虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

セルフエスティーム(自己肯定感)について思うこと 1

2012-03-27 16:43:07 | 自己肯定感を育む

読者の方からコメントをいただきました。

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セルフエスティームについて質問です。子どもの自尊感情ですが、どのようにして育てられるものでしょう?
「ありのままの姿を受け入れ、愛す」ことはしているつもりですが、それと同時に、子どもに「こうなって欲しい」という希望、期待をかけてしまいます。それは「ありのままの姿を受け入れる」ことと矛盾するのでしょうか?
2人の子どもがおります。8歳の長男は幼い頃から発達障害とのボーダーぎりぎりで、手がかかり、私もひどい言葉でなじったこともありますが、明るく、自己肯定感が高いように思います。5歳の娘は、あまり手がかからない子でやりやすいのですが、他の子を褒めたらすねたりして、自己肯定感が低いように感じます。
お恥ずかしい話ですが、子どもに「ありのままのあなたを愛している」と伝えられているのか、自信がありません。

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「ありのままの姿を受け入れ、愛す」ことと同時に、「こうなって欲しい」という希望や期待をかけることは、矛盾することにはならないと思います。

でも、「こうなって欲しい」という思いが子どもの今の姿に対する不満足な気持ちから生じていたり、親のコンプレックスを肩代わりさせるような形の願望だった時には危険な気もします。

自己肯定感を高めることについて、親御さんたちと話していると、子どもに言葉で褒めているか、愛していると伝えているかという部分だけが意識されていて、親の態度や行動が、子どもの自己肯定感を上げたり、下げたりしていることについてはあまり気にかけていないように見えることがよくあります。

 

コメントをくださった方のように一人目のお子さんに発達障がいがあって、手がかかる場合、親御さんの注目や世話のほとんどがその子に集中して、他の子は見捨てられたような気持ちを味わっている場合があります。

言葉できょうだい児を褒めているだけでしたら、褒め言葉のはずが「お母さんはこんなにたいへんだから、あなたが良い子でいてくれなくちゃ困ります」というメッセージとして伝わっていることも多く、本人の心が本当に満たされているかわからないのです。

手がかからない良い子には、親の方がその子だけと過ごす時間を作って、手をかけてあげなくてはならないと思います。

また、たまには悪い子になったり、わがままを出したり、怠惰になって、その子が自分の全てを受け入れてもらっていることを感じることができるように配慮して、「お母さんは幸せ。お母さんは大丈夫。○ちゃんは、子どもだから、お母さんやお兄ちゃんのことを心配して、いっぱいいっぱい我慢しなくてもいいよ」と言ったメッセージが伝わるように抱きしめてあげるといいのではないでしょうか。

 

セルフエスティームは必ずしも親だけが高めるものでもないと思います。

さまざまな人との出会いが、子どもの成長を支えているのでしょうし、他所の子であっても、教師と生徒という間柄であっても、子どものセルフエスティームを高める手助けができるような世の中になればいいな、と思っています。

 

パソコンの生みの親「アラン・ケイ」も、自己肯定感の低さから、学校で問題行動をたくさん起こしていたのでしょうが、ひとりの先生との出会いで、自分という存在のかけがえのなさや素晴らしさに気づいたひとりです。

戸塚 滝登先生の『子どもの脳が学ぶとき』という著書にあった逸話を要約して紹介しますね。 

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アラン・ケイというのは、世界初のパソコンと、それを操作するための高度なプログラミング言語を創り出した人物です。

そのアラン・ケイの少年時代は、学校との戦いで、何度か落第や退学の憂き目にさえあったそうです。
そんなアラン・ケイの小学校時代の話を紹介します。



アラン・ケイは家いっぱいの本を読んで育ち、知的に豊かな環境に育った早熟な子どもでした。
しかし、小学校に入学したとたん世界は砂漠に変わってしまいました。

授業は退屈でたまらず、アラン少年は、学校とは苦痛を与えるところだと思い込みます。

アラン少年が小学4年生になったとき、メアリ・クラーク先生と出会いました。
その先生の教室の隅っこには、ガラクタでいっぱいの工作机があって、乾電池、ねじ回し、電球や電線、電気工作や自作メカの本などが置いてありました。

そのガラクタ机で、電磁石の図解が載っているのを見つけたアラン少年は、英語の時間に実験して試してみようとしました。
するとうまくいったのです。
思わずうれしくて叫んでしまったそうです。

クラーク先生はアラン少年を罰するどころか、かえって発見を誉めてくれました。
それがきっかけになり、クラスには電気の実験に興味を持つ子がほかにも現われ始めたそうです。

すぐに先生は、興味を抱く子を集めて小さなグループを作り、電気について探求するプロジェクトを組織しました。
あっという間に、グループは小学理科をはるかに超えるレベルの学習を達成してしまったそうです。

「あの素晴らしい女教師は知っていたんだよ。未知の世界を前にしたとき、子どもは科学者と同じ心を抱く。子どもは探究したがっている。自分の目と耳で未知の世界を偵察したがってるんだとね。クラーク先生はそれがちゃんとわかっていたんだと思う」
とアラン・ケイは語っています。

その後、ハイスクールを退学し、大学に進学したものの、そこも退学。
空軍に入って、軍に才能を見出され、除隊して、大学に留学、大学院にも進みます。
アラン・ケイの才能はようやく花開き、扱いにくくてがらくたのようだったグラフィックス・コンピューターを、小さいサイズの洗練された使いやすいマシンし変える研究を始めました。
そして、現代のパーソナルコンピューターの原型にあたるマシンの開発に成功できたのです。

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こうした話を聞くと、「すぐに今の小学校でそんなことが可能なはずがない!」とおっしゃる方がいるのですが、今の学校では不可能でも、家庭や身近な大人までが、学校と同じ硬い考えで子どもの教育に当たる必要はないと思うのですよ。
勉強イコール学校で習うことと決め付けると、子どもの才能を枯らしてしまう場合もありますね。

「子どもの未知なるものへの探究心」を大切にしてあげなくてはと考えています。
特に軽度発達障害の子は、ASDの子の場合、ひとつの分野や興味にとことんこだわるところがありますし、ADHDの子の場合、拡散思考とひらめきを駆使して、これまでにないものを生み出す力があったりします。
学校への適応ばかりを気にして、そうした才能を伸ばすことをおろそかにするのはよくありませんね。
子どもは、どの子もすばらしいものを持っていますから…。


引用は「子どもの脳が学ぶとき」戸塚 滝登  高陵社書店 より


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-03-28 12:42:20
ちょうど、悩んでいることと関係が有るような気がします。PDDの四歳になる息子と二歳になる娘がおります。妹の遊んでいるおもちゃを「貸して」といって「いや」と言われると奪い取ったりたたいたりします。いろいろ、声掛けをしたするのですがなかなかうまくいきません。妹の気持ちも大事にしてやりたいのですが、比較的育てやすい娘で我慢が多くなってきているようです。取り上げて遊ぶでもなく意地悪を楽しんでいる様子のときもあります。
あと「もうやめようね」という行動に対しやめれないときは他のもので気を引くのがよいのか、やらせっぱなしににしないで、引き離すほうがよいのでしょうか?

息子はパッと思いつくとともに行動にでているようです。一呼吸置く、ということが苦手で欲しいものは欲しいという感情など抑えるのがむつかしいです。
このような子にぴったりな遊びややり取りがあればぜひ教えて下さい。
過去の先生のブログもいろいろ参考にしています。一旦考えてから行動にするということは、私も苦手なほうなので・・・
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