二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

風立ちぬ ・美しい村

2010年02月12日 | 小説(国内)
■美しい村
堀辰雄は中学校3年生のころ、「辛夷の花」(「大和路・信濃路」所収)を教科書で読んだのが最初。
過不足のない、すぐれた紀行文として、いまでもよく覚えている。軽井沢、というより、信濃追分に未亡人堀多恵子さんが健在であることがわかり、アポイントをとって出かけていき、文芸部の機関誌に探訪記事をのせたのもそのころ。

『私は毎日のように、そのどんな隅々までもよく知っている筈だった村のさまざまな方へ散歩をしに行った。しかし何処へ行っても、何物かが附加えられ、何物かが欠けているように私には見えた。その癖、どの道の上でも、私の見たことのない新しい別荘の蔭に、一むれの灌木が、私の忘れていた少年時の一部分のように、私を待ち伏せていた。そうしてそれらの一むれの灌木そっくりにこんがらかったまま、それらの少年時の愉しい思い出も、悲しい思い出も私に蘇って来るのだった。私はそれらの思い出に、或は胸をしめつけられたり、或は胸をふくらませたりしながら歩いていた。私は突然立ち止まる。』
(「美しい村」より)

繊細であるにもかかわらず、たいへん硬質で、格調の高い文体である。おそらく、プルーストやモーリアックの影響を受けながら、こういった文体をつくりあげていったのだろう。
現在読んでも、この文体は鮮度を、さほど失っていない。この文体に共鳴できるかどうかが、そのまま評価にむすびつく。

思いつくままに堀辰雄の文学的キーワードをならべてみると、
「翻訳調」「ナルシシズム」「避暑地の文学」「病者のまなざし」「エキゾチズム」
――などのことばが思い浮かぶ。
その後、なんども軽井沢には出かけているけれど、いくたびに感じるのは、
「こういう軽井沢は、結局のところ、堀辰雄の作品の中にしかない」ということ。
堀辰雄がつくりあげた、きわめて詩的で人工的な世界は、軽井沢にいけば、「そこにある」というものではないのである。
こんど「美しい村」を数十年ぶりに読み返して、そのことが、ますますはっきりしてきた。
彼には他者が見えている。しかし、欲望のうすい彼は、そういう他者に積極的にかかわろうとはしない。思いを寄せている「少女」に対してすら、距離をたもって、遠くから眺めている。
「辛夷の花」「幼年時代」なども読み返したが、印象はどれも似ているようであった。

堀辰雄は、他者や風景とのあいだに、距離をおこうとしている。彼自身にとってのお気に入りの「距離」があり、それをたえず測っている。
彼の風景描写は、そのまま空間把握の力となる。それは、「美しい村」をたいへん生彩あるものにしている、と思う。臆病で、おずおずしていて、いつもの距離をへだてて、対象を見つめ、想像し、憶測し、気に入らないものは、ことばのいわばオブラートにくるんでしまわないと、呑み込むことができないのである。
「私の暗い半身」「私の明るい半身」という表現があり、こういったディテールが読みどころ。

■風立ちぬ
これは、とても小説とはいえない。
小説ふうのエッセイ、あるいは、手記と称すべき奇妙な作品。
死に瀕した恋びとを看病しながら、作者のモノローグがつづられ、生と死をめぐる思索が、断片的に積み重ねられていく。
ここにある抒情の質は、立原道造など、「四季派」のそれと、隣り合っている。べたついた日本的な感傷ではなく、エキゾチズムの道具立てを効果的に使って、ロマネスクな味わいを醸し出しているからである。サナトリウム、フレンチドア、バルコン(バルコニー)、リノリウム、トランク・・・堀辰雄は、ことばを慎重な手つきで腑分けしていく。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」
死に直面することによって、ようやく見えてきた生の手応え。
シニカルにいえば、すべてが、作者のレトリックによって生み出された世界であり、幻影である。
「風が出てきた。さあ、生きていこうではないか」
散文脈でいい直せば、これだけのことであろう。

それにしても、この節子という登場人物は、まるで生々しさがない、ある種の人形になってしまった。いや、すぐれた断片はいたるところにちりばめられてはいるのだけれど、近代的な意味での小説というには、あまりに物足りない。死にゆく節子の側から描いたら、むろん、たちまち崩壊してしまう、壊れやすい詩的な世界なのである。
好意的にいえば、看取る側の心、看取られる側の心が、接近したり、遠ざかったりしながら、ロンドのようなステップを踏んで交わっている。
堀辰雄は、師である芥川龍之介に、遠くおよばなかった。芥川が、師である夏目漱石にそうであったように・・・。

結核で死にゆく恋びとの「看病の記」を、これほど美しく、切なく謳いあげねばすまなかったところに、病者の文学をつくりあげることになった堀辰雄の宿命があったのだろう。


評価:★★★★

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