二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで ~宮沢賢治の世界を読み返す

2024年03月31日 | 俳句・短歌・詩集
数日前にBOOK OFFへいったら、こんな本が置いてあった。
「宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人」今野 勉 (新潮文庫)
なるほど、そうでしたか、知らなかったけど、文庫になったのが令和2年。
中古好きのわたしが知らなくてあたりまえだなあ(笑)。



どちらかといえば、童話より詩の方が好きである。
大学時代に「夜行列車」という詩の同人誌をやっていたころ、友人たちはほとんど全員宮沢賢治を、緻密によく読んでいた。萩原朔太郎のファンは、わたしだけだった・・・と思う。

宮沢賢治は10年ほどのサイクルのあいだに、2回か3回、読み返したいという波がやってくる。つまり約3年のサイクルがある。
彼は“あの世”があることを、強く願っていたし、またほとんど信じていた。それが気になって、ときおり取り出しては読み返す。

数週間まえから、また“読みたい波”がやってきたので、文庫本を数冊持ち歩いたりしている。そこに「宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人」がくわわった。
こちらはまだ読んではいないので、本日はそのレビューというわけではない。

■「注文の多い料理店」 角川文庫 (改版初版 平成7年6月) 


   (表紙オリジナル・菊池武雄挿画装幀。角川文庫からスキャン)


   (但し書きはないが、これも菊池さんのイラストだろう)

その第一篇「どんぐりと山猫」を読み返していたら、そこにこんなことばが書かれていたことを、いままで見落としていた。

《「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」》

この前の段落に重要なひとことがある。
その部分を引用すると、

《「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
 山猫はなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの胸えりを開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出してどんぐりどもに申しわたしました。》

すなわち「ぼくお説教できいたんです」とはっきり書いてあるのだ。
以前も読んでいるはずだけど、見落としていたというほかない(^^;;)

たがいに争って、決着がつかないどんぐりたち。
山猫は一郎に裁定を依頼する。
「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」と、一郎はいう。

詩碑となっている賢治の一番有名な「雨ニモマケズ」も、こういう逆転の思想をふくんだ、苦いシニシズムとして読むべきである。
いちばんえらくない人がえらいのだ。
「宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人」の著者今野勉さんも、宮沢賢治のあらたな側面を発見したのだろう。
この本にも“参考文献”がどっさりあるが、近・現代詩人の中で、宮沢賢治の研究家がダントツに多いかもしれないなあ、調べたわけじゃないけど↑

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