二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

通りすぎる時間

2012年06月17日 | Blog & Photo
ここはパリではなく、熊谷市なのである。
あるいは、ニューヨークではなく、佐久市なのである。
そういう都市の日常に密着し、もぐりこんで、いまそこにある空気を呼吸し、光と影に寄り添う。わたしのまなざしが、あるいは、その延長にある一台のカメラが、外界の一部を切り取っていく。あるときは都市論、あるときは抒情詩、またあるときは単なる記録・・・それらイメージの断片を拾いあつめていくと、一冊の写真集が出来上がる。
絵画とちがって、一枚や二枚の写真では、じつはたいしたことは表現できない・・・というのが、四十年ものあいだ写真とかかわってきたわたしの意見である。しかし、数十枚の写真をまとめ、タイトルをつけてそれを提出する。
そうすると、ことばでは表現できなかった「世界像」のようなものが語れる。
わたしはそれに魅せられているといっていいのだろう。



パリやニューヨークのような世界に冠たるメガシティではなく、いくらかくすんだ、平凡な地方都市を撮影しつつけるところに、むしろ意味がある。
古びた建物が多いのは「昔はよかった」症候群からではなく、生きてきた時代を振り返り、検証したいという衝動からのように思われる。過去は・・・日々新しいのである。

あるときはアグレッシヴに振る舞い、またべつなときには、ゆったりとかまえて、時の流れを、あるがまま受容していく。
光景は、瞬間、瞬間に立ち現れてくる。それを逃していることのほうが圧倒的に多いけれど、たまにはとらえることができる。そういうものの集積としてのアルバムがおもしろくて仕方ない。





だから・・・写真を撮る。撮った写真を、もういっぺん見る。
しばらくたって、また――。
そういった行為の中に、たしかな手応えを感じる。
なんだか、失われたものを取り戻す行為に似ているとおもえたり、未来に何事かを提示するクリエイティヴな作業におもえたり。
・・・そして、失語症に陥った人のように、写真をさし示し、黙り込むのである。


われわれがカメラと呼んでいるのは、camera obscura(英語)の略称で、ラテン語では暗い部屋のことである。カメラオブスキュラ、あるいはカメラオブスクラとも表記する。
初心者向けの入門書のようなものには、この語源についてふれたものがよくあるから、だれだって知っているだろう。
ピンホール写真を思い浮かべれば理解できるように、カメラとは、暗い部屋の中で、外界の像をとらえ、記録する装置のこと。この原理は、フィルムを使う旧来のカメラだろうと、デジタル一眼だろうとほぼ同じ。レンズを通して、外界を記録するものがカメラなのである。

ところが、ほんとうは「暗い部屋」は、わたしのこの身体、つまり脳の中にある。
脳の中を直接見ることなんてできないから、われわれは写真を媒介として、ある記号をやりとりしているのだろう。
「ああ、いいね。いい街角だね」
そういったひとことの向こうに、数十年の歳月が横たわっていたりする。

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