二草庵摘録

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中国はどこへ向かうのか ~岩波新書で中国史を読む

2021年02月01日 | 歴史・民俗・人類学

岩波新書、中公新書には、昔からお世話になっている。文春新書、講談社新書なども読むが、岩波・中公に比べたら相当少ないだろう。
歴史にはまると、どうしても岩波&中公に注目せざるをえない。それだけ、おもしろそうな本を続々と刊行しているということだ。

さて、本日は、前回につづけて、岩波新書シリーズ中国近現代史から2冊を取り上げる。


■久保享「社会主義への挑戦 1945-1971」シリーズ中国近現代史④ 岩波新書(2011年刊)

久保享(くぼとおる)さんの叙述の特徴は、映画への言及が多いことだろう。わたしは映画は観ないと決めているし、まして中国映画。レンタル店にいけば借りてくることができるのかな? 映画事情にはとんと疎いので、さっぱりであ~る(´v`?)

本書は、蒋介石の国民党と、毛沢東の共産党のサバイバル戦あたりから幕を開ける。そして「大躍進」政策の破綻、文化大革命の混乱へとすすんでいく。写真、統計資料が豊富で、多角的にアプローチしようという姿勢が一貫し、政治史を踏まえてはいるものの、社会史的な視点からの分析にすぐれていると思われた。
26年間の出来事を、新書の一冊に収めてある。

天児慧さんの「中華人民共和国史 新版」を読んだばかりなので、どうしても比較してしまうが、もう一冊、高原明生/前田宏子「開発主義の時代へ 1972-2014」があるので、紙幅に余裕があり、歴史的な事件を詳しくレポートしてくれる。
中国は極めて政治的な色合いが濃い国家。どうしてそうなるのかが読んでいるとわかってくる。この時代も、ひとくちにいえば、何億もの民衆が、政治家の権力闘争や冷戦構造という外交関係や共産主義・社会主義に振り回された、受難の歴史なのだ。

国家としての方針が、数年単位でひっくり返ってしまうのだからたまったものではない。こういう国に生まれなくてよかったというのが、正直な感想。
わたし的には、蒋介石の帰趨と文革に以前より興味があったのだ。どちらも内乱であり、信じられぬほど多くの犠牲者を出した。

《人民共和国の成立は、必ずしも社会主義政権の樹立を意味していなかった。それにもかかわらず、中国はなぜ社会主義をめざしたのか。さまざまな戦後構想が交錯するなか、政治の実権を握った中国共産党。徐々に急進化するその政策路線は、やがて文化大革命の嵐を呼び寄せてしまう。混乱と迷走の四半世紀をたどる。》(BOOKデータベースより転写)

人民共和国の成立は、必ずしも社会主義政権の樹立を意味していなかった。それにもかかわらず、中国はなぜ社会主義をめざしたのか・・・というのは初耳に近いものである。「ええっ、そうなの?」であった。そのあたりの紆余曲折が、本書の守備範囲として、しっかりと抑えてある。
筆者久保享さんは、信州大学の教授。
最も興味深かったのは、第5章「急進的な社会主義への再挑戦 『文化大革命』」である。
その久保さんは、文革をつぎのように要約しておられる。

《文革とは何であったのか。革命遂行のためには、政治経済の変革と同時に文化もまた変革されなければならない、というのが文化革命という言葉の由来である。しかし1960年代半ばに中国で起こされた「文化大革命」の場合、文化の革命といいながら実は、中国共産党の指導部内部の抗争に一般の民衆や党組織が巻き込まれ、人民共和国が築いてきた社会秩序が崩壊し、さまざまな社会層の中にあった不満や要求が顕在化するとともに、中国の内政、外交、社会、経済に大混乱が生じた事態であった。》(152ページ)

実質は江青ら“四人組”の策動があったにせよ、それがほかならぬ毛沢東の名においてなされたため、混乱はいっそう激しく、徹底したものとなったのだ。むろん毛沢東も文革に深く関与し、反対派とみなされた人たちの粛清が大規模におこなわれた。
文革の時代はこうした負のイメージを持っているはずだが、近ごろ習近平の動きを見ていると、相変わらず毛沢東のカリスマ性に寄りかかって権力の後ろ盾としているのはどうしたことだろう。
その間の事情は、次巻「開発主義の時代へ 1972-2014」を読んでいくなかで次第にあきらかになる。

独裁による“平和”か内乱による混迷・混乱か?
二者択一を迫られたとき、中国社会では半数以上の人びとが独裁を選択する・・・ということだろう。
ある意味では、古代ローマが共和制から帝政へと移行した歴史を思い出させる。大国になると社会階層間の利害や政治権力相互の闘争が激化する傾向があり、しばしば内戦へと発展する。独裁が“悪”だとは必ずしもいえないところが、必要悪としての権力の一番厄介な部分である。


評価:☆☆☆☆





■高原明生/前田宏子「開発主義の時代へ 1972-2014」シリーズ中国近現代史⑤ シリーズ中国近現代史④ 岩波新書(2014年刊)

《文化大革命の嵐が過ぎ去り、中国は新たな試練の時代を迎えようとしていた。疲弊しきった経済をどう立て直すか。雌伏の時を乗り越え、厳しい権力闘争を勝ちぬいた鄧(とう)小平が、改革開放に向けて敢然と舵を切る。計画経済から市場経済へ。中国社会を根底から変える大転換が始まった。中国台頭の起源をさぐり、その道すじをたどる。》(BOOKデータベースより)

開発主義の時代・・・このタイトルにしたのは苦肉の策だという気がする。ほかに1972-2014の時代をひとことで括れることばが、おそらくみつからなかったのだろう。
ここからは歴史学のジャンルにはおさまりきらない時代に突入する。
高原明生さんは東大政治学研究科教授で、専攻は現代中国政治。
前田宏子さんはPHP総研国際戦略研究センター主任研究員で、専攻は中国外交・安全保障政策ということである(´・ω・)?

高原さんは、“おわりに”においてつぎのように述べておられる。
《最近の事情について性急な判断を避け、後世の検証に耐えるような記述を心がけたつもりではあるが、今後もまた何が起こるかわからない。われわれのまだ知らない様々な事実が明らかになる可能性もある。現代中国について本を書くことは、研究者にとって実に危険を伴う仕事だと言うほかはない。》(211ページ)

本書は文革後半の社会的・政治的な葛藤・相克から幕が上がる。巨大国家中国にとって、内政は、つねに第一義の問題なのである。
記述の中心は、鄧(とう)小平の変革がどのようにおこなわれたか・・・であるが、江沢民政権、つぎの胡錦涛政権へのかなり踏み込んだ分析がある。守備範囲が1972-2014年なので、習近平体制の初期まで言及されている。

改革開放にのみ走ることができない国内事情がある。排他的、好戦的ナショナリズムにどう対応するのか、時の政権は神経を尖らせていなければならないのだ。
中国国内に、いまだイデオロギーに固執する勢力が、無視しえないパワーを持っていることは、先日来の香港騒擾を見ていれば理解できる。それはナショナリズムと不可分の関係にあり、場合によって暴力をともなう。

人権は普遍的な価値ではなく、西欧諸国がもたらした、西欧的な価値に過ぎないということである。
内容に踏み込むとやたら長くなるので、この程度でやめておく(。-_-。)
江沢民と胡錦涛のあいだの軋轢も、遠くから眺めている分にはとてもおもしろいものであった。
権力闘争は、共産党の一党独裁だから余計に熾烈なものにならざるをえない。政治路線の対立・・・路線問題は、国内勢力相互の綱引きの場となる。
内政におけるそれらの調整が、外交につねに優先するということが、本書を読んでいるとわかってくる。

中国は外交の背後に内政問題が必ず潜在している。なぜかというと、共産党が国家の上に立って政治を領導(指導より権力的)しているからだし、右派から左派までをたばねていくためには、最終的には軍事力を掌握せざるをえないという、独裁国家の宿命があるのだ。
習近平は現在、
中国共産党総書記
中央軍事委主席
国家主席
・・・を兼務している。派閥的には“太子党”という、日本での二世議員にあたるエリートである。

中国はどんな経緯をへていまの中国になったのか、そして習近平に率いられ、どこへ向かうのか?
ところで、今回の新型コロナウィルス発祥が疑われる武漢。
WHOの視察団への対応は、民主主義国家とは違う国家権力のありようを如実に語っている。国家による厳しい情報統制に、西側は今後とも苛立ちを募らせていくだろう。
しかし、隣の大国なので、日本はつきあわないわけにはいかない。近いうちに、経済力はアメリカを追い越し、世界一にのぼりつめると予測されてもいる。

前田宏子さんのような研究者、その他アナリストが活躍するのは、こういう理由があるのだ。
尖閣列島をめぐる摩擦をかんがえると、現在の中国は本当に気の許せない隣人であるといわざるをえない

中国史は、ここいらで一区切りつけよう。その後やってきた本たちが、山積している^ωヽ*タハハ



評価:☆☆☆☆

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