これは、まだ息子が受験生だった頃に交わした会話の記録です。
今、大学生になった息子は複雑系や人工知能の世界や
コミュニュケーションのデザインといったものにすっかり魅せられて、
この会話をした数年前とはずいぶん異なる進路を思い描くようになっています。
これからどんな道を歩むのかまだわからないけれど、
過去の会話を振り返ると、子どもの日々は、いつ何時も、どの瞬間も
かけがえのないものだと感じます。悩みを抱えている時も、挫折を味わっている時も。
これからどのの方角に進もうと、目標を達成するのか社会的に成功するのかに関わらず……。
わが子が幼い頃や小学生時代、
いっしょに交わす会話が面白くてよく記録に取ったものでした(娘の場合、
子育てマンガまで描きました)。
それが子どもが成長するにつれ、学校、通学、趣味、友だちとのつきあい、バイト……
と親より慌ただしい生活をするようになって、
顔を合わせて話をする時間が激減していました。
それが、受験生になった息子が学校が休みの日も
遊びに行かずに家で勉強するようになって、勉強に疲れると気分転換に
家族としゃべる機会が増えて……。
そうするうちに、自分の中にむくむくと「子どもとの会話を記録しておきたい」
という思いが復活してきました。
「なぜ?」と問われたら困るのですが、カメラ好きの方が わが子の姿を写真に
残しておこうとするのと近いものだと思います。
そのため虹色教室の日誌代わりに続けてきたこのブログは、以前より私的なものに
変化しつつあります。
自分にために書いているやたら長ったらしい記事も増えましたが、
面倒な方はどうか飛ばし読みしてくださいね~。
今後も教室でのレッスン風景や教え方の記事も、書いていきます♪
どうぞよろしくお願いします。
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先日、進路について悩む息子から相談を受けました。
進路といっても、大学や学部選びはもう自分の中で決まっているようで、
迷っているのは将来の仕事に向けて これから何を学んでいくべきか、
就職する会社はどのような職種から選んでいけばいいのかといったことでした。
途中で現われたダンナが「先のこと考えて御託並べてないで、まずしっかり勉強しろ!」
と雷を落とし、
息子が「受験勉強はしてるさ。でも闇雲に勉強するだけでは、大学卒業時にそこから
4,5年かかる勉強をスタートすることになって、出遅れるよ。ビル・ゲイツが
成功したような まだネット社会が未完成だった時代じゃないんだからさ」と
言い返すシーンもありました。
夕食後に3時間近く話しあって、最後には、「話をしてみてよかったよ。
おかげで行きたい方向がはっきり見えてきた」と言われて胸が熱くなりました。
息子の進路について相談に乗っているつもりが、私自身の進路というか……
これから自分が歩んでいく方向性のようなものを考えるきっかけにもなった会話でした。
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息子
「最近、ただIT関連の仕事がしたいと漠然と考えて、大学で情報工学を学ぶだけじゃ、
本当にやりたい仕事からずれていくような気がしてさ。
ITといったって、今はひとつひとつの分野が専門的に進化しているから、
それぞれの先端じゃ互換性はないはずだよ。
だからといって念のためにと あれこれつまみ食いするように学ぶんじゃ
しっかり学べるところを、2分の1、3分の1ずつしか学べなくなってしまう。
今、一番迷っているのは、ソフトを作る力を蓄えるか、ハード面で強くなっておくかと
いうことなんだ。
もしこれまでのネットのあり方を根源から変えるようなものを作りたいとすれば、
大学を卒業しても、そこから研究生活に入ってく形になる。
それがぼくが本当にやりたいことなのか、自分にあっていることなのか迷っているんだ」
私
「今後、ネットの世界は飽和状態に向かうと考えているんでしょ。
ただプログラミングを学ぶだけでは、いずれ、どんなに質の良いものを作り出しても、
競争の中で消えていくだけかもしれないわ。
だったら、時間や手間がかかってもハードそのものを扱う勉強をした方がいいんじゃないの?」
息子 「勉強や研究が嫌なわけじゃないんだ。」
私 「早く働きたいの?」
息子 「それもあるけど、それより自分が本当に創りだしたいものは何なのか、
そう考えていくと、今 立ち止まってじっくり考えておかないと、
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、
自分自身を見失いそうな気がしているんだ。
それで、ぼくの、ぼくだけの特技ってなんだろう?
将来の仕事の決め手になるような他のみんなより誇れるところって何だろうって
煮詰めていくとね、
『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』って
ところだって思い当たってさ。
じゃあ、そんな自分が活かせる仕事、いきいきと働き続けることができる仕事は何だろう
……それとぼくが創りたいものの本質は何だろうって考えていたんだ」
「『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』能力って、
単にひねくれ者ってわけじゃなくて、多くの人がいっせいに左に向かっているときって、
その時点で もう本来の左に進むべき目的が見失われているときがあって、
みんな薄々、それには気づいてるんだけど、動きが取れなくなっていることがあるよね。
そんなときにぼくは潜在的にそこにある大切そうなものを汲み取って、
ひとりだけでも右に方向転換することができるってことだよ。
そういう能力が将来、活かせるかもしれないって気づいたのは、
プログラミングを自分で学んでいたときなんだ。
学べば学ぶほど、より優れた技術、より精巧な動きっていうのを、
無意識に求める気持ちに呑まれていくんだけど、
一方で、より面白く、よりすごいものを作ってくって、
技術面だけにこだわってていいのか? って考えたんだ。
もちろん、技術の向上が大切なのはわかっている。
でもね、もし技術ばかりがひとり歩きして、こんなものが欲しいという
人の欲望みたいなものから離れてしまったら、それは死んだ作品じゃないだろうかって。
ほら、3Dテレビって今どんどん進化しているじゃん。100年前の時代だったら、
3Dテレビを作り出すために一生かけてもいい、
3Dテレビをどんな苦労してもひと目見たいって、願った人もいると思う。
で、今、3Dテレビがそれほど求められているのかっていうと、
100年前と比べると、それに対して人々が抱いているロマンのようなものが
変質したと思うんだよ。
それでも技術革新は必要なんだろうけど、
同時にどうしたら生きた作品を生み出せるのかって考えるときが来たんじゃないかな?
それで、ぼくは技術を身につけて、自分で制作に入りたくはあるけど、
その一方で、『プランナー』といった面を持っている仕事も
自分にあってるんじゃないかと思いだしたんだ」
私 「生きている作品ってどんな感じのものなの?」
息子 「感情を揺さぶるライブ的要素も持った作品かな?今の世の中がこんなにも
『うつ』っぽくなっちゃった理由は、何でもかんでも、そうしてはならないものまで、
品物化していった結果だと思うんだ。
ほら、エンデの『モモ』って童話があるじゃん。あれを子どもの頃に読んだとき、
みんな何日で読んだ~何ページも読んだ~
他の本と比べてどのレベルで面白かったかってことばかり話題にして、
どうして、自分自身の今の生活が、時間泥棒に奪われているモモの世界の出来事と
同じことが起こっている事実について考えてみないんだろうって不思議だったんだ。
みんなはどうして人間としての自分の感情を通して、
物と付き合わないんだろうってさ。
いろんなものを品物として見るって、高級料理にしたって、
勉強の授業のようなものにしたって、品物化されて、数値化されてるよね。
友だちのようなものまで、ネット内でボタンひとつで友だちかどうか選別したり、
グループ内で友だちを格付けしたり、友だちを数でコレクションしたりするように
なってくる。
でも、本当は、そんな品物化した『友だち』を、誰も求めちゃいないはずだよ。
友だちを欲するのは、友だちという人を求めているというより、
いっしょになって団結して何かしてみたり、冒険したり、共感しあったり、
そこで動く感情を欲しているはずなんだから。
みんな感情を求めていて、それに気づいていないんだよ。
何でも品物化したあげく、これは品物にしようがないっていう感情でしか
処理しようにない『死』を、偏愛する人も増えている。
もし、IT産業で何かを作っていくにしても、そんなふうに物を求める根底になる
感情の流れを揺さぶる生きた作品を作ることを目指していきたいんだ」