虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 5

2011-09-27 09:00:40 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

わたしは息子に自分が小学校時代に体験したことと、それによって起こった自分の

心に内部の体験と、それと関連する最近読んだ雑誌の記事について話しました。

 

小学6年生の時、ハンディーキャップを持っているひとりの女の子と同じクラスになったのです。

その子はたびたび教室を飛び出していき、担任の女の先生は、わたしたちに自習をするよう言い渡して、

その子を追いかけていくことがありました。

わたしはその先生の担任になるまで、授業中に手遊びしているか、

窓の外を眺めているか、ぼんやり空想に浸っているかしているような困った生徒でした。

まぁ、その先生が担任の時も、クラスの友だち数名といっしょに

授業中に交換日記を回していた容疑で『終わりの会』の裁判にかけられていた

くらいですから、きちんとしているとは言い難かったのですが……。

 

その先生はただ教科書を教えるのではなくて、

みなが自分の頭で考えるように促すように教える先生だったので、

わたしなりにはちょっとはしゃんとして、夢中になって授業に参加するときが増えていました。

それはクラスの他の子らも同じで、クラスの中には勉強に対する

能動的にかかわろうとする態度や愛情のようなものが、満ちているように感じられました。

 

それで学力という面では、当時の親たちはおそらく不満を抱いてはいなかったはずですが、

自習が増えている点へのクレームはたくさん出ていたようです。

何度か親たちと先生の意見交換の場や子どももいっしょに参加する形の説明会が

持たれていました。

子どもたちも参加している説明会で、先生は黒板に2つの鍋の絵を描き、

一方を塩の足りないスープ、もう一方を順調に煮立っている味が整っている

スープなのだと言いました。

それから、わたしはひとりひとりの子を大切に思うし、

ひとりひとりの子の成長をていねいに見ていて、

そこで、味が足りないものがあれば塩を足し、

おいしくできているものには塩は足さずに見守るように

しているのだと言いました。

先生がスープの比喩で、誰のことをどのように説明しようとしているのか、

子どものわたしにもよくわかりました。確かに授業は自習になることはあっても、

放課後になると先生は、何だかしゃべりたい気持ちが溜まっている子がいると

そこに行ってゆっくり話を聞いていましたし、

わたしたちが口げんかをして揉めると、どちらの言い分にも耳を傾けてくれました。

 

そんなわけで、わたしがその体験の中で考えていたことというのは、

「先生っていうのは、うちのお母さんとかより

自分の考えとか信念ってものがあるんだな。

灰谷健次郎のお話に出てくる人みたいだから。

うちのお母さんは、○さんのお母さん(自分の子を学校の劇の主役にするために、

少しこすい手を使ったとうわさされていたクラスの子のお母さん)よりずっと普通の

お母さんだと思っていたけど、ちょっと馬鹿なところがあるんだな。

その馬鹿ってどんな馬鹿かというと、井の中の蛙大海を知らずっていう

ことわざの蛙みたいな種類のお馬鹿加減で、いつも団地の前に集まって

そこから見える世界が全ての世界のように思ってるから、

あんな風に考えるんだな。だって、学校に講演会に来た植村直己さんみたいに

世界の果てまで冒険に出かけたとしたら、授業中に誰かが飛び出して行ったとか、

自習が少し増えたくらいであんな大騒ぎするはずないもの。

先生が見ていないところで自習しているときも、みんなきちんと勉強しているのに。

わたしたちはもう6年生で、教科書を見れば字も読めるし、計算問題を解いていくくらい

自分たちでできるのに。それにきちんとしていなければ、クラス委員の子が騒いで

学級会でみんなから責められるだろうに」

 

わたしは担任の先生が好きだったので、先生の肩を持つようなところがあったし、

ちょうど思春期に差し掛かる時期で、それまで完全ですばらしい人のように見えた母の魅力が

急に色あせて感じられるときでもあったので、

そんな辛口批評が心に湧いたのでしょう。

 

一昔前のことでもあるので、先生が正しいのか親たちが正しいのか、

賛否のほどは脇に置いておいて、

この体験のなかで、わたしは、他人が見ていないところでもきちんと自分の義務を果たそうと思う

責任感のようなものを意識しました。また、少し視野や世界が広がったような気もしました。

 

親たちが危惧していたように、ハンディーキャップがある子がいっしょにいると

いっしょになって遊んだり怠けたりしたがるようなことはありませんでした。

先生のわたしたちに対する信頼感や期待にきちんと応えていこうとする

気持ちがありましたから。むしろ、わたしたち子どもにはそんな心など

存在しなくて、人が見ていないところでは、まるでしつけのなっていない犬のように

振舞うだろうと疑っている親たちに対して、

ちょっと幻滅していました。

「じゃあ、わたしたちが国語の教科書で習っているものは何なんだろう?

わたしたちは、幼稚園のころ読んだ『ひとりでおるすばん』

なんて絵本よりずっと複雑な心を扱った物語を

習っているというのに……」

 

わたしは息子に、そんな子ども時代の体験と心で感じたことを話した後で、

「雑誌でこんな話を目にしたのよ。親の事情で病院での診断は受けていないものの

自閉症と読み障がいが重なっていると思われる子がいて、養護教員が1年生のときから

教科書にふりがなをふる対応を続けていたそうなの。

それで、その子は4年生まで続けていたその対応のおかげで、

何とか戸惑うことなく学校生活を続けていたんだって。

他の保護者から、どうしてその子だけふりがなをふってもらえるのか?という苦情が

 

 

 

 

 

 

 

 


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