虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お塩の足りないスープ鍋

2019-02-13 09:03:34 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

まだ発達障害の子への支援の制度が整っていなかったわたしが子どものころの出来事です。

現在は制度そものもはさまざまな形で整いつつあります。

でも、いくら制度が整っても、人の心が昔と同じや昔よりも冷やかなものなら、

結局、ハンディーのある子どもたちを特別に支援し教育する場は、授業を妨害する子を

排除して、追い込む場所にしかならないのかもしれません。

かつての恩師の小塩先生なら、今の教育現場でどのような対応をされるのだろう、と

思いながら書いた文章です。 ↓

 

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小学校の2、3年生の頃の話です。

クラスの一人の男の子が
今思うと発達障害を持っていたようでした。
落ち着きのない行動や
友達への乱暴で
(怪我をさせるほど ひどいものではありませんでした。)
目立っていました。

クラスの子の親や
先生からの苦情を受けて
その子のお母さんが
ある時から 教室の後ろで
毎日 参観するように なりました。

時々 振り向くと 
その子のお母さんが
困惑しきった悲しそうな様子で
立っていました。

といっても 私もクラスの他の子も
ちょくちょくその子と遊んでいましたし
本当は それほど乱暴だとも
嫌な子だとも 感じてなかったのだと思います。

けれども 何となく 一人の子を
特別な子で悪い子なんだ…
と 信じる奇妙な空気が
どんどん広がって 
みながそれぞれ 根拠もないのに
その子にいじめられた 
と訴えるようになっていきました。
悲しい顔のお母さんを さらに悲しませたいような
残酷な気持ちが感染していました。

ある日 先生がクラスのみんなに
机に伏せるように言いました。
そして
「○○君にいじめられた事のある人は
前に出てきて
黒板にされたことを
書きなさい。」と言いました。

いすをガタガタひく音や
黒板に向かって歩いていく足音が
次々としました。
私も何ひとつ浮かばないのに
自分も前に出て行って書かなければ
仲間はずれになるような
妙なあせりを感じました。
顔をあげていい と言われた時
黒板は びっしりと文字で埋まっていました。

それから少しして その子は引っ越してしまいました。

6年生になった時
クラスの知的障害のある女の子のことで
再びクラスの子の親から
学校に苦情が届くようになりました。
その子は
時々 教室を飛び出していくことがあり
先生が追いかけていく間
授業が中断してしまうのです。

その時の担任は小塩先生とおっしゃいました。
小塩先生は 参観日で親たちが集まった日に
黒板に2つの鍋の絵を描かれました。
そして
1つの鍋を指差されて
「これは 味付けがちょうど良くできているスープ。」
とおっしゃいました。
そして もうひとつの鍋を指されて
「これは 味付けが足りないスープ。
みなさんは どちらの鍋にお塩を足しますか?」
親たちがざわざわ
しゃべりあう声が聞こえました。
先生は「私は よい味のスープは見守ります。
お塩の足りない方には 塩を足します。」
と毅然としておっしゃり
障害を持つ子に心を配ることは
クラス全体にとっても大切なことだ というようなことを
私たちにもわかる言葉で説明してくださいました。

それからも苦情はあって
大変だったでしょうが
それからも先生は 
優しくて強い 私たちにとっても
その子にとってもいい先生でした。

算数や国語の授業時間が数分減ったかわりに
かけがえのない大切なことを教えていただきました。

この2つの思い出は
いつも私の心から消え去ることはありません。
自分も含め大人たちが みな 表面的な損得に惑わされず
子どもにとって本当に いいものを与えていけるように
願います。

イラストは「数えきれない太陽」(詩画集を作りました)から。「私が私にかえる日」


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