二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

花影

2012年06月18日 | Blog & Photo
<中之条町>


街歩きをしていると、よく花々と遭遇する。陽光をたっぷりとあびて、にぎやかにおしゃべりしていたり、もの蔭にひっそりと群れ咲いていたり。
花は偶然そこに存在するのではない。
種を、あるいは苗を植えた人がいるのである。

仕事柄、月に10通くらい、忙しい月だとその倍くらい、書類を物件の貸主や借主に送付する。そこには、花の記念切手を添付するようにしている。
単に事務的に・・・ではなく、こころのカケラのようなものをのせて。
花に無関心な人はいるけれど、花が嫌いな人はいないだろう・・・と考えている。

わたしは水曜日が定休日なので、平日の街を歩く。
平日の地方都市――、日中は、たとえ商店街といえども、人影がとても少ない。
街の中にある花には、背景がある。
その背景が、花を必要としている。そうして人は花を愛し、花を植え、花を咲かせる。
花が咲いてはじめて、“そこ”に、そんな植物があったことに気がつく。
花影(かえい)とは、ある意味で人影なのである。だから、ついカメラを向ける。向けずにはいられない。


<熊谷市>


<佐久市岩村田>

四季折々、咲く花が変わっていく。わたしが住み暮らしているこの風土は、温帯モンスーン地帯なので、雨が多く、緑が豊かな風土である。花や木は、土を必要としている。土から、水や養分を吸収している。花を観察すると、いつの季節か、どんな風土なのかがわかってくる。この十年ばかり、町中にかぎらず郊外においても外来種の花がずいぶんふえてしまったけれど、それは人の「好み」が、昔とは変化してきたからだろう。
新しい建築物は、ほとんど無国籍。わたし一人が異をとなえてどうなるものでもないから、だまって受け容れていく。


<中之条町>


花の背景には、人びとの暮らしがある。
花だけが、なにやら抽象的な“美”として、そこに輝いているわけではない。
だから、背景に注意しながら、撮影する。
ただし「こういう作品にしてやろう」なーんて、考えすぎないほうがいい。意図が透けて見えると、飽きるのがはやい。構図も決めすぎると、ちょっと鼻につく。
説明なんてないほうがいいが、どうしてもというなら、最小限度にとどめたい。
わたしにかぎらずだれでもそうだろうが、五感を総動員して撮影している。
写真のおもしろいところは、多義的なものを、そのまますくい取ることができることにある。街角に立つと、わたしの感覚が、どんどんフレキシブルになっていくのがわかる。
フォトグラファーは、俳優ではなく、シナリオライターであり、黒子である。そんなふうに定義すると、街はそこがたとえどんな街だろうと、光をあびたステージに一変する。


<佐久市岩村田>

「ああ、こんなところにこんなものがあるぞ。こんな花があるぞ。こんな人がいるぞ」
かつて“横町まがればワンダーランド”といった人がいたが、その通りだとおもう。
はじめて見たものなのに、なつかしさに満ちている。それは――それはいったいなぜなのか? わたしにはわかっているようでわからない。
だから歩いていく。気になったものを、写真に撮る。

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