■安岡章太郎「小説家の小説家論」福武文庫(1986年刊)
吉村昭「わが心の小説家たち」平凡社新書
車谷長吉「文士の魂・文士の生魑魅」新潮文庫
この2冊が、期待した以上におもしろかったので、
安岡章太郎「小説家の小説家論」福武文庫
村上春樹「若い読者のための短編小説案内」文春文庫
の2冊を、あらためて読み返すことにした。
批評家(文芸評論家)による文学論が、一概に“おもしろくない”とはいわないが、
小説家の小説論には、味の厚みとコクにおいて、どうしてもかなわないとおもうからだ。もちろんわたしの独断と偏見によるものではあるが。
小島信夫「私の作家評伝」(中公文庫)もある。だがこちらは1年ばかりまえに、挫折してしまった。単行本上下の合本のため、分厚く寝転がってささえるのが、辛くなったのである(´Д`)
バロックということばはポルトガル語で歪んだ真珠を表す・・・ということは、これまで何度も書いている。歪んだ真珠が、予想もできなかった特異な味わいを曳き出すのは、ちょっと想像力を働けせればわかるだろう。
そんなことをあれやこれやかんがえながら、村上春樹「若い読者のための短編小説案内」のスタートを切ったけど、これがつまらない。ほとんど、腹立たしいレベル(T_T)
そこで安岡章太郎「小説家の小説家論」(福武文庫)を、腰を据えて読むことにした。
福武文庫は解散してしまったから、いまでは手に入りにくいだろう。
第三の新人の中では、わたしは安岡章太郎が一番のお気に入り♬
ファンなので、とくに新潮文庫の2冊、「海辺の光景」と「質屋の女房」は、くり返し読み返している。重複をかえりみず、同じ文庫が何冊も手許にある。
「幕が下りてから」や「志賀直哉私論」、「走れトマホーク」「僕の昭和史」「とちりの虫」「夕陽の河岸」「父の酒」「文士の友情 吉行淳之介の事など」など、積読ものを取り崩せばかなりの数あるはず。
BOOKデータベースがないので、内容紹介はブクログから引用させていただく。
《志賀直哉や谷崎潤一郎といった著者にとっての師とも言うべき文豪世代から、太宰や井伏らの先輩世代、梅崎春生等の兄貴世代、遠藤周作、吉行淳之介の同級生、山川、大江の後輩に当たる人まで、著者の一人ひとりへの想いが伝わるエッセイ集。
小説家論だけに個々の作品についても取り上げられている。庄野潤三の『プールサイド小景』を改めて読み返して著者の指摘に頷かされるところがあった。》ブクログ・感想。レビューより
井伏鱒二
高見順
梅崎春生
庄野潤三
吉行淳之介
阿川弘之
このあたりは出色の作家論といっていいだろう。文芸批評というより、安岡章太郎の人間観察記録。それが期せずして作家論を曳き出してくるのは、老獪なマジシャンの指先をながめているようだ。
わたしのつまらない感想を記すより、本書の一部を引用しておく方がきっと愉快に違いないので、そうさせていただくことにする。
《いつか、遠藤と四国を旅行したとき、毎日、すばらしい伊勢エビの刺身やら鬼ガラ焼きやらが出た。私は途中で食い飽きたが、遠藤はせっせと食事のたびに出てくるエビを何疋も平らげていた。すると、或る晩、夜半過ぎに遠藤の部屋から、
「ぎゃーっ」
という怖ろしい悲鳴が上がって、私たちが取るものもとりあえず駆けつけると、遠藤が畳の上を苦しげにノタ打ちまわっている。
「助けてくれ、エビが、エビが・・・」
呼ばわりながら遠藤が、両手を空に振りまわして必死に私たちの方へいざり寄ってくるのを見て、私は一瞬、遠藤がエビの中毒でも起こして腰が抜けたのかと思ったが、そうではなかった。彼は単に、恐竜のような巨大なエビに追いまわされる夢で魘されていたというのである。同じようなことは、三島由紀夫にも起こりうるかも知れない――何でも三島氏はカニが嫌いでカニを見ると青くなってふるえ出したということだ。》(遠藤周作 本書277ページ)
バロックの本来の「歪んだ真珠」のおもしろさ、少しは堪能していただけましたか?
※いまごろになって遅ればせながら気がついたけど、
二草庵摘録 2019年4月20日
・・・に、わたしは、
安岡章太郎「小説家の小説家論」(福武文庫 1986年刊)にしびれる♪
・・・というBlogを書いていた。
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/8070d1c6050459bfdcaeaa7dc4a28ea2
したがって、論攷の半分はそちらにゆずることにいたしまする( -ω-)タハハ
吉村昭「わが心の小説家たち」平凡社新書
車谷長吉「文士の魂・文士の生魑魅」新潮文庫
この2冊が、期待した以上におもしろかったので、
安岡章太郎「小説家の小説家論」福武文庫
村上春樹「若い読者のための短編小説案内」文春文庫
の2冊を、あらためて読み返すことにした。
批評家(文芸評論家)による文学論が、一概に“おもしろくない”とはいわないが、
小説家の小説論には、味の厚みとコクにおいて、どうしてもかなわないとおもうからだ。もちろんわたしの独断と偏見によるものではあるが。
小島信夫「私の作家評伝」(中公文庫)もある。だがこちらは1年ばかりまえに、挫折してしまった。単行本上下の合本のため、分厚く寝転がってささえるのが、辛くなったのである(´Д`)
バロックということばはポルトガル語で歪んだ真珠を表す・・・ということは、これまで何度も書いている。歪んだ真珠が、予想もできなかった特異な味わいを曳き出すのは、ちょっと想像力を働けせればわかるだろう。
そんなことをあれやこれやかんがえながら、村上春樹「若い読者のための短編小説案内」のスタートを切ったけど、これがつまらない。ほとんど、腹立たしいレベル(T_T)
そこで安岡章太郎「小説家の小説家論」(福武文庫)を、腰を据えて読むことにした。
福武文庫は解散してしまったから、いまでは手に入りにくいだろう。
第三の新人の中では、わたしは安岡章太郎が一番のお気に入り♬
ファンなので、とくに新潮文庫の2冊、「海辺の光景」と「質屋の女房」は、くり返し読み返している。重複をかえりみず、同じ文庫が何冊も手許にある。
「幕が下りてから」や「志賀直哉私論」、「走れトマホーク」「僕の昭和史」「とちりの虫」「夕陽の河岸」「父の酒」「文士の友情 吉行淳之介の事など」など、積読ものを取り崩せばかなりの数あるはず。
BOOKデータベースがないので、内容紹介はブクログから引用させていただく。
《志賀直哉や谷崎潤一郎といった著者にとっての師とも言うべき文豪世代から、太宰や井伏らの先輩世代、梅崎春生等の兄貴世代、遠藤周作、吉行淳之介の同級生、山川、大江の後輩に当たる人まで、著者の一人ひとりへの想いが伝わるエッセイ集。
小説家論だけに個々の作品についても取り上げられている。庄野潤三の『プールサイド小景』を改めて読み返して著者の指摘に頷かされるところがあった。》ブクログ・感想。レビューより
井伏鱒二
高見順
梅崎春生
庄野潤三
吉行淳之介
阿川弘之
このあたりは出色の作家論といっていいだろう。文芸批評というより、安岡章太郎の人間観察記録。それが期せずして作家論を曳き出してくるのは、老獪なマジシャンの指先をながめているようだ。
わたしのつまらない感想を記すより、本書の一部を引用しておく方がきっと愉快に違いないので、そうさせていただくことにする。
《いつか、遠藤と四国を旅行したとき、毎日、すばらしい伊勢エビの刺身やら鬼ガラ焼きやらが出た。私は途中で食い飽きたが、遠藤はせっせと食事のたびに出てくるエビを何疋も平らげていた。すると、或る晩、夜半過ぎに遠藤の部屋から、
「ぎゃーっ」
という怖ろしい悲鳴が上がって、私たちが取るものもとりあえず駆けつけると、遠藤が畳の上を苦しげにノタ打ちまわっている。
「助けてくれ、エビが、エビが・・・」
呼ばわりながら遠藤が、両手を空に振りまわして必死に私たちの方へいざり寄ってくるのを見て、私は一瞬、遠藤がエビの中毒でも起こして腰が抜けたのかと思ったが、そうではなかった。彼は単に、恐竜のような巨大なエビに追いまわされる夢で魘されていたというのである。同じようなことは、三島由紀夫にも起こりうるかも知れない――何でも三島氏はカニが嫌いでカニを見ると青くなってふるえ出したということだ。》(遠藤周作 本書277ページ)
バロックの本来の「歪んだ真珠」のおもしろさ、少しは堪能していただけましたか?
※いまごろになって遅ればせながら気がついたけど、
二草庵摘録 2019年4月20日
・・・に、わたしは、
安岡章太郎「小説家の小説家論」(福武文庫 1986年刊)にしびれる♪
・・・というBlogを書いていた。
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/8070d1c6050459bfdcaeaa7dc4a28ea2
したがって、論攷の半分はそちらにゆずることにいたしまする( -ω-)タハハ