虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「失敗は終わりではないということ」という記事を読んで

2019-02-04 20:42:13 | 日々思うこと 雑感

 

ゲド戦記の著者として有名なル・グウィンの「左ききの卒業式祝辞」

という文章を目にして、いろいろなことを考えさせられました。

 

誰もが一直線に成功を目指して、どのポジションについたか、何を獲得したか

で人の優劣を判断したり、人生の価値を品定めしたりするのは、

自分の持てるすべてで宝くじを買って、上位の当選を夢みて

生きるようなものなのかもしれません。

宝くじが当たらなかった時、手元に残ったくじをすべて

紙屑と化してしまいます。

 

でも実際の人生では、成功という当たりくじは、

親の期待やその時代の世間の見方が与えた幻想で、

個人的な生きる喜びを感じることや自分を活かせる場、

自分を高めていく機会は、はずれくじだと思っていたものの方に

あるのでは……とも思います。

 

「目をくらませる明かりの中ではなく

栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。」

というル・グウィンの言葉が心に響き、ふいに、

心理療法士のP・フェルッチのこんな言葉を思い出しました。


「(人生とは)試み、失敗、学習体験、そして成功などから成っている旅。

より大きな意味と気づきへの進行形の旅。あるいは旅になり得るもの。」

「人は偶然や、間違いや、思いがけないことからトランスパーソナル・セルフ

(生物的構造の中にある中核)を充分に実感することができません。

すべての注意を傾け、役立つものはすべて役立てる系統的な

アプローチによってのみ、実感することができるのです。」


P・フェルッチは、境界、執着、所有、競争、死への不安などの上に築かれる

わたしたちの通常の自己感覚に対して、

トランスパーソナル・セルフにある自己感覚は、

存在の純粋な気づきと「すべてのもの」との一体感に基づくものと説明しています。

 

ル・グウィンの「暗闇で生きてください」という言葉が、

何ついて語っていたのか、

想像するしかできませんが、わたしたちが「成功」のイメージを

フェルッチのいう通常の自己感覚の枠内で設定するなら、

ル・グウィンが語る暗闇とは

後者の「すべてのもの」との一体感に基づく自己感覚

が横たわっているところなのだろうと感じました。

 

 

暗闇といえば、まだ息子が小学生だった頃、息子の質問をきっかけに

こんな詩を書いたことがありました。

 

11歳の孤独

 

子どもたちと接していると、どの子にもいえることなのですが、

自分の生きている世界や自分自身について深く考えるようになる年がくると、

子ども時代の根拠のない万能感は失われていきます。

自分を客観視できるようになるほど、

特別でも完璧でもない地球上に数えきれないほどいる

ちっぽけな自分が感じられるようになるのです。

そうして、身ひとつで、あちこちにぶつかりながら歩いていくことしかできません。

 

でも、そんな小さな存在が、頭の中に広大な宇宙を取り込んで思考していくこと、

混沌から自然に立ち現れてくる秩序について気づき、夢想すること、

自分の内奥を探っていく孤独な仕事に取り組みだす姿に触れると、

人の不思議を思います。

人の中核にあるもの、能力や体験が生じてくる源を垣間見たような心地になります。

 

話が脱線しますが、トランスパーソナル・セルフについての話題が出たついでに、

P・フェルッチが教育について述べている言葉をここに書いておこうと

思います。(一部を要約して引用しています)

ここに書かれている教育について思う時、ただ、他者に勝利してよいポジションを

勝ち取ることを教育のなかで後押ししていくことのむなしさに気づきます。

そこで自分の意志とは関係なく煽られる子どもたちはなおさらです。

成績で評価できるテストに合わせて、子どもの資質を価値づけして、

伸ばしたり、無視したりしている現状をどうとらえるべきか、

ひとりひとりの人の個性や才能を育んでいくには、どのような考え方を土台に据え

る必要があるのか、

多くの人が、教育について、じっくりと考えをめぐらせていくことを願います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自然に秩序が生まれる現象のなかに、

人の心にもともとある混沌から現れる一貫性と

思いもよらない調和が生まれることの類似性を見ることができます。

直観力、創造性、美しいものを見る喜び、自然や宇宙との一体感といったものは、

フロイト博士の古い人格構造や不安な抑圧よりむしろ

新しい科学である幾何学によって理解することができます。

自分のいのちにも他者のいのちにもあるトランスパーソナル・セルフを

忘れることは、限りない問題と苦悩する結果になり、

病的ないつわりの存在を生み出す結果として導かれます。

自分自身やほかの人の、知性、愛、創造性などのすばらしい能力を否定したり、

無視したり、ばかにすること、またそのような姿勢が、制度、

教育システム、人間関係、労働条件や生活条件など、

社会全体の土台となるのを許してしまうこと……

これは、不幸と不調和と不健康を生みだすだけです。

ですから、トランスパーソナル・セルフが、あらゆる分野、とりわけすべての成長、

健康、幸せに特に関連ある分野で認められることが大切で、まず第一に、

教育の分野に当てはまります。

子どもや生徒のなかにトランスパーソナル・セルフの存在を認めることは、

その人のなかの価値あるすべてのものにいのちを与えることを意味します。

本当の意味での教育とは、人がトランスパーソナルセルフへ

の道を歩むのを手助けすることなのです。

発明の才能、共感、勇気、集中、美の鑑賞、直観力、細部への注意、

 分析的な考え方や統合的な考え方、

身体を通じて喜びを呼び覚ます能力、目に見えない世界への

気づきと意識の広がり、苦痛への建設的な態度など、

能力や体験はすべて、認知し、刺激することが可能なものです。

このような教育は、もはや単に情報を伝えるだけのものではなく、

「ユニバーサル(普遍的)な人間」を呼び起こすものです。


      『人間性の最高表現』P・フェルッチ 誠信書房 より引用

       (一部、要約したり省略したりしています)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 これまで話題から少し逸れますが、

娘と息子の姿を書いた詩と

共感した記事があったので、リンクしておきます。

ある日の娘 ある日の息子

不登校の子供が話してくれたこと。

「みんなと一緒がいい」「このままがいい」の本当の意味。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。