二草庵摘録

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命尽きるまで見届けた感動の記録 ~関川夏央「子規、最後の八年」に胸打たれる

2022年04月22日 | Blog & Photo
■関川夏央「子規、最後の八年」講談社文庫2015年刊(初出「短歌研究」2007~2010年)


相変わらず本の世界を右往左往しているが、このところ更新をサボっていた。雑草との格闘がはじまり、多少力をそがれたこともある。しかし、気持ちが根本的にぐらついているのだ(´Д`)
温かくなったので、フロアや畳に座り込んで、平積みした本の山を相手に、数週間遊んでいた。

こーゆーときは、腰が据わらないので、長編が読めない。そこで短編を、あれやこれや物色し、ザワつく気持ちをなだめる。
「井月句集」「久保田万太郎句集」のあと、
織田作之助  「木の都」
太宰治  「眉山」(びざん)
その他、短編ばかり7~8編を読んだがこの二作あたりには、強烈な印象が残っている。
しかし、いずれも初読ではなく、読み返し。
夏目漱石「夢十夜」もこの機会に読み返した。

1.柴田宵曲「正岡子規」岩波文庫
2.関川夏央「子規、最後の八年」講談社文庫
3・ドナルド・キーン「正岡子規」新潮社(単行本)
4.森まゆみ「子規の音」新潮文庫

この4つの評伝が手許にある。正岡子規全集を中心になって編集した柴田さんのものから順に読もうと考えなくもなかったが、やや文体が古めかしく、とっつきずらかった。そこで本書を読みはじめた。
結論からいえば、「子規、最後の八年」は評伝文学の、掛け値なしの秀作♪
本書は関川さんの代表作・・・といっていいのではないか。
大所高所から見下ろしたのではこうは書けない。積み木を一つひとつ積んで、バランスをとりながら、次第しだいに大きな伽藍に仕上げていく。その一歩一歩はたしかなものである。

終わりまでまったく踏み外さず、子規の生涯を、関川さんは高精度でトレースしてみせる。
《子規の本領は、その早すぎた晩年にある》
そう見定め、最後の八年に的を絞って、核心をぴたり射抜くことに成功したとおもえる。
巻末に付された「参考文献一覧」には、59編におよぶ資料が掲げられている。
本編は文庫本で507ページ、関川夏央さん渾身の一冊といっていいだろう。

短詩形文学における正岡子規の果たした役割。
その精神と影響力の大きさは、戦後(第二次大戦後)になってほんとうに定まったと、わたしは考えるにいたっている(。-ω-)
俳諧と和歌の近代化を、ほぼ独力で成し遂げた。そればかりでなく、漱石という盟友を得て、漱石とかわした手紙などを通じ、文語を口語へと転換させ、表現の沃野を切り開いた。

その子規の人間像が、本書を読みすすむ中で、徐々に姿を現してくさまは、うむむと息をのむような見事さ。
彫刻刀は何本も用意されている。何を書き、何を書かないか、関川さんは苦闘したに違いない。漱石ばかりでなく、秋山真之や高浜虚子、伊藤左千夫、妹正岡律などにも読者の注意を向け、人間子規、俳人子規、歌人子規を彫り上げた。子規が“野球殿堂入り”をしていることは、本書によってはじめて知った。

また子規の病をつきっきりで看病し、看取りをした妹律が昭和16年まで生きていたこと
も、本書を読むまで想像してみなかった。周辺人物を必要に応じて丁寧に書き込んであるのがありがたかった。
1.松蘿玉液
2.墨汁一滴
3.病牀六尺
4.仰臥漫録

これが俗に子規の4大随筆といわれているものである。これらの背後には高浜虚子(大好きだった清さん)と、律がいたのだ。
律は兄常規(つねのり、子規の本名)の生活を、病人から辛くあたられたにもかかわらず、背後からしっかりとささえ、養子忠三郎をむかえて、正岡家のために尽くしたのだ。
いまでいう介護である。そういった現代社会がかかえる終末期医療の問題から、律に新たな光があてられている。


   (妹律、養子忠三郎、母八重)

さらに関川さんは“結核文学”にも言及している。
結核はかつて死病といわれ、多くの文学者をその毒牙によって倒した。
わたしが親しんだ作家では、まず梶井基次郎。彼の文学と結核は、いうまでもなく切り離すことができない。
戦後作家では、安岡章太郎、吉行淳之介、吉村昭、藤沢周平は、いずれも結核からの生還者。

子規は“書くこと”に徹底してこだわった。書くことが生きるささえであった。だから死の数日前まで、口述筆記をつづけ、自己表現にやっきとなった。
書くことへの情熱が、子規を35歳まで生きながらえさせたのだ・・・関川さんもそう断言している。書くことによって、脊椎カリエスと闘った。4大随筆をはじめ、最後の八年の中で、子規はその病床の日常を綿々と書き綴っている。

現在岩波文庫で、正岡子規の著書の主要なものはすべて読める。夏目漱石と子規の二人で、20冊はあるだろう。これは驚くべきことではないか!?
しかも、漱石と子規の往復書簡集まで刊行されているのだ。



上田三四二さんは、「病床六尺」の解説でつぎのように述べている。
《強健な精神が病弱な身体に囚われたとき、どういう反応をおこすか。「病床六尺」はその反応のもっとも壮絶な、あるいは光彩陸離たる、稀有なるありようの自証である。》

本書もまた、光彩陸離たる卓越した一冊である。子規の死の場面や、そのあとの告別式まで、関川さんは腰を据えて正確に叙述している。一人の表現者の生と死を、読者は目をそらすことなくしっかりと見届ける。
糸瓜(へちま)咲て痰のつまりし佛かな

こんな壮絶な俳句、子規以外のだれが詠めただろう。

最後となっってしまったが、本書のBOOKデータベースの内容をコピーしておく(;^ω^)

《二十八歳で結核を発症し三十五歳で逝った子規。激しい痛みに堪えながら旺盛に表現する彼の病床には、漱石・虚子・秋山真之ら、多くの友が集った。近代日本の文芸表現の道筋を決めた、その“濃密な晩年”を描く。》

正岡子規の努力と天才によって、和歌は短歌に、俳諧は俳句に生まれ変わり、近代に・・・そして現代に生き残ったのである。


   (自画像)


   (最晩年の子規)


評価:☆☆☆☆☆


※トップの写真以外は、いつものようにネット検索によりお借りしていることをお断りしておきます。

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