二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

前橋へ ~飯島耕一詩集「ゴヤのファースト・ネームは」より

2023年07月05日 | 俳句・短歌・詩集
※飯島耕一さん(1930~2013年)はフランス文学者、シュルレアリスムの詩人として出発したが、このころは、こういうとてもわかりやすいプリミティブな詩を書くようになっていた。
この「ゴヤのファースト・ネームは」(青土社 1974年刊)で1973年高見順賞を受賞。

わたしが群馬県人であるため、とくにこの一篇「前橋へ」はインパクトはないが、忘れることができない秀作であると思う。彼はうつ病に悩まされていた。
飯島さんは萩原朔太郎を敬愛していた。また作中、もと海軍中尉とあるのは詩人田村隆一のことであろうか。
ぽくぽく歩くような長ったらしい散文的な詩だけれど、作品全篇を書き写しておこう♪



どこへも行くところがないので
前橋へ行った
どこにも行くところがなくて
ダンケルクへ行ったように。

八月の午後一時 雨が降り出した
タクシーで大渡橋と
かわききった利根川を見た
どこにも行くところがなくて
きょう
きみは前橋へ来たのだ。


新宿へ行くのは夜だけ。
きみはもと海軍中尉と
海兵出身者と
バーのテーブルをかこんだ。
ビールをのみながら
戦艦の話が次々と出た。
きみが立って
手洗いから戻ってくると、
彼らの席から おどろくべし
潮風がにおってきた。
小さな新宿のバーは
そのとき
音に聞く士官室(ガンルーム)の様相を呈した。


会ったこともなく
その姿を見かけたこともないのに
ひとりの人の記憶に引かれて
前橋へ行った。
驟雨のため
路上には あたうるかぎり
人影はなかった
その人の幻があるわけではなかった
けれどもきみはあるよろこびをおぼえていた
ひと気のない午後の町
というものと
前橋で久しぶりに会ったのだ。


「悲しい新宿」とあの人は書いた。
悲しい新宿には
いま 夏の瘴気がある。
悲しい新宿には
いま きみはなじめない
亡国のにおいをただよわせた
雰囲気がある。
薄っぺらでけばけばしい
髪の長い うつろな眼の若者たちが
飢えたけもののように
歩きまわっている。
きみはもう あのなつかしいが
悲しい新宿には行かず、
古めかしい汽車に乗って
あのさびしい 病める人のいた
前橋へ行く。


向こうから人がやってくるだけで
こわくて歩けない―
と言ったらわかってもらえるだろうか
(外へ出るときは 車に乗って
頭からすっぽり 毛布をかぶって)

ドアから外へ
どうしても出られない
外には空気の
水圧があって
くるしくてならない
(きみはどうしても出ようとするが
きょうも一日 出ることができない)
向こうから
一人でもやってくると
もう歩くことができない‥‥
(外は明るすぎて ひろすぎる)
こうして一年が経った
四月には きみは
一人で水郷に
利根川を見に行った。
上天気で 橋のところで
川が光っていた。
きみは一人でバスに乗り
電車に乗って帰ってきた。
八月に きみは
前橋へ行ったのだ
八高線の小さな駅に
一つ一つ止まるごとに
古い木造の駅舎と
その山あいの町が
あった
外を歩くことができるということの
よろこびを
きみはいま 味わっている。


ダンケルクにも
何一つなかった
古びた赤レンガの建物の
ホテルやレストランや事務所や倉庫が
あっただけ。
港へ行く車からは
錆びた引込線のレールと
草の生えた砂の道。
ダンケルクには
何一つなかった
ダンケルクには
住んでいる人さえ少なかった
(二万人の市民は あのとき
どこへひそんでいたのだろう)
ダンケルクは
眼を閉じなければ見えてこない。


ダンケルク市と
前橋市のことをいまきみは考えている。


ダンケルクから二年経って
あのさびしい 病んだ
前橋の人は死んだのだ
(かの詩人も 内部のダンケルクを
たたかったのだ)
それから四年経って
きみはかつて彼もいた
同じ高等学校の生徒だった
きみは明るい宇野港の崖の上の
旧陸軍弾薬庫の仮校舎で
はじめて「青猫」という詩集を読んだ。

きみはそのとき
はじめての恋もしていた。


きみが前橋へ行きたかったのは、
もう一つ 別のところへ
行きたかった
のかもしれない。



※引用は現代詩文庫「(続)飯島耕一詩集」(思潮社 1981年刊)による。
興味のある方は、こんなblog(はんきちのつぶやき)がある。
https://hankichi.exblog.jp/19983170

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