虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「子どものころにどんなふうに育てられたかが、その後の人生を決めている」という言葉 3

2018-08-10 11:57:51 | 子育て しつけ

過去記事です。

 

小1の子たちの作品。「カップ式のジュースの自動販売機」

3人で協力して作っていました。

 

『学びの物語の保育実践』 (大宮勇雄 ひとなる書房)

という著書で次のような

興味深い話を目にしました。

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アメリカのキャロル・ドウェックが「学びに対する内発的な意欲」の姿を明らかにする

ためにこんな実験をしました。

4歳児に4題のパズルを解かせ、最初の3題は

4歳児には難しい全員解答不能となるものにし、

最後の1問は全員が解ける結果になる

ようにしたそうです。

 

それが終了した後で、やったパズルのなかでどれか一題を自由に選んで

もう一度解答するように促します。

すると、解けなかったパズルを選ぶ子と

全員が解けたパズルを選んだ子にほぼ半々に分かれる結果になりました。

 

次にそれぞれの子になぜそのパズルを選んだのか理由をたずねました。

 

すでに解答できたパズルを選んだ子は、「簡単」「できるから」「失敗しないから」といい、

むずかしいパズルを選んだ子らは「くやしい」「こっちの方がおもしろい」「時間があれば今度はできるはず」

などと答えたのだとか。

 

こうした選び方には困難な課題や解決法がわからない事態に対する

各人の立ち向かい方の傾向が現れているとドウェックは言います。

 

簡単なパズルを選んだ子どもの場合は、「正答できるという結果」を求めて

行動しているので、こうした立ち向かい方を「結果志向」と名づけています。

 

他方、後者の子らは困難や不確かなことに挑戦することそれ自体が

おもしろいこと、価値あることと考えています。

人間は一段難しいことにチャレンジするなかで、はじめてさまざまなことを学んでいくものですから、

このような子らは知らないうちに「学びと成長」に向けて行動しようとする

能動性が育っているといえます。

この立ち向かい方を「学び志向」と名づけます。

このふたつの志向はだれしも持っているでしょうし、どちらも必要でしょう。

 

しかし、学び成長する機会、すなわち難題や新しい事態に直面したときに

「結果」と「チャレンジすること」のどちらに重きをおいて行動をきめるかは個人差があり、

それが普段の行動に影響を与えているようです。

ドウェックが、難しい問題を解くときにどんな気持ちか話しながらやってもらう実験では、

結果志向の子は「とても解けそうもない」と悲観的な見通しを口にすることが多く、

学び志向の子は「きっと解けるよ」と楽観的な見通しを持っていたそうです。

                  『学びの物語の保育実践』 (大宮勇雄 ひとなる書房)の一部を少し短くさせていただいて引用しています。

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「結果志向」は、大人が子どもを褒めたり、失敗を責めたりする

「評価的対応」をすることから生じるようです。

 

「結果志向」の子は、友達が小さな失敗をすると、強く非難し、

「学び志向」の子は、友達の失敗を目にすると、その原因と解決法をその子と

いっしょに考える行動を選ぶのだとか。

 

その部分を読んで、虹色教室でグループレッスンを受けている子らは

「圧倒的に学び志向の子らが多いな」とも感じました。

 

行き当たりばったりで適当にやってきた自分の子育てを振り返ると、ひとつひとつの選択は

よかったのか悪かったのかいまだに答えがでないものがほとんどです。

その都度、とりあえず親として悩んだり迷ったりしたものの、

甘いのかゆるいのか、

結局全てにおいて、子ども任せ、本人の心が求めるものに

譲ることになっていました。

 

そうしてみて感じるのは、子どもを大人の評価に染めずに

本人の選択や判断を信頼してさえいれば、

「学びと成長」に向けて行動しようとする

能動性だけは飛びぬけてしっかり育ってくるということです。

「学び志向」とは、子どもが本来持っている自然なあり方なのだろうな、と思います。

 

『賢者の石』のなかでコリン・ウィルソンがこんなことをおっしゃっています。

 

「進化しようとする人だけが進化するということは真実なのである。」

「人間を自由ならしめているのは、人間を上へ上へと駆りたて、したがって、人間が選択をせまられたときに

理由を提供してくれる進化要求にほかならない。」

 

子どもの成長過程では、冒険心がものすごく高まって、

「困難や不確かなことに挑戦することそれ自体がおもしろいこと、価値あること」 

という思いが暴走してしまうような時期もあります。

以前、書いた『子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの?』という記事で

親としての覚悟を突きつけられた綱渡りでもするような心地で乗り越えた出来事を書いています。

 

この記事を読んだことがないという方は

どうぞ読んでくださいね。

 

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ずいぶん前になるけれど、「大学受験」を中心とする日本の教育システムの問題を指摘して、

「大学の格差を無くして受験を廃止すると、日本の教育問題の多くが解決する」
とおっしゃっている方と、議論をしたことがあります。
当時も今も、私は賛成でもなく反対でもなくどっちつかずのままです。

この教育システムの問題は身にしみてわかるし、
確かに、日本の学校が入りやすく出にくい大学になって、
子ども時代を塾通いと受験の準備に費やしてしまう子たちが減るのは魅力的ではあります。

でも現実には、生徒が集まらなかった大学が消えたり、
大学を卒業できずに困る人がたくさん出たり、一時期の混乱ではすみそうもないので、経済的な面で実現は難しい気がするのです。

わが家は、
「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 
そんなはずない。早い時期から受験準備に明け暮れて、
友だち付き合いや読書や
やりたいことが十分できないなんて、もっての他!」と、

どんなに周囲が受験に過熱していても、親子ともどもマイペースに過してきました。

うちの子たちは、受験テクニックとか受験対策なんてそっちのけで、
「目の前に山があるから登る。どうせ登るなら高い山がいい」という感覚で、
受験を体験してきました。

その結果、子どもたちの成長ぶりを見て、どの受験に対しても、
「合格しようがしまいが、やってよかった!受験勉強は苦しい面や、頭をぶつけることも多かったけど、がんばったなりの成果は得た。」という感想を抱きました。

だったら受験賛成派では?

と思った方もいますよね。

それが、やっぱり今も、賛成か反対かどっちつかずなのです。
というのも、
「受験が良い体験になった!子どもが成長した!」と、心底思えるのも、
わが家が、変わり者家庭だから……

つまり受験生のいる家庭とすると、かなりの小数派の『適当で楽天的で自由な』受験生活をさせてきたからとも言えるからなのです。

青色発光ダイオードの発明発見で世界中にその名を知られるカルフォルニア大学サンタバーバラ校の教授の中村修二氏は、
日本再生の条件で一番ネックは「大学受験」で、これを廃止すべきであるとおっしゃっています。

日本の大学受験は、「超難関ウルトラクイズ」そのもので、完全丸暗記の詰め込み勉強が不可欠。そんな将来に役に立た
ないクイズに合格するために、最も夢が多く、頭が柔軟な貴重な中学、高校時代を、無駄に過ごしていると指摘し、
このままでは世界に負けてしまうと危惧しているのです。

中村修二氏のおっしゃっていること、とてもよくわかるのです。

うちの子たちは、中学でも高校でも、呆れるほど無駄に見える時間をいっぱい過していて、旅行に行ったり、友だちと集まってゲーム制作したり、音楽に没頭したり、姉弟で麻雀に熱中したり、読書に熱中したり、絵ばかり描いていたり、料理したり、討論したり、映画を見たり、バイトしたり……そんな態度で難関校を目指すなんて、ふざけているの? と思われるような学生生活を続けてきました。
(本人たちにすると、受験勉強は受験勉強で全力を注ぎ込んでたので、
周囲を驚かすほど偏差値を急上昇させることはできたのですが……。)

その時期その時期は、「明日試験でしょ?」とヒヤヒヤしているのですが、
後になって振り返ると、勉強じゃなくてそういう無駄の中でこそ、いろんなことに感動して、自分でやってみて、自分がどんな人間か、何がしたいのかを理解しているのです。
人と人の間で揉まれて、精神的に大きく成長しているのです。
そうして、自分が将来やりたい夢をつかみ、それをやりぬくための技術やパワーを溜めているのがわかったのです。

子どもたちと話していると、それぞれが自分の人生を真剣に生きようとしている独立したひとりの人へと、この時期の体験を通じて成長しているのが
わかるのです。

でも、だからこの時期は受験なんかなくして、自由に青春を謳歌させた方がいいとも思えないのは、
娘にしても、息子にしても、
自分の計画する力や知力や根気や、だめだったとき持ち直す力を総動員して使っていかなくてはならない『受験』という
厚い壁は、
「社会に出る前のこの時期、経験しておいて本当によかった」と思えるものでもあったからです。

何度も崖から突き落とされて、自力で這い上がっていくような経験が、
外の世界で多少のことにへこたれずに、
自分の夢を追っていくためのベースとなってくれるはず……と、
受験の失敗も、それなりにありがたがってもいるのです。
(合格は、なおありがたいですけど)

ここまで書いても、受験に対する思いは、スパッとひとことで表しにくいのですが、目の前の受験に親の方がのめりこみそうなときは、
「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの?」
と自分に問いかけています。

↓過去記事から、息子の中学入試体験と、受験を通して身についたものについて
紹介させていただきます。
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わが家の事情で何ですが……
子どもが幼い頃は、経済的に何の悩みもなくのほほんと生活していたのですが、バブル崩壊のあおりを受けて、ダンナがリストラにあい、
その後は、自営業で、食べていくのがやっとの暮らしをしていました。

そこに6年生に進級しようという息子の「私立中学に行きたい」があったもんですから、まさに晴天の霹靂で、
「お母さんは入学金を何とかしてあげるから、あなたは勉強を自分で何とかしなさい」と、本屋に連れて行って、受験したいという学校の赤本……選ばせると灘中の赤本だったのですが……を購入して、後は本人任せにするしかなかったのです。
それで、私は郵便局のパートで、晩の10時をまわって帰宅する生活がはじまり、
息子はというと、それまで学習習慣がないもんですから、
やったりやらなかったりではあるものの、灘中の赤本と格闘していました。

それまで私立の勉強をしたことがない子にいきなり灘中の赤本は無茶なようですが、
当時はあまりに中学入試の知識がなかったので、
「まずどういう受験問題が出ているか研究して、
それから必要な参考書なり問題集なりを探しに行こう」という順序で
入試と関わるしか、
何から手をつけたらよいのか想像もできなかったのです。

それと私にとって一番興味があったのは、受験に合格するかどうかではなく、
初めて自分からこういうことがしてみたい!と言い出した息子が、

途中で投げ出さずに、どこまでがんばれるのかな? ということと、

どんな順序で、どんな風に勉強していくのかな? ということだったんです。

自分なりに方法を模索するのか、何か私に頼んでくるのか、息子の出方を見る前に、私が先まわりしてレールを敷くのはおかしな気もしたので、
少し様子を見ることにしたのです。


灘中の赤本は、最初、あまりに難しくて親の私にもちんぷんかんぷんでした。
どれを見ても公立の高校入試の問題よりもはるかに難解でした。
ただ最初に赤本を買ったおかげで、
市販の中学入試用の問題集を何冊仕上げたところで、それだけでは
これらの問題を解けそうにないことだけはわかりました。

うちの息子というのは、「難しさ」に魅了される子です。
勉強自体は、6年生になるそのときまで、きちんとしたことがなかったものの、
物を作るときは、それを作ることは不可能でしょう……というものに惹かれて、紙1枚で何がなんでも作りたいものを作ってしまおうとするし、
パソコンでもテレビゲームでも友だちとの遊びでも、どこから手をつけたらよいのかわからないような
難しさを感じさせる場面でこそ、燃えるタイプなのです。

それで、受験がしたいというので本屋に連れて行ったときも、
何冊か過去問に目を通させると、
これはどれもどうやったら解けるのか見当もつかないないな……のオンパレード
だった灘中の赤本にすっかりのぼせてしまって、
息子の頭の中は、
受験するのはここ以外考えられない~というモードになってしまったのです。

そんな適当な理由でスタートした受験勉強ですが、
小学校に受験校に送るための資料をお願いしに行くと、
そんな無茶な……それはやめた方がいい……と、強く反対され、
しまいには算数専門の教師が怒り出す始末でした。
また、息子が軽い気持ちで友だちに受験することを話したため、
子どもを有名な受験塾に通わしている親が、そんな受験がどれほど
とんでもないことか……
まず自分の子の通っている塾で何位くらいにいるのか確認しなさいよ……
と外部の子用のテストの案内を持ってきました。

息子はといえば、「不可能」とか「難しい」とか「無理」とかいう言葉が無性に好きで、それに強烈にそそられるタイプですから、
そうして外から圧力がかかるほど、
火に油を注ぐのと同じで、
「絶対、灘中に行くんだ。この本全部できるようになるよ」と言って、
ひとりで過去問に目を通していました。

その頃は、中学入試というのがどういうものか、何が出るのか、何から手をつけていいものかさっぱりわからなかったため、
息子は公式も何も知らない状態で、灘の過去問を
問題の文面の情報から導けそうなものを自己流に膨らませて、
何とか答えまで持ち込もうと四苦八苦していました。
そうするうちに、シンプルに考えていけば解けるタイプの問題は
自力で答えが出せるし、
難しいものも答えを見れば、納得できるという状態にはなってきました。

そのあたりで、再度、本屋に行くと、
日能研やサピックスの出している問題集や、
『中学への算数』という雑誌
などを選んでいました。

私も、そうした問題に目を通すうち、すっかり中学入試問題の面白さに
心を奪われて……今の虹色教室も
その時期火がついた「私の中学入試問題オタク」な趣味の延長線上にある
のですが、
その年はとにかく掛け持ちでいくつもバイトやパートをしているので、
時間に追われていました。
ですから、外で遊びほうけてたり、テレビゲーム三昧したりしながらも、
何とか飽きることなく続けている息子の受験勉強の進行を
傍らからチラチラ覗き見るだけでした。
灘中の赤本と格闘していた息子が、
過去問を解くだけでは、らちが明かないので、
参考書や問題集を何冊か買ってこなくちゃ……と言い出したときには、

ざっと自分で数年分の受験問題に目を通していたため、

どのような問題が、どのような配分で出題されているのか、
確実に点に結びつきそうな分野は何か、
何をどれくらいの量、訓練したら良さそうか、
自分の強みがいかせそうな部分はどこかといったことを、

全体を俯瞰した位置から見渡せていたようです。

そのおかげで、最も得点に結びつきそうで、自分の強みをいかせそうなものの
ランキングが
自分のイメージの世界にできていたようです。

パートから帰宅後、息子の勉強を見てあげようとは思うものの、
灘中の問題は、当時の私には「何を手がかりとしたらよいのかさっぱり~」なものも多くて、
結局、息子からの勉強についての分析や経過の報告に
耳を傾けるだけでした。

息子は、最初に過去問で全体像をつかんでいたので、
最重要課題から順番に手をつけていってました。
こうした全体像を先につかんだり、自分にとって重要なことから、手をつけていく習慣は、
ボードゲームや工作など、好きな遊びに熱中するなかで、
息子が身体で覚えた勘です。
おかげで、短時間ながら、
着実に力をついてはいました。

ネックは時間。
計算が遅いし、ミスが多いところは一朝一夕には
なおらず、時間内に解ききることが入試の際まで、一番の課題となっていました。
実際、灘中の受験準備に一年ではあまりに厳しく、
「最低ラインギリギリだろうけど……
けっこう良い線までいってるんじゃないかな?
当日調子が良ければいけるかも?」
と期待したのもむなしく、結果は不合格。

ついでに受けた中高一貫校は、風邪による腹痛で、試験を途中までしか受けられなかったものの、合格していました。
この私学も関西ではとても人気が高くて、近辺の子たちも、ここの学校を目指して早くから受験塾に通い出すのです。
ですから、ラッキーと言えば、ラッキーで、
息子の受験計画の進め方は、まずまずだったんじゃないかな?とも
思われました。

最初から、合格できそうな学校を狙わず、自分の力を超えたチャレンジをした
ことで、不合格の痛手は負ったものの良いこともありました。
中学に入学してから、姉が数検を受ける際、
息子も同じ準2級(高1レベル)受けたがって、
2週間ほど姉の教科書を借りて勉強しただけで、
1次の計算技能、2次の数理技能のどちらも合格していたのです。
1年間、自分なりに、もがきながらがんばった受験勉強は、
息子の中に何かを残してくれていたようなのです。

数学への感性はもちろんなのですが、
「こういう結果を得たい」と思ったときに、

「結論から」「全体から」「単純に」考えて取り掛かって、
短期間にどうやって自分の思うような結果を導き出すか、
うまく段取りして、やり遂げる力が
受験を通して身についたようなのです。

 

喉元過ぎると熱さを忘れるものですが、 
息子の受験では高校に上るときも、かなり苦しい受験を体験しました。
息子の場合、灘には落ちたものの地元の中高一貫校に通っていたので、
入試なしで自動的に高校に上れることになっていました。
そこの高校の偏差値は70ありますし(高校から入るのは難しい学校なのです)、先生方はみな親切で教育熱心でした。それに、快活で気持ちの優しい友だちに囲まれて全てが順風満帆でしたから、
親の私は、学費の捻出でこそ悩みはしましたが、
まさかこのタイミングで受験に遭遇するとは思ってもみませんでした。

それは中3の夏のこと。
ある日、息子が意気揚々と学校から帰ってきました。
何でも、学校の先生から、すごくよい情報を聞いてきたというのです。
「うちは中高一貫校だから、高校入試は無理ってあきらめていたんだけど、
できるらしいんだ。今から半年くらいしかないけど、がんばって勉強するから、もう一度、灘を受けさせてよ」
唐突にそう切り出されて、
驚いたものの反対する理由もないので、
「それなら、がんばりなさい」とだけ伝えました。
当時、息子がいきなり受験を決意した理由は、
授業時間が長くて宿題が多い学校のシステムに、「過保護すぎる!もっと自由な校風の学校に移りたい」という不満を抱いていたことと、
単に、自分の全力をぶつけるチャレンジがしてみたいと思っていたからのようです。
確かにこの学校、宿題の量が半端じゃなかったのですが、
授業は長いし、通学に時間はかかるし、大量の宿題を済ませてから、高校受験の勉強するのは、あまりにも無茶な話のようにも見えました。
学校の定期考査や小テストの勉強もさぼるわけにはいきません。

とにかく勉強したくても時間がないのです。
それでも、寸暇を惜しんで猛勉強する息子の姿を見るうちに、
私は、どこまでがんばれるのかしっかり見届けたいという気持ちになっていました。

しばらくして、息子が先生から聞いたという情報は、ひと昔前のことか他校のことで、実際には、息子の通う中高一貫校は外部の受験をいっさい認めていなないことがわかりました。

自分の勘違いがわかった後も、いったんお尻に火がついて受験勉強に燃え出した息子は、何が何でも受験したいからと先生方を説得しはじめました。

先生方は、どんなことがあってもそれは許されないからと息子を説得し続けていました。
親の私も何度も学校に出向いて話し合いが続きました。
最初は、頭から反対していたダンナは、
どんな状況になっても必死で勉強し続ける息子の姿を見るうちに、しまいには折れていました。

そして、
「どうしても他校を受験したいというのであれば、いったんうちの学校を自主退学して、公立に転校して、そこから受験しなおしてください。
でも、うちの学校は、内申点はつけることができないので、転校先の中学でつけてもらってください」と告げられました。
文で書くと冷たく見えるのですが、この学校の先生はかなり生徒思いで、
親身になって息子の相談に乗り、本当に受験が決まると、心から応援してくれていました。

そうして、中高一貫校を自主退学して、地元の公立中にいったん編入しました。

「中3から、荒れていると噂されている地元の公立中に編入して大丈夫なんだろうか?」と気を揉みましたが、
息子は平気で、久ぶりに会う小学校のときの友だちとの再会を楽しんでいました。

公立に戻るのは、思った以上に大変で、公立中の教頭から……そんなわがままは許されないし、子どもの人生が無茶苦茶になる、
内申点はいっさいあげられないから、もしその灘がダメだったときは、かなり偏差値の低い高校を受験してもらう!
と親の私がガミガミ叱られ通しでした。

私の方も、息子の言うままにこんな無茶な受験をさせて、みんなに迷惑をかけて、これは甘やかしだろうか?
子どもの意志を尊重するといったって、もし失敗したら息子のこれからの人生を間違った方向に進ませるかもしれない……。

わがままとして息子の決意を押さえつけた方がいいのか、それとも人生の急所としてしっかり関わった方がいいのか……?
悩み苦しみました。

「受けてもいいよ」と言った時点で、
親としては、その結果に責任を持つことを覚悟しました。
苦しいときは腹をすえて、乗り越えようと考えていました。
でも実際には、これほどまでに覚悟が必要だったとは思いもしなかったし、
困難が連続して降りかかってきたときは、振り返らずにただまっすぐ進むしかありませんでした。

とにかく勉強に全力投球して臨んだ受験ですが、灘高も落ちてしまいました。
本気で受験勉強に励んでいたので、安穏と中高一貫校で過していたときより何倍も学力はついていたのですが、運は別物です。
中途の編入で内申点がゼロになるからと、学校からは偏差値が4、50の公立校を勧められました。
「それならそれで、その学校に通って独学で京大受験(息子は京大の自由な校風に憧れているのです)をするよ」と言っていた息子ですが、
運良く後期入試で、
以前通っていた中高一貫校と同レベルの学校の特進クラスに入学することができました。このときは、本当に救われた気持でした。

この受験ばかりは、親の私も大いに勉強になりました。

「親の選択で子どもがどんな困難に遭遇しても、
そのとき、誰かに責任転嫁したり、子どもを責めたり、
弱気になったり、絶望したりせずに、
しっかり腹をすえて、その現実にぶつかっていくなら、
結果がどうなっても必ず子どもの成長となる」と、身を持って知ったのです。

自分の受験を振り返って、息子はこんな言葉をつぶやきました。
「中学の友だちと離れ離れになったから、その大切さがわかったんだ。離れていても、ずっと親しい友だちでいれることもわかったし。
それに、こっちの学校でできた友だちも、すごく気が合うから、ふたつの学校に仲の良い友だちがいるのはうれしいよ。
あっちの中学は、宿題が多いといったって、先生たちはとっても甘くって、生徒たちが好きでしょうがないんだ。勉強法はぼくには合わなかったけど、中学は大好きだったよ。いつもとても大事にされていたからさ、優しい良い先生ばかりだよ。ダライ・ラマにも会えたし。(ダライ・ラマは理事長と親しいそうで、お忍びで中学に見えたことがあったのです。)
今の学校はかなりシビアだからね。
あそこにずっといたら、友だちとワイワイするのが楽しくて、いつまでも本気を出さずに甘えていたかもしれないから、やっぱり受験して良かったと思うんだ。ぼくは、どっちの学校も経験できて本当に良かった。
お父さんとお母さんには、ずいぶんお金を使わせちゃったから、がんばって働いてちゃんと返すよ。
ぼくは社会に出たら、中途半端では終わらないよ。」

めでたしめでたし……と思っている間に大学受験なので、子育てって、息つく暇がありません。
まぁ「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? そんなはずない……しっかり自分の人生と向き合って生きていく子に育てたらそれで十分」と、自分で自分に言い聞かせています。

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