虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ (もう少し)

2019-02-19 21:30:01 | 日々思うこと 雑感

「学校の持ち物の管理がいい加減である」という問題の主役は誰か、といえば、

Bくんです。

そして、管理を怠ったために困っている人物は誰かというと、Bくんです。

 失敗して叱られたり、「ない」ことで困ったり、

なくしたために学校に行くのが憂鬱になったり、友だちに借りたため別の問題に

ぶつかったりして、実際、辟易しているのです。

Bくんは「何があってもどこ吹く風」という様子で、

どーんと大らかに現実を渡り歩くタイプの子ではなく、ちょっとしたことで気を

病みやすく、小さい変化にビクビクする過敏な一面がある典型的な現代っ子。

 

でも、Bくんのお母さんの相談とBくんの姿から、

「物の管理の問題で悩んでいる」のは、Bくんのお母さんだけであることがわかります。

 

「問題解決に取り組んでいる」のもお母さんだけです。

 

ついでに言えば、

「その問題を恥ずかしいと感じている」のも、「どうしようかと考えている」のも、

「起こった出来事を思い出し、状況をシュミレーションしている」のも、お母さんです。

  

 「寝る前に宿題をするまで、嫌なことは一つもなくて、

楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ」というBくんの弁から察するに、

肝心のBくんは、

「物の管理の問題」で、しじゅうお母さんから叱られたり、愚痴を言われたり、

悩みの種にされたりしていることすら、少しも悩んでいないのです。

 

正確には、言語化して悩んでいない、それに意識の焦点をあてていない、

といったことでしょうが。

 

とにかく、主役も、問題に遭遇したのも、

現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

お母さんにバトンタッチ。

心と頭はお母さんの担当……という子は、Bくんに限ったものではありません。

 

ワークショップ等に参加している幼児や小学生にしても、

ちょっとうまくいかないことがあると「ママー」「せんせー」と助けを呼ぶところ

まではいいとしても、こちらが援助の手を差しのべたとたん、

「うまくいくかな?」「どうしよう?」「ちゃんとできたらいいな」と事の成り行きを

心配そうに……あるいは真剣に見守るのではなく、

その時点ですっかり他人事になって、気もそぞろに新しい何かを探索しはじめる

……という子があまりに多いのです。

 

子ども間のトラブルにしても、当人同士が、嫌な気分を味わったり、

不満をぶつけあう時間もないままに、親なり園の先生なりが割って入って、

「~だよね。ごめんなさいって謝ろう」と、それぞれの子がどういう感情を抱いて、

どういう行動を取ればいいのか示唆してしまうので、そこでも、

主役も、問題に遭遇したのも、現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

大人にバトンタッチ。

心と頭は大人の担当という流れができています。

とにかく忙しい現代。子どもの感情が興奮してから鎮まるまで待っていられないし、

子どもの考えが自己中心的なものから、より大きな視野で考えられるまで

紆余曲折して成長する時間を考慮していられないのです。

そもそも、問題に遭遇するまでしていた活動が、問題を乗り越えても

やりたいほど『したい』ことだったのかあいまいでもあるのでしょう。

子どもが自分のやりたいことを見つけるまで……

また、やってみたいという気持ちに火がつくまで、

ゆったりとした時間があるほうがめずらしいでしょうから。

 

感情と思考を抜きにした体験から、動物のように、皮膚感覚だけで、

「あれは嫌」「あの子は嫌」「取られたら嫌」といった反射的な反応を

身につけるものの、

日々の体験が、自分なりの価値観を育むものになっていない、ということは、

多かれ少なかれ、どの子にも起こっているのです。

 

だとすると、Bくんのお母さんは、現在の子育ての落とし穴にはまって、

今の時代が抱える問題を悩んでいると言えるのかもしれません。

 

小学校高学年や中学生の子をお持ちの親御さんや小学校で教員をしておられる方から、

「現在、非常に困っている解決しにくい問題」というのをうかがうと、

一つひとつの内容は千差万別でも、

問題の根っこの部分はとても似通っている印象を受けます。

 

解決しにくい理由を探っていくと、必ずといっていいほど、

「ネガティブな気持ちになる何かに遭遇した時点から、

感情と思考は、大人にバトンタッチ」という子どもの態度に行きつくのです。

 

大人にバトンタッチできない場面では、

気持ちをフリーズさせるか、ごまかすか、まぎらわせるか、

なかったことにして忘れるか、

気分を手っ取り早く変化させるために誰かを傷つけたり、マンガやゲームに

頼ったりするかして、感情と思考のスイッチを切っているようです。

 

同じ根っこを持つ「現在、非常に困っている解決しにくい問題」と思われるものに

こんなものがあります。

 

先日、小学校で教員をしている方から、

小学4年生くらいまでテストで80点や90点を取っていたのに、

5年生になったとたん10点とか20点といったびっくりするような点数を取る子らが

増えていて、対応に追われているという話を耳にしました。

 

一方、高学年の子をお持ちの親御さんから、

「授業の確認テストや小テストはよくできているのに、学期末等にある総合的な

テストになると、ほとんど解けておらず、さっぱりわかっていないようです」

「学校の宿題がわからないと騒ぐので、塾に行かせてみたら、塾の宿題もわからないを

連発するので、個別に切り替えたものの、プラスになっているのかどうか……

これからが心配です」という相談をいただくこともよくあります。

 

そこで、「どんなところにつまずいているのか」と問題を解かせてみると、

多くの子が、とてもよく似た「できない理由」でつまずいているのが見えてきました。

 

問われている内容が、わからないわけではないのです。

解くのに必要な知識はちゃんと記憶しています。

 

 でも、5年生になると、「理解はできる」「解き方は知っている」というものが、

二つ三つ、合わさって問われるようになるのです。

 

つまり、Aという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていかなくてはならないのです。

そういう問題は、最初にパッと見た目で正解がひらめいて解けることはなく、

解いている最中に、自分で解決できるレベルで、ちょっとの間、考え込まなくては

ならないところがあります。

 

感情の面で、「できるかできないか不安」という数分をこらえなくてはならないし、

思考の面で、前にやったものをそのまま記憶からコピーするように解くのではなく、

「前にやったことがあるものを自分なりにアレンジしなおして、自分の頭の中で

練ってみる」という作業をしなくてはならないのです。

 

でも、4年生くらいまでの学習では満点近い点を取っていたという子の

ほとんどが、どちらも未経験で、

「難しそうだけど、考えればできそう」という部分にさしかかると、

心と頭のスイッチを切ってしまうので、

自分を励まして何とかやり抜こうという意欲も、考える努力も見られないまま、「できない」と放棄してしまうのです。

 

このAという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていく力って、どんな時に身に付くのでしょう。

 

以前なら、子ども同士、大人がいない空間で遊ぶ時間に育まれていった

ものなのかもしれません。

小さいトラブルがある度に、大人が飛んできて、大人の流儀で解決するのではなく、

子どもたちの知恵の範囲で、あれこれ考えて

解決を図るでしょうから。

 

ただですら、子ども同士で群れて遊ぶ機会が減っている現在。

大人の関わりのあり方が問われているのかもしれません。

 


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