「サークル活動をしているのですが、どうも行き詰まりを感じているので
アドバイスをいただきたいです」という相談をいただいて
活動の様子を見にうかがう機会があります。
するとひとりひとりの子からは能力の高さが感じ取れるのに、
それが場のなかで発揮され、大きく展開していかずに
潜在したままくすぶっているように感じることがあります。
一方で虹色教室でグループで活動していると、
知力や社会性の発達にハンディーを持っている子であっても
いつの間にか個性的で高い能力を人の輪のなかで
開花させていく姿を目の当たりにしています。
どこがどう違うのかと考えるうちに
ひとつハッと思い当たることがありました。
いろいろあるうち最も影響が大きいと思われるポイントは、
「親御さんがわが子ではない子の相手をしてあげているかどうか」
です。
その場の雰囲気が、
自分の子以外の子にも優しいまなざしや手間をかけてあげることができるような
ものかどうかにかかっているな、と思っているのです。
親御さんの目がわが子ばかりを追っているときに、
子どもはまるで昆虫の標本箱にピンで止められた昆虫のように
身体も頭も心も身動きできない状態になっています。
「ママ友同士」という閉鎖的な関係のなかでの「よその子」ではなく、
年上の子、年下の子、ハンディーを持っている子、ちょっと乱暴で気難しい子といった
さまざまな子たちと大人が、
気持ちと気持ち、言葉と言葉を通い合わせているかどうかと、
子どもの視野の広がりと発達の伸びの大きさは多いに関係していると
実感しているのです。
子どもはお母さんが台所仕事をすれば、
ままごとに関心を持ちますし、
お父さんが野球好きなら野球に興味を持ちますよね。
人間関係だってそれと同じような面があって、
身近なお母さんが自らよその子の相手をしていけば、
子どもはそれを真似て、お友だちに興味を持つし、
どのように関わっていけばいいか学びます。
よその子の名前を呼びかければ、自分もお友だちの名前を
呼んでみようと思います。
子どもたちは、子ども同士で遊びながら
さまざまなものを交換しています。
それは、おもちゃや手紙のような目に見えるものだけではありません。
「不思議だなぁ!」と思う好奇心。
「どうしてなぜだろう?」と理由を問う心。
「きっと~だからでしょ」と原因を探求する思い。
「こうじゃないかな?」と予測するということ。
そうした頭の使い方、感情のエネルギーの高め方のひとつひとつをお友だちからもらい
お友だちに与えているのです。
写真は、わたしが提案したビー玉を紙に貫通させる方法を
みんなで考えているところです。「われこそは」
と思う子が、自分のアイデアを試しています。
それに引き寄せられて、
前のめりになりながら、「こうしたらいいんじゃない?」「これはきっとこうなんだ」
と意見が飛び交っています。
その熱意に支えられて、
紙にビー玉を通す方法を考えることから、
ビー玉が自動的に紙の向こうに行って
後から戻ってくる仕組みを考えることに移っていってます。
次回に続きます。