をときに鮮明に思い出させる。愛はより深まり、世界をさらに愛おしいものにさせる。写真を撮るのは、世界との愛ある関係をたしかめ、あるいは取り戻し、深める行為なのだ。』――藤田一咲「愛ある記憶」(「ハッセルブラッドの日々」より/エイ出版社)あー、そういうことなのか?よほどの変人でないかぎり、なにもかへの愛なしに、この世を生きながらえていくことなんてできない。藤田さんのこのことばを読んだとき、こころの奥から、なにか音楽のようなものが聞こえてくるのを感じた。高崎を、そして昨日は、前橋を運動がてらカメラ散歩しながら、わたしはこのことばを反芻していた。そうしていろいろな音楽が聴きたくなり、YouTubeで、その「聞きたい歌」を検索してみた。そうしたら、つぎの二曲が浮かび上がってきた。☆「愛しき日々」堀内孝雄
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