二草庵摘録

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差別論スペシャル   小林よしのり

2010年02月10日 | 対談集・マンガその他
戦前に較べると、おそらくタブーの問題は格段に減少したはずだ。
しかし、社会的なタブーは、やや見えにくくなったとはいえ、まちがいなく存在している。
人権と平等に対する人びとの関心がたかまり、それに対して過剰な権利意識が暴走をはじめたのは、いつからだろう。
小林がここでいっているように、人間社会では戦争と同じく、差別も、完全には撲滅できはしない。男女の格差も、極端なフェミニズムに走ってしまうと、これまでのあやまちはすべて「男性社会が悪い」という隘路にはまりこんで、発想の貧困だけが表面に浮上してくるだけになっていく。男女が同じ事を、同じようにするのではなく、性差によるそれぞれの得意、不得意に応じて役割を負うのが、正しい社会のあり方ではないかと、わたしは考えている。

ことば狩り、「断筆」、ジャーナリズム・出版界の自主規制。
日本の近代文学や、西洋19世紀小説などを読んでいると、巻末に奇妙な「お断り」がついている。原作でつかわれていることばを、差別用語、差別表現だと認めたうえで、やむを得ないことなので、ご了解をいただきたい、とコメントしている、あれである。
あれは、いつからおこなわれるようになったのか?
「ちび黒サンボ」が非難をあびて絶版になったとき、筒井さんの「断筆宣言」のとき、放送禁止用語のラジオ番組を聞いたときのことを思い出そうとするのだけれど、あのころもいまも、怠惰な一市民たるわたしは、ほどほどの関心はもったものの、むろん、ずっと沈黙をまもってきた。

原理原則にこだわるのはいいが、そこで飛び交う論議にいちいちつきあうほどヒマではない・・・そういった気分。とくに「差別論」をめぐる論議は、論点がぼやけているせいもあって、幹と枝葉の区別がまことに区別しにくかった。
しかし、本書によって、論点がかなり明確になってきた。
いつのころだったか、「ひとりの人間のいのちは、この地球よりも重い」などという言説がおこなわれたことがあった。それに対し「へええ、人間って、そんなにえらくなったのか?」と、わたしは皮肉ってやりたくなった。

たとえば、めくらを、視覚障害者といい換える、キチガイ、狂人を精神障害者といい換える。その他いくらでも例をあげることはできるけれど、こういったいい換えによって、差別がほんとうになくなるとは、だれも考えてはいまい。厠が便所になり、トイレになり、やがて化粧室になていく。それこそ、「臭いものに蓋」をし、すり換え、表面を糊塗し、なかったことにしようというだけだから、差別は見えにくくなり、陰湿になっていくだけである。
ことば狩り、「断筆」、ジャーナリズム・出版界の自主規制は、すべてこの「ごまかし」の上に構築されているだけだろう。

小林よしのりのこの本は、大阪にある解放出版社から刊行されている。
その事実を知って、わたしは、即座に買うことにし、読みはじめたが、なんだかはじめは気がのらなかった。それは「わが内なる差別意識」をクローズアップしてくることだからであった。わたしは、差別感は稀薄だと思っていたが、世の中の大部分は、皆そう思っている。「稀薄だから、存在しないのと同じだ」と。
しかし、本書を読んで、わたしもむろん無罪ではないこと、稀薄とはいえ、空気のように、その差別意識にひたされていることを認めないわけにはいかなくなった。

戦争論やA級戦犯論とは違った泥沼がここにはある。
ギャグやナンセンスが得意な一漫画家が、なんでこんな厄介な泥沼に足を突っ込む?
読みすすめるにしたがって、その疑問は氷解していくようであった。小林よしのりは、勇気と誠意をもって、差別論と向き合い、見えにくく、隠蔽されていた論点を、公の場に、陽のあたるところへと引きずり出した。これは、たいへんな力業というべきである。観念論にも陥らず、うわっすべりもせず、本気度100%と評価したい。よくぞここまで踏み込んだ。いや、すごいですぞ!

小林よしのりの「ゴーマニズム」は、ご本人もいう通り「哲学すること」に近づいている。政治的・時事的な問題への発言はサビが浮いてきているけれど、それ以外の発言は、いまでも、輝きをうしなっていないように思われる。



評価:★★★★★

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