虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

どうして現代の子育てにはこんなにも不安が生じるのでしょう?

2015-01-24 22:20:33 | 日々思うこと 雑感
ずいぶん前の記事ですが、最近よく読まれているようなので、紹介させていただきます。
昔の親たちは、
現代のように教育から幼稚園選びから子どもの服選びにいたるまで、
熱心だったわけでも、上手だったわけでもありませんが、
あんまり不安も抱かずにそこそこに子育てしていました。

やんちゃでやんちゃで、虫やかえるを次々殺したり、
勉強もせずにけんかばっかりしているような子も
男の子はどの子もそんなもの~と見過ごしていれば、
立派な大人になって、ちゃんと働いているもの……
その程度の子育てスタイル、子育て観で十分、世間に通用していましたし、
成功もものにできました。

何で昔の人はそんなにも大らかに子育てできたのでしょう。

その理由のひとつは、子どもを何のイメージに重ねていたか?に
あるように思えます。
農業や牧畜が主な仕事だった時代は、
『生命あるもの』『変化するもの』の育ち方に、
子どもを重ねて見れたのだと思います。

小さな竹のこが、ある時期が来れば人間の背丈を越えて、
大きく成長することを知っていれば、
毎日竹の子が何cm何mmか?と測っては、
根腐れするほど肥料や水をかけるのがどれほどバカバカしいか検討がつきます。

いくら良いとこ取りでいろいろ取り入れたらいいといったって、
パン種を膨らます前にちょっとでも焼き釜に放り込んでしまえば、
問題があることくらいわかります。

物にはタイミングや時期があること、たとえ良いこと良いものでも、
そうしたタイミングが狂うと、とんでもない問題につながること。
自然の動植物に近い子どもは、あるがまま、その自然な成長を信じることが
一番なのだ。

と昔の人は体験的に知っていたのでしょう。

なら今の子育ては、何のうえに子どもの姿を重ねているのでしょう?

私には、買い物で手に入る『商品』に子どもがイメージされているように感じてなりません。完全装備でいろんなアイテムつきで売られている『お子ちゃまロボット』です。

親同士、公園や習いごとの場や幼稚園や学校で、
自分のおもちゃを披露し合い、
新たに自分が付け加えたワザやら、おしゃれアイテムやバイリンガルやら
素早い計算といった付加価値を見せ合いたい、自慢しあいたい、
自分たちの目の前で動かしてみて動作確認がしたい、新しくアイテムを加えて
満足したいそんな思いが渦巻いているように見えるのです。

ですから、親たちのまなざしの中で、
子どもはそれぞれの個性を持っていて、自分のペースで、何が自分に必要か、
何を自分の願いとしようか……とたくさんたくさんの失敗と挫折感、
思うようにならない現実の中で自分でそれらを発見し
たくましく成長していく『生命あるもの』のひとつではありません。

たとえ相手が赤ちゃんでも、園児でも、今、目の前で、
完全に自分が思い描く子どもの姿通りの動作確認ができないんだったら、
不良品だわ、返品したいわ、絶望的だわ、とんでもないものを買っちゃった……

という気分に落ち込んでしまいます。

どの子も天才に変えます!なんて謳っている工場があるのなら、
心なんて、ばらばらになってもいいから、放り込んで何とかしてもらいたい!
と必死に考えてしまいます。
だって『お子ちゃまロボット』は、みんなからすごい!すばらしい!と
賞賛されるためにあるのですから、心なんて必要ないのです。
行為あるのみ、動けばOKです。
 
 


それならば『お子ちゃまロボット』である現代の子どもが、
一番望んでいる『親からもらいたいまなざし』というのは
どういうものなのでしょう?

『ピノキオ』を「人間の子ども」に変えた魔法のように
『お子ちゃまロボット』を、「自分の喜びや願望や意志や
意欲を持った普通の人間の子ども」に変える魔法って
あるのでしょうか?

子どもが望んでるのはこれじゃない? って、私が思うのは、

「たとえ、世界中の人があなたにダメ出しをしたって、
お母さんの目に映っているのは、この世にたった一人しかいない
誰と交換することもできない 比べることなんてできない
すばらしいあなたよ。
だれかがあなたに嫌なことを言ったって、
お母さんにはあなたの欠点も足りない部分も愛しく感じているわ」
 
というまなざしです。

子育ての不安をなくすには、親ばかになるのが一番なのでしょうが、
今やこの自称親ばかの方々も、
子どもの将来を案じて不安でいっぱいです。

親ばかって、子どもを自分の自慢材料にすることでも、
着飾ることでも、贅沢させることでもないはず……。

真の親ばかは、
現代、子どもたちに注がれ続ける
検品作業でもするようなたくさんの大人の視線を跳ね返して、

親はその子どもの唯一無二のたったひとりずつの
男親、女親として、

『子どもがあるがままに存在するだけで
どれほどうれしく幸福を感じているか』
『親の目の中には子どもがどれほど完璧ですばらしいものとして
映っているか』をわが子に伝えられる方々のことだと思うのですよ。

そうして、
欠点をなおしたり、足りない部分を補ったりする仕事は、
子ども自身が、自分でさまざまな経験をする中で欠如感を
味わって、直していく決意をし、努力していくのにまかせ
られる方々なのだと思います。

そんなふうに親が真の親ばかになれたなら、

いつの時代になっても、
子育ては気楽で楽しく、
最後には親にも子にも成功が約束されているものになるのでしょう。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-02-05 12:14:53
人間は(子育ても)自然の一部、タケノコの例え、とても良かったです。忘れないでいよう。と思います。ありがとうございました。
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