「道成寺 二題」

2013-08-10 01:11:25 | 古典芸能
二回目のフェスティバルホールに行ってきました。

今日の演目はウン十年間観たかっただけに、期待が半端なかったんですが…、

ぶっちゃけ、見終えた後は…ある種のカルチャーショックを受けました…。ウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」を観た時と同じようなショック。せめて映画の世界、舞台の世界の中だけは夢を見せて欲しかった…。まさかの現実に戻されたショックです(涙)

道成寺住職の方の本物の絵巻を持参されての話や、藤間勘十郎さんの舞踊「京鹿子娘道成寺」はとても良かったです。

特に住職さんの「道成寺」の元ネタの安珍・清姫伝説の話は、現代解釈も踏まえての説明だったのでとても面白かったです。伝説の内容に関してはWikipediaで検索可能ですよ。ま、いつの世も女は怖いってことですな(笑)m(__)m

冗談はさておき、住職さんの話の後に上演された勘十郎さんの舞踊は、まさにその伝説をそのまま振り付けたように感じました。

時々、釣り鐘を見つめる勘十郎さんの視線が、まさに今は白拍子の花子である清姫が亡くなった安珍への情念の眼差しにも感じ取れて本当に素晴らしい舞踊でした。

実は、「娘道成寺」は歌舞伎でもよく上演されているのは知ってはいるんですが、生で観たことも通しで観たこともなく、ラストの見せ場しか知らなかったんですが、今回の勘十郎さんの舞踊は、以前拝見させて頂いた「蜘蛛伝」の時と同じように化粧もなく着物でもない素踊りでの舞踊で、前回同様イマジネーションを掻き立てる内容でとても感動しました。

前回は玉三郎さんが想像の世界で見えましたが、今回は勘三郎さんが見えました。今回の演出は勘三郎さんが踊られた際に一緒作られたとのことなので、勘三郎さんの舞台はテレビでしか観たことないですが、勘三郎さんと一緒に踊っているようにイメージ出来ました。

で、勘十郎さんの舞踊が素晴らしかっただけに、1番観たかった能の「道成寺」が非常に残念で仕方なかったです。

正直に書いて申し訳ないですが、私が期待し過ぎたのが悪かったのかもしれませんが、ずっと観たかった演目だったし、映画「天河伝説殺人事件」で観たあの一瞬のシーンが観たいがための長年の夢でもあったので、鐘の中に入る時の、あの飛び上がった瞬間に鐘が降りるあの一瞬が観たかっただけに、ゆっくり鐘が降りていく演出が残念で仕方なかったです(涙)なんかここで現実を思い知らされた感覚に陥ってしまい、ショックを受けてしまったのであります。もう一つ、釣り鐘が紫の布で覆われており、てっきり見せ場として布が外れて鐘が現れるものと思っていたら、最後までそのままだったのも残念でした。思ったまま書いて申し訳ないですm(__)m

能の「道成寺」は90分と長い演目だったのも驚いたし、海老蔵の“古典への誘い”で上演された能「石橋」が機敏な動きのある演目だっただけに、今回はとても動きがゆっくりだったのも驚きました。本来の能はこういうものだと思うのですが、前回とのギャップがあまりにも大きすぎました。能にも色々あるということですね…。

そうそう、釣り鐘が上がった後の般若の面?と龍をイメージさせる衣装は素晴らしかったです。銀のうちかけ?は「~娘道成寺」でも使わてましたね。とても印象的な衣装です。玄祥さんが女面?で登場する時の衣装もオレンジ色が映えてとても綺麗でした。

この「道成寺」では、狂言師で有名な茂山逸平さんが出られていてめちゃくちゃ素晴らしい声でした!やはり、フェスティバルホールは素晴らしい音響効果があると思いましたよ。マイクなしでもめちゃ響く!

能「道成寺」はガッカリした部分もありましたが、それも一つの現実だと思えば、結果的にはやはり生で観れたことは良かったと思ってます。

それから、フェスティバルホールでの和モノの上演は全然アリアリだと思います。音響は本当に素晴らしいと私は思います。

今日のまとめ:今日のために、三島由紀夫氏が書いた『近代能楽集』の「道成寺」を読み直しました。ついでにWikipediaで安珍清姫伝説についても調べました。全く「道成寺」の内容について知らなかったので…。

で、気付いたこと:私の前世はよほど嫉妬魔だったんだと思う(笑)六条御息所もしかり、きっと前世で共感できる部分が大いにあったんだと思った。わたくし自身は、自分の経験から嫉妬は人間の感情の中で1番醜い感情、嫉妬=己の醜さだと思ってはいるんですが、これってきっと前世からの学びなのではないか?と思えてなりませんでした(笑)まさか「道成寺」がこんな話だとは思ってもなかった(涙)

Wikipediaで調べてもらったら分かりますが、清姫の情念&怨念は最上級やで!舞踊の「娘道成寺」なんて可愛いもんです(笑)能の方がある意味リアルな表現方法だと思う。

“古典への誘い”の時も歌舞伎と能で同じ題材の作品を上演してましたが、歌舞伎はまさに、シェークスピアの古典劇「ロミオとジュリエット」をミュージカル化した「ウエスト・サイド・ストーリー」や同タイトルのフランスミュージカル並みに大衆化に成功した技術だと思った。当時の歌舞伎は画期的な存在だったと思う。

そうそう、今年、新しい歌舞伎座で上演された玉三郎さんと菊之助丈の「鹿子娘二人道成寺」はめちゃくちゃ評判が良かったですね。シネマ歌舞伎でも、その時のものではないですが、お二人の「娘二人道成寺」が関西の映画館でも観れるのでチェックしたいと思います。


「盲導犬」

2013-08-05 18:56:48 | 舞台
面白かった!訳分からんかったけど(笑)

ぶっちゃけ、蜷川版「祈りと怪物」よりも良かったですm(__)m

本当に意味不明な内容でしたが、目・耳・肌で唐×蜷川ワールドを堪能させてもらいました。

ぶっちゃけ、昭和の独特なアングラテイストは感じませんでしたが、これぞ平成のアングラだな~と思える演出でした。演出も美術も照明も芸術的で、しかも本モノの盲導犬やミニワンちゃんが出てきたり、マジ火を使ったりと、「祈りと怪物」が安い演出だっただけにm(__)m今回はホンモノ勝負で魅せて頂き大変満足しております。

りえちゃんの存在がこの作品に大いなる華を持たせていて、最初から最後まで宮沢りえありきの作品だと思いました。決して舞台女優の声ではなかったけども、女優魂を感じる素晴らしい演技でした。なんとなく、りえちゃんの役はニコールの「ドッグヴィル」に通じるものがありました。パンツを脱ぐ行為が体当たりな演技だとは思いませんでしたが、ラストは違う意味でこれは体当たりな演技だなと思いました。最初から最後まで女優魂を感じる熱演で本当に素晴らしかったです。

古田さん、小出君、木場さん、大林素子さんは、作品に色を持たせる存在感で、大林さんがこんなに自然に蜷川色に染まっていて驚きました。上手かったです。

下ネタに関しては、古田さんの右に出る方はいないくらい、今回も古田さんの下ネタで笑わせて頂きました。

小出君のフーテンは、個人的にはもっとラリッた演技を見せて欲しかったです。シンナーを吸う青年に見えなかった。この役は、満島君の方がイメージにピッタリだと思いました。別に小出君が悪いわけではないねんけど、この役に関しては色で選ばれたかなと思いました。

「身毒丸」の時も思ってたんですが、蜷川さんの作品ってあまり昭和のドロドロしたアングラ色を感じないんですよ。まさに芸術的な感じ。どっちかというと松尾スズキさんの「ふくすけ」の方が断然昭和アングラテイストを感じた。

別に昭和だろうと平成だろうと、アングラだろうとそうでなかろうと、作品が面白ければそれでいいと思うんですが、今回のこの作品に関しては、全体的に声が素晴らしかった!昔の蜷川作品を思い出しました。私がずっとイメージを持ち続けていた蜷川ワールドが全面に出ていたと思います。

蜷川作品の魅力は役者の魂の叫び声だと思っているので、最近では味わえなかった蜷川ワールドを堪能させて頂きました。マイクなしでも客席の後まで鮮明に聞こえる声がとても心地よかったです。多分、舞台に壁(コインロッカー)があるとないとではやはり響き方が違うと思いました。

で、これまたぶっちゃけ書くと、私には全くの無名の小久保君が1番アングラ俳優というか唯一のアングラ俳優だと思ったくらい素晴らしい表現者さんで感動しました。りえちゃんとの絡みでは繊細な部分を感じましたが、見せ方がマジアングラでした。年齢的に決してアングラ演劇に興味を持つ世代ではないと思うけど、小久保君だけが私が持つアングラのイメージを体現していたと思います。蜷川さんにしごかれたのか、彼の感性なのか分かりませんが、無名というだけで本当にもったいない存在だなと思いました。これからも蜷川作品には欠かせない役者さんになること間違いないでしょう。

ストーリー的には本当に意味不明な展開でしたが、アングラ演劇ってそもそも頭で考えず感覚で楽しむ演劇だと思っているので、その点に関しては非常に楽しませて頂きました。

唐さんは盲導犬を通して何を表現したかったのかは、はっきり言って分かりません。

私が見終えた後に感じたのは、りえさんの役にも感じた「ドッグヴィル」となんてなく似てること。昨日の友は今日の敵みたいなある種の不条理さを感じました。

生まれながらにして盲導犬はいないと台詞にあったように、生まれながらにして不条理な人間もいないと思うんですよ。フーテンになろうと思って生まれてきた赤ちゃんもいないし、政治家になろうと思って生まれてきた赤ちゃんなんていない。もちろん、生まれながらにして目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりと障害をもって生まれてくる赤ちゃんはいるけど、意思をもって生まれてくる赤ちゃんなんてほぼ皆無だと思うんですよ。

盲導犬はちゃんと躾をすれば素直で役に立つ存在なのに、人間はちゃんと躾たつもりでも何故かひねくれるんですよね。特に思春期。

人のことは言えないけど、ちゃんと目が2つついていても、現実や周りが見えない人間って多いやん。本来2つの目は自分を見てナルシストになるためにあるんじゃなくて、周りを観察するためにあるはずなのに、何処見てるねん!って人が多い。昔も多かったけど、最近テレビを見てるとこんな私ですら不思議に思う人が多い。未だに懲りない政治家のトンデモ発言もしかり、今自分がいる場所を見ろ!と言いたくなる人が絶えない。政治に関してもそうですが、本当に大事な事に関して無関心な人が多い。危険意識が低い。

盲導犬を飼ってるつもりが、いつその牙を剥き出すか分からない未来。また自分が盲導犬になりかねない未来を感じたそんな見終えた後の感想でした。

あくまで私が感じたことなので、唐さんの意図は全く分かりません。蜷川さんがこの戯曲から何を感じたのかも私には分かりません。ただ、舞台上ではピカソの絵画のような世界観が繰り広げられていた…って感じです。

そうそう、りえさんの真っ赤の洋服が舞台上で素晴らしいアクセントになっていて、「レミング」のなーちゃんを思い出しました。真っ赤なドレスを着た踊るタンゴの女性が、一輪の薔薇のように舞台に華を添えてました。りえちゃんもそんな存在で本当に綺麗かつ素晴らしい演技でした。

今日のまとめ:今日のりえさんを見て、めちゃくちゃ祐飛さんの「滝の白糸」が楽しみになりました。