↑(「どんどんやまのどんこさん」という山を主人公にした絵本を作りました。春のパパ山、ママ山。下はどんこさん)
日本人の子は他の国の子らに比べて
セルフエスティーム(自己肯定感)が低いとよく言われています。
日本人の親は猫っ可愛がりなほどわが子に集中している人が多いのに、
そのように大切に育てられている子らの自尊感情がどうして低くなるのか、
わたしなりに思うところがあります。
ひとつ疑われるのは、懸命にわが子の自尊感情を育くもうとがんばったあげく、
「偽りの自己肯定感」を育ててしまうのではないか、
ということです。
スタンレー・グリーンスパン と ヤコブグリーンスパン著の『ADHDの子どもを育む』という本は、
多動のないごく一般的な子たちの子育てにとっても
大切なメッセージであふれています。
そのなかに、「自己肯定感を回復するための一般原則」として
4つの原則が紹介されています。
3つ目の原則「その子の持つ生来の資質に目を配る」で書かれている内容を
引用しますね。
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つまり、自己肯定感を真に回復できるような
強みや得意技を見つけることです。たとえば、芸術活動が強みになる子もいるでしょう。冗談や
お話が得意な子もいるでしょう。子どもの資質はさまざまです。
チェスをすること、動物と関わること、山登り、音楽、バードウォッチング、ダンス。
既存のスポーツや学校生活の枠内で花開かないとしても、
子どもは皆それぞれに、その子にしかできない何かを持っています。
大切なのは、子どもがこころから楽しんでいることに、おとながこころを開き、発見していくことです。
上手にやるように子どもを持ち上げたり、周りから賞賛を得るための活動に
誘ったりして、偽りの自己肯定感を植えつけないようにすることも
こころに留めておきたい点です。
そんな風に誘ったとしても、決してうまくいかないでしょう。
子ども自身が選び、それをしていると楽しくてしょうがないという何かが
大切なのです。
真なる自己肯定感はこういう活動からのみ
得られるのです。
(『ADHDの子どもを育む』スタンレー・グリーンスパン と ヤコブグリーンスパン著
広瀬宏之監訳 越後顕一訳 創元社)
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日本の子がどうして自己肯定感が低いのか、
その秘密が先の文章のなかにはいくつも隠れているように感じています。
問題は子どもに接する大人たちのセルフエスティームの高低とも
関わりがあるのかもしれません。
親自身のセルフエスティームが低いと、
無意識のうちに、
子どもを可愛がるという行為と、
子どもを持ち上げて、あれこれやらせて、周囲から賞賛を浴びるような場面を
たくさん作りだすことがイコールで結ばれがちになるのでは
ないでしょうか。
親だけでなく、子どもに接する習い事の教師も
学校の先生もクラブ活動の顧問も、もしそうした大人のセルフエスティームが低ければ、
子どもに賞賛が集まるように仕向けて、
間接的に自分の価値が上がることに
夢中になることもよくあります。
そうしてちやほやされて、偽のセルフエスティームを植えつけられた子も、
賞賛を集めることができなかったからという理由で、
大人に疎まれたり、心配されたりする子も、
自尊感情を高めていくことは難しいはずです。
次回に続きます。
偽りの自己肯定感、植えつけてるかも・・そしてそれが親の自己満足だとしたら・・(><)
今日、習い事の体験レッスンで「どんなお子さんですか?」と本人の前で聞かれ、「絵本が大好きで物語の世界を楽しみます。大人や友達の話をよく聞いています」と言ったらとてもよい笑顔になりました。
それまで照れて背中にべったり張り付いていましたが、それから少し自信を持って前に出ていきました。
以前なら「内弁慶で・・照れ屋で・・」とか周りの目を気にして(謙遜のつもりで)言っていたかもしれません。
普段は些細な事ですごいすごいと持ち上げながら、そんなの変ですよね。
気をつけて接していきます。
またまとまりのないコメントですみません
汐見先生がおっしゃってることと同じですね。
私も自分の都合のいいように子どもを動かそうとしてしまうことがあります。よく意識しておかなければ、と思います。