二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「ギリシア人の物語3 新しき力」塩野七生(新潮社2017年12月刊)レビュー

2017年12月26日 | 塩野七生
塩野七生さんの「ギリシア人の物語」は3巻仕立てとなっている。
「ローマ人の物語」が完結したのは、2006年のこと。
そのあと、
「ローマ亡き後の地中海世界」2008 - 2009年
「十字軍物語」2010 - 2011年
「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」2013年
・・・と大作を順調に書きすすめてこられた。
そして「ギリシア人の物語」第1巻が2015年。年1冊のペースを守りながら、書き下ろしの長編エッセイを世に問うてきた。対談集とか語り下ろしではなく、あくまで著作。
その意志の強靭さはあきれるほかない。わたしばかりでなく、大部分の読者はそう思っているだろう。
「あーあ、これが最後なのか。塩野さんの新作はもう読むことができないのだ」
わたしは惜しみおしみゆっくりと味わってきた。それがラストシーンを迎えたのだ( ´。`)
80才といえば、頭をとことん働かせなければならない現役の著述家としては、たいへんなご高齢となる。
いまさら名声がどうの、お金がどうのというようなお歳ではない。自分自身のため、あるいはファンのために、ここまでたどり着いたのは、やっぱりすごい。

文学と歴史の十字路。
そこに、塩野さんは輝かしい金字塔を打ち建ててきた。その頂点に存在するのが全15巻からなる「ローマ人の物語」。このときは、読書人のあいだに塩野七生フィーバーが巻き起こった。雑誌の特集号や、マスコミからのインタビューも相次いだ。
「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」も眼を瞠らされた。えっちらおっちら、険しい山あいの道を、息を切らせながら登っていく。途中の眺めも捨てがたいけど、たどり着いた涯には、これまで見たことのないような、すばらしい景観が広がっている。

文学と歴史。
それは読書をするわたしのメインテーマ。
塩野さんの前には、司馬遼太郎さんが存在した。司馬さんのあとについて日本の歴史に分け入っていくのが、サイコーの娯楽であったし、興味つきない“人間研究”であった。
塩野七生さんの主要な舞台はヨーロッパ、地中海。
地中海世界の、国家、人間の興亡の歴史である。
初期のころはルネサンスの研究に没頭し、やがてベネチアの1千年をたどり、そしてローマの1千年へと舞台は回っていった。
そうしてたどり着いたギリシア世界は、大王アレクサンドロスの死をもって、その幕を下ろす。
短期間におわったテーベの興亡を叙したあと、アレクサンドロスが登場すると、読者は英雄譚を読まされている気分になってくる。著者が主人公に密着しているからだ。こういう現象はカエサルを描いているときも存在した。小癪な批判など、いっさい無用´Д`|┛
塩野さんご自身が、アレクサンドロスになり切って、あの時代を、あの場所を眺めている。そうして、読者を興奮の渦の底へさらっていく。



小説なのか、歴史なのか迷っていたら、本書巻末の著作一覧では「歴史エッセイ」と謳っておられる。学者・研究者その他から、重箱の隅をつつくようないろいろな批判をうけたため、より自由度の高い「エッセイ」という語彙を選んだのだろう。呼び名はどうでもよい。
アレクサンドロスが描き、途中まで仕上げた途轍もない壮大な夢。



大王の死後、大王の壮大な夢は、東アジアから西へ位置を移し、ローマを中心とする地中海世界、北アフリカや西ヨーロッパへと引き継がれていく。
塩野さんは、本書の巻末に「十七歳の夏」という、いつもとはずいぶん調子の違ったあとがきを書いている。感無量・・・といってしまえばそれで済んでしまうが、こういう形で読者への感謝を記したかったのである。
しかし、本当に、意志の強固な女人である。男勝り、どころか、男性作家すべてを圧倒している。
文学と歴史の十字路。
そこに、ひときわ高い山巓が聳えている。「ギリシア人の物語」が、その最後の嶺となる。
わたしの耳の奥では、これを読みおえた読者の大きな、大きな拍手が鳴りやまない。
ありがとうございました、塩野七生さん(^ー^)

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