虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ひとりひとりの子の興味関心、性質に配慮した学習の大切さ

2017-06-04 05:55:15 | 算数

 

写真は、年長~1年生の女の子たちの科学クラブの様子です。

しっかりさんの女の子ふたりの中に、

「幼稚園での集団行動が難しいです。先生の話を聞いていません」と相談を

いただいていた女の子も入っていました。

 

確かにこの子は、別のレッスン時の算数の時間、自分の好きなように振舞って

こちらの質問に答えようとしませんでした。

でも、その日、工作をしている時には、科学的な仕組みを取り入れる際に

他の子以上の強い関心を示していましたし、

星の周りにぐるぐると線を描いて、「こんな風に宇宙は機械みたいに動いているのよ」と説明していました。

そこで、ちょうど、女の子向けの科学クラブを作る予定だったので、そちらに移ってもらうことにしました。

 

すると、実験遊びがよほど楽しかったのか、(科学クラブの)

算数の時間にも集中して取り組んでいました。

重さの目盛りを読むのは年長児にはまだ難しいのですが、

読み方をきちんと学んでいました。

また、元素記号のカードゲームでは、ルールをきちんと理解して

楽しそうに遊んでいました。

ひとりひとりの子の興味関心、性質に配慮した学習の大切さを実感しました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

時計の読みを学ぶ前に、時計のゲームを作って

遊ぶと、時間について理解しやすくなります。

時計作りは、大きな丸を描いて、半分に折って、

さらにそれを半分に折って、90度を作ることから始めます。

90度を3つに分けると、

数字が書いてある〇時のめもりにあたります。

教室では、その作業の際、コンパスの扱いを学んだり、

折り紙で30度を測る道具を作ったりしています。

「作る」という作業のなかに、形や長さ、角度などへの気づきが生まれるように

気をつけていると、子どもの内面に、算数の世界への関心や愛着が積まれていくのを感じます。

ゲームで遊ぶ時、時計の長い針を1周させる間に身近い針を30度だけ動かすルールで遊んでいます。

お散歩に行ったり、公園で滑り台をしたりする動作も子どもが自分で加えています。

 

くわしい作り方と遊び方は、算数のオンライン教材に載せています。

先に告知しておきながら、発売がかなり遅れてしまって申し訳ありません。

できあがってからも、販売できる状態にするのに時間がかかってしまいました。

来週の6月9日金曜日から発売を開始する予定です。

どうぞよろしくお願いします。

 


次々気持ちが移りがちな子に枠組みを設ける

2017-06-02 16:24:32 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう


前回の記事に次のような質問をいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
うちの子供は二人とも直感のような気がします。

新しいことに興味を示し、同じ作業をするのが苦手です。

最近、気にしていることが、先生のプログに書かれていた
-------------------------------------------
とにかく次々と興味が移るので、放っておくと、いろいろやりつくしたけど、何もその子の手の中に残っていない(確かな力がついていない)……
という状態にもなりやすいのです。
------------------------------------------
アウトプットする手段に枠組みを設けるのです。
------------------------------------------
と書いてありますが、どのようにすればいいのか、もう少し詳しく教えてください。

ブロックも紙工作も好きではあるのですが、続かないのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ブロックも紙工作も好きではあるのですが、続かない」という気がかりは、

親心としては、

ブロックや紙工作をするからには、
外からの評価されるような
技術的な向上や作品としての完成度を高める方向に進歩することを望んでいるのに、
いつまでも「好き」のレベルのまま変化しないことへの心配ではないでしょうか?

こうした たいていの方が陥る
「物作りに対する固定された価値判断の基準」は、
直感が優れている子たちにとって
百害あって一利もないものです。

直観が優れている子たちにとって、
アバウトにいい加減に作るからこそ
そうした行為が意味や価値を生むことが多いからです。

直観が優れている子たちにとって物作りは、
算数の文章題を解く時に簡単に図を描くことや、図形問題を解く時に
アバウトに補助線を入れる行為に近いものです。
また、それに直結したものでもあります。


思考を助ける補助道具として、
あくまでも思考を優先しながら、
具体的に目からのフィードバックを得ながら
何かを考えたり、アイデアを実現してその可能性を追求したり、
問題点を見つけて改善したりするためにあるのです。

美しい完成品を作って
他の人々から賞賛を受けるために
物を作っているわけではないのです。

ですから、
「ブロックも紙工作も好きではあるのですが、続かない」という状況そのものは、このタイプの子にとって、
「自分にとってハードルが低めですぐにできる」ことを持っているという

「ある枠組み内でアウトプットする手段を手にしている」良い状態を指してもいます。

私の場合は、その「好き」な状態の上に、
このタイプの子が次々持つ興味を、このブロックや紙工作上で
実現するにはこうすればいいのよ」という具体的な見本が
たくさんあると良いなとおもっています。


そうした見本と大量に出会うことを目的に、工作のワークショップ開いているのですが、
現実には、それぞれの親御さんが自分の価値判断のもとで工作を眺めていて、
それ以外の意味や価値をないものであるように遮断してしまっていてるところもあります。
子どもは感受性が優れているので、
それに直接アクセスして、
しっかり吸収しているのですが、
親御さんの価値判断の影響で、だんだんそれが鈍くなっている印象もあります。

直観が優れている子に、その子の能力を最高に高めてくれる
「アウトプットする手段の枠組みを設け方」は、ちょうど、web拍手に
すばらしいアイデアをコメントしていただいていたので、
それを紹介させていただきます。

-------------------------------------------------------------------

息子はまさに直感型だと思われます。細かな分類は分かりませんが、とにかく新しい物大好き、小さいころから床でも天井でも道ばたでも穴があればのぞき、引き出しがあればあけて、というタイプでした。好奇心旺盛で他の子が見向きもしない小さなことにも興味を示す。そんなところが息子の良さだと思いつつも、やはりそのために困ることもあり・・。でもこれは息子の個性で、好奇心の旺盛さはつけようと思ってもなかなかつく物でもなく、だけどこのまま放っておいていいものか。それはいつも親として思っていました。でもどうしていいのかわからずにいたのです。今日の記事を見て、息子なりのアウトプットの方法・・。7歳になったばかりの息子は、ごっこ遊びが大好きです。7歳でごっことは少し恥ずかしい気もしますが、年々進化しており、事前準備(自分でチケットやチラシを書き作る)もして相変わらず熱中しています。私も正直、ごっこ遊びの相手はうんざり、とも思っていましたが、息子が好きで熱中できる物、それはやはりごっこ遊びです。今まで嫌々、そして時々だけ付き合っていたごっこ遊びを進化させて、チラシやチケット作りを好きなだけさせて、私ももっと息子に付き合おうと思います。ごっこは一人じゃつまらないですし。息子なりのアウトプットの方法を探りつつ、大好きなごっこ遊びを進化させていきたいと思います。 
-------------------------------------------------------------------

直観が優れている子に対して、
「いつも繰り返し遊んでいるごっこ遊びの中で
アウトプットできるように手助けしてあげる」というアイデア、
なかなか前々回の記事から連想できるものではないですよね。
このアイデアに気づいた親御さんは、
わが子の落ち着きのなさにほとほと疲れているという現状を
何度か相談してくださっていたのですが、
この発想が出てくるあたり、息子さんと同様に優れた直感の持ち主なのかもしれません。

ごっこ遊びは、新しいタイプの企業といったビジネスにも、
小説や作文の創作にも、映画作りにも、
社会の仕組みを理解するのにも、文字や計算の訓練にも(チケット作り等で)
役立つ本当にバカにならない遊びだと思います。

うちの子たちも、小学校の6年間を通して、年がら年中、
ごっこ遊びもどきをしていたな~と思い当たりました。
↓過去記事にその様子を書いています。

ジェネレーションギャップ  と 『コピー』で遊ぶ子ら

直感の優れている子は、自分自身で、
「アウトプットする手段に枠組みを設ける」遊びを見つけ出して繰り返すことも多いです。
それを周囲がバカにしたり、もっと生産的な何かに変えようとしなければ、
一生役立つ思考の補助道具を手にいれることになります。
私自身の失敗体験を目にして、子どもの好きな活動に
親はどこまで介入してもいいのか、
距離の取り方を学んでくださいね。


番外 白い紙と えんぴつと…

私は典型的な内向的直感型の子として成長しました。
大人になって、徐々に他の機能も発達してきて、
今は劣等機能である感覚とぼちぼち付き合いながら、いろいろ学んでいるところです。
客観的に物を眺められるようになった大人になってはじめて自覚したのですが、内側に向かう直感ってかなり変わっています。
自分の子どもの頃を思い出すと、
ある面、「目が見えていないんじゃないの?」と呆れるほど、馬鹿なところが多々ありました。
他の人と見えているものや、見ているものがちがうというか、
リアルな現実にはほとんど関心がなく、身の回りの世界の大部分が視界からも意識からもこぼれ落ちているのです。
ですから、ただただその場その場を半睡状態で過ごしているような
ところがありました。

ですから外から見た目はずいぶんお馬鹿さんだったろうし、
現実にあまり賢くなかったのですが、
自分が自由に動き回れるフィールド内では、
常にシャキッと目が覚めてる状態で、
たったひとつの見落としもありえないほど研ぎ澄まされた感性で観察していました。
自分が自由に動き回れるフィールドというのは、
リアルな世界の空間を指しているのではなくて、
子ども時代の私が常に注意を向け、計測し、観察し、分析していた
「目には見えないけれど感じられる何か」という世界についてです。

「目には見えないけれど感じられる何か」なんていうと、まるでスピリチュアルな不可視な世界について語っているようですが、
そういうものではなくて、
それはそれで目で見えはしないけれど、目で見えているものを通じて感じ取る現実にある何かで
見えているものの背後に隠されている雰囲気や違和感や予兆や原因といったものでした。

たとえば、私は幼稚園くらいのときも、自分の母親や幼稚園の先生の言動や考えや行動が、
何を根拠にしていて、どのような価値観のもとで生じていて、
どういう行動としてアウトプットされるのか、
まるで色や空間の広がりとして目で見て確かめられるものであるように
毎日計測しては、そのデーターを記憶していました。
ですから、幼稚園に毎日、忘れずに何を持っていかなきゃならないのか……
なんてことは、通い出して一年経っても
頭からすっぽり抜けているのですけど、

自分の住んでいる地区の人々が、ある理念には重要性を与えて
ちょっと強い口調で語り合いながら、
その理念と同じ内容でありながら別のことになるとまるでそこにないもののように無視しているような場合、それに気づかないということはありえませんでした。

幼稚園児なんですが、そこにピンポイントで集中しているのです。

そこから何か不協和音を感じ取って、
その背後にあるそうした心のあり方を作り出している何かに気づいて、
それについて延々と考え続ける……
ということをいつもしていました。

はっきりいって、私がそれにどれだけ力を注ごうと、現実の生活で役立つことはあまりありませんでした。
ちょっと間が抜けた感じの見た目になるくらいで。

でも、今になると、当時、そのような目で計測しながら観察していた記憶が、
過去を振り返っていろいろなことを考えるのには役立っています。
そういえば、今の仕事にも役立っていますね。

今の年齢になって、当時の自分を眺めると、
「絶妙なタイミングで怠けていて、親の思い通りに育たないでいて、
えらい!えらい!よかった~よかった~」という感想を持っている自分がいます。親からすれば怠けにしか見えないことも、
私にすれば最も得意な分野の開発に余念がなかった
わけでもあるのです。

もし、私が親の勧めるピアノやそろばんで完璧を目指すような子だったなら、
今の私の生きていく術となる特技なんて
大人になるまで残っていたのだろうかと感じるのです。

人生の長さを思うと、
私は、結局、「私」でしか生きていけないのです。

周囲に無理につけてもらった飾り物の能力が
いくつあったところで、
私にとって邪魔でこそあれ、きっと必要のないものだったでしょう。


子どもたちと接していると、
4歳くらいの子でも、当時の私ととても似た感じ方や行動の仕方をする子に出会って、「性格のタイプって後から身につくものではなく、生まれたときから
持っているものだな」と面白さや感動を味わいながら、
再確認しています。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 終わりです

2017-06-01 05:38:00 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

「枠組み」について説明しますね。

 

ひとことで、「少し遊ぶと気が散って、次のおもちゃへ次のおもちゃへと気が移りやすい」

といっても、理由は十人十色です。

 

想像力が乏しくて、ひとつひとつのことと表面的にしか関われず、

しっかりコミットメントすることができないというのも

理由のひとつ。

 

また、大人のかまい過ぎ、教え過ぎ、受動的な刺激の与え過ぎで、

飽きっぽく耐性がない性質になっている場合もあります。

 

それとは別に、頭の回転が速くて、素早く本質的なものを見抜いて、

「もうわかった!」となると、次々と「新しい何か」を求める子もいます。

 

◆くんの場合、遊んでいる内容に飽きて、次のおもちゃに行くのではなく、

遊んでいるうちに、「そうだ、こうしたらもっと面白そう!」とひらめいて、

次から次へとおもちゃを取りに行っている様子でした。

また、「どうしよう?」と考え込まなきゃいけない事態にぶつかることが面白いらしく、

「それを解決する方法を思いつくこと」と、「次のおもちゃを取ってこなくちゃ!」

が結びついているものですから、

どうにも脈絡のない遊び方になってしまうのでした。

 

こうした頭のなかが忙しくて、

自分の手に負えないほどもの物を相手にした挙句、

何をしていたのかさえわからなくなってしまうタイプの子らは

教室にも他に大勢います。

 

また、わたし自身もうちの子らも……。

おそらく遺伝が関わっているものでしょうから、わたしの父母や祖父母をたどっていっても

同様の気質と格闘しながら生きてきたのがよくわかります。

 

この性質をいい方向に活かせば、直観的で創造的で頭脳活動を好む気質を、

持ち前の集中力と実行力を使って何かを生み出すことに使っていけるわけですが、

でも一歩間違うと、

あれもこれもと手を出すうちに、自分でも何をしていたのかさえわからなくなって、

どれもこれも中途半端なまま自信を失っていくことにも

つながりがちです。

 

わたしはこの年まで自分の性質ときあってきた上でも、

わが子たちの育ちを見つめてきた上でも、

こうしたひらめき型の子への「枠組み」の大切さを強く実感しています。

 

↑写真はエレベーター遊びをする男の子。(記事と関連はありません)

 

いつもいつも一生懸命。無我夢中。

頭もしっかり使っている。

でもちょっと何かするたびに新しいことを思いついて、

次から次へと新しいことを手掛けていたとするとどうなるでしょう?

 

おまけに他人から習うのが苦手で、

正しい手順でコツコツやっていくのが嫌いだとしたら……?

 

いくらがんばってもがんばっても、

ちょっとしては新しいことを始めていたのでは、

毎回、毎回、1からのスタートしていることになり、

過去のがんばりがいっこうに活かされないのではないでしょうか。

 

おまけにそうしたスタート地点で、手順通りに基礎を身につけるより、

自分のひらめいたことを実行に移したいわけですから、

余計にたちが悪いのです。

 

といっても、こうした性質の子に、「ひとつのことをまじめに続けなさい」と

繰り返しの多い体系化された活動を押し付けたとしたら、

退屈のあまり、することなすこと大嫌いになったり、怠けたり、さらに落ち着きがなくなったり

しがちです。

 

なら、「枠組みを作る」というのは、どういうものなのかというと、

これはわたし流の考えなのですが、

次々とひらめくままに新しいことに取り組んだところで、

そうしたバラバラの取り組みが、ひとつのところでつながっていて

無駄にはならず、むしろあれこれすることで、

深みや豊かさが増すような活動をサポートする、ということです。

 

自由度が高く、応用が効いて、

常に新しいことをしていても、そのバラバラの活動がどれも

基礎技術や知識の蓄積に役立つような活動です。

 

それは何か、というと、

その子次第、その人次第で、それぞれ異なるはずです。

 

教室では、

「物作り(工作やブロック制作)」

「ゲーム類(ボードゲーム、カードゲーム)」

「ごっこ遊び」

「科学実験」

「読書」

の5つを大切にしていて、

ただそれをやらせるのではなく、きちんと「枠組み」としての機能が

果たせるように工夫しています。

 

物作りひとつとっても、直観が優れている子と感覚が優れている子では、

より子どもの潜在能力が伸びる活動は異なると感じています。

 

感覚が優れている子は、色や形の配置の仕方や仕上がりの美しさなどに

気をくばる上、

コツコツと同じ作業を続けるのを好むこともよくありますから、

最初にブロック制作から関わらせると、

手先が不器用な幼い間も、自分のイメージ通りの仕上がりになるため

頭を使って集中して取り組むようになる場合がよくあります。

質の良い積み木もこのタイプの子たちの

能力を引き出します。

とにかく素材そのものが、一定のサイズでたくさんあるということが、

数量やサイズに敏感で、物作りが数学的な感性を育むことと結び付きやすい

感覚が優れている子らを伸ばすのです。

また、ベタベタザラザラドロドロした素材のさまざまな感触と触れて遊ぶような工作から、

化学実験への興味に移行していく感覚タイプの子らもたくさんいます。

  

                           ↑感覚が優れている小2の子たちの作品。

 

一方、直観が優れている子の場合、仕上がりより何より、

ひらめくことと未知の可能性を追うこと、改良すること、想像力を使うことに

関心がありますから、

廃材や画用紙などを使った工作が向いています。

ブロックにしても、成長した後もデュプロブロックなどのように

手間がかからず大がかりな思いつきが実現できる素材が

このタイプの子の能力を伸ばすのです。

 

「枠組みを作る」には、子どもの活動をサポートする際の

大人がその子というのをよく理解していることと、

活動が含んでいる可能性の広がりに精通していることが

大切です。