常識的な配慮だと思いながらも、
Aくんとお母さんのやり取りが心に引っかかったのは、お母さんはどこまでも
大人の目線でAくんの体験を眺めていたところなのかもしれません。
少しの間でもAくんの目線まで降りてみたら、やりたいことがあれもこれもあって、
やってみたらうまくできた喜びに満たされて、
もっとすごいことができそうだと予感して
いいものも見つけたし、やってみたいアイデアもあるし
ちょっとアクセルを踏み過ぎちゃったほど心が自信で膨らんでいたのだということに
気づいたかもしれません。
ですからら、たとえ、今回、「それは教室の大事なものだから持って帰れないよ」と
伝える状況だったところで、
まず、「いいもの見つけたね~」「それで作るもの思いついたの?どんなもの?」と
興味を抱いてたずねたり、自信がついてあれこれやってみたくなっている心を
励ますような代替え案を用意したりできたはずなのです。
先の記事で、Aくんは、
「誘う→
いやいや参加する→
すぐに飽きて別のことを始める→
しばらくすると戻ってきて、最初の活動(特に工作)がやりたいという→
自分なりのアイデアや「こういう風に作りたい」「これが作りたい」という→
そうして自分発でやりたがったことは最後まで熱心にやり抜く→
「もうひとつ作りたい」「これもやってみたい」と次にやりたいことに思いが膨らむ」
という参加の仕方をしていたという話を書きました。
こうした姿を大人の目線だけで捉えていると、
大人側が意図している活動への誘いにスムーズに乗るかどうか、
それに一定時間、取り組めるかどうか、のみに注意が向きがちです。
カリキュラムがかっちり決まっている園でも、
集団で同じ課題に取り組ませる時の反応だけ見て、子どもの意欲や集中力のあるなしを
判断してしまうのかも……と感じています。
話が途中ですが、次回に続きます。